2024年5月3日(金)
> 1979年5月3日、イギリス総選挙において野党保守党が5年ぶりに過半数を獲得し、党首マーガレット・サッチャーが英国首相となった。イギリスではもちろんだが、ヨーロッパでも初めての女性首相であった。
サッチャーは1925年にリンカーシャーに生まれ、オックスフォード大学では化学を学び、26歳で結婚後、新たに法律を学んで弁護士となった。1959年下院議員に初当選し、1970年からヒース内閣の教育科学相として閣僚を務めた。1975年2月11日に49歳で保守党の党首に選ばれている。
サッチャーが「アイアン・レディ(鉄の女)」と呼ばれるようになったきっかけは、1976年ソ連の海軍力増強に対し痛烈な批判を行ったことからである。その後、事あるごとに彼女について回った「鉄の女」というニックネームは、クレムリンからのプレゼントだったようだ。
国営企業の民営化・小さな政府の実現など、低迷していたイギリス経済の復活を公約として、首相の座についた。ネオリベラリズムと呼ばれるこういった政治姿勢は、その後の世界の新しい潮流となった。フォークランド紛争では国際的な非難も受けたが、イギリス国内ではその迅速な決断が高く評価された。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.129
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Margaret Hilda Thatcher
1925年10月13日 - 2013年4月8日
二日続きのイギリス首相ネタ、1997年から1979年へ遡行する。
97−79のように 10の位と1の位を入れ替えて作った数字の引き算は、必ず9の倍数になることを証明しなさいという問題が、中2の一学期の試験に出た。何をどうしたら良いか分からず、数学好きの女子が苦もなく解いて満点とるのを呆気に取られて見ていた。
それはさておき
紳士の国の女性首相などとずいぶん話題になったが、 この辺でもっと真剣にその意味を考えるべきだったのだ。その後の40数年にヨーロッパでは女性首相が数多く誕生し、もちろんそれを支える社会全体の女性参画が着実に進んだ。そして大きく水を開けられた。
サッチャーの経歴にも注意を払いたい。さらりと書かれているが、大学では化学を専攻し、その方面で就職もしたのである。会社の研究職として、アイスクリームに空気を混ぜてかさ増しする方法を研究したりした由。そこから急ハンドルを切って政治の世界に転身した経緯が興味深いが、後の新自由主義的経済路線につながる伏線は、学生時代にハイエクの経済学に傾倒したところまで遡れるという。文の理のといつになっても当方のみみっちいことで、勉強というのはこのようにするのが本当なのだ。
ブレアが総理大臣に就任した際、エリザベス2世からかけられた言葉というのがどこかに記されてあった。
「あなたは私の10人目の首相、最初はウィンストンだったわ、あなたが生まれる前のことね。」
後にブレアは「彼女は元首であり、私は彼女の首相だった」と振り返ったという。ウィンストン・チャーチル第63代、マーガレット・サッチャー第71代、ブレアは第73代の英国首相だった。
資料と写真:https://ja.wikipedia.org/wiki/マーガレット・サッチャー
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