2015年8月18日(火)
蒸し暑くはあるが、帰省に立つ前よりはずっと楽である。留守中の新聞を読み返し、片づけなどしながらのんびり過ごす。
11時ちょうどに約束の電話がかかり、学生のメンタルな問題について相談にあずかる。いつ頃からだろうか、狭義の/典型的な精神疾患に関する相談事はずいぶん減った。代わって増えたのは、現象としては適応障害、実態としてはコミュニティ機能不全を背景としたパーソナリティ and/or 発達の問題である。精神科医は総体としてこの状況に対応できておらず、対応が個別に委ねられる結果として大きな温度差を生じている。DSMに従って仕分けとラベリングを行い、薬物を処方するところまでで仕事は終わりとする縮小路線を一方の極とすれば、もちこまれる相談事を広く受け止めようとする拡大路線が他方の極にある。各医師はそれぞれの人生観・医療観と技量・経験に従って、両極間の広いスペクトルの任意の場所に地歩を占めるが、全体の重心はかなり前者寄りに傾いていると言って、大きく間違ってはいないだろう。むろん、それではN先生から持ち込まれた3件の相談には、歯も爪も立ちはしない。現に第2のケースでは、発達障害の薬物療法だけを行って、これに付随する生活上の具体的な困難については初めから聞こうともしない、超有名大学系の医師との折衝に関係者一同が困惑しているのである。
この件はいずれじっくり考えないといけない。さしあたり自分が何を頼りに「健全な拡大路線」を目指しているかといえば・・・何なんだろう?
土居、笠原、中井、神田橋といった big names を挙げることは容易だが、それだけではないし、たぶんそれではない。それら上部構造を準備した土台というのかな、針生ヶ丘のワーカーと当事者さん、別府で出会ったN先生や同門のS先生など、発信せず知られもしない超腕利きの治療者たち、医療以前/以外の人のつながり等々。
精神分析を知ったのは非常な収穫だが、うんざりするのは精神分析家を標榜する人々 ~ 肝心の実物見本の中に、いけすかない人間がとっても多いことだ。「縮小/拡大」の軸で言えば、健全な拡大という理想を支える現実の武器を提供するのが、力動的発達理論とそれを踏まえた臨床原則だと思うのだが、現実には「縮小」と「免責」のため、より広くは自己防衛のために分析理論を私(わたくし)するエセ分析家の方がよほど目立っている・・・ように思う。
んじゃ、自分はどうなんだという話になるから、このあたりで切り上げる。子豚たち、今夜は仲良く横浜スタジアムに繰り出したが、お目当のスワローズが不調で残念な夜になったらしい。