2015年8月19日(水)
朝のラジオ、広島は福山在住の女性からの投書が紹介される。ハワイへ旅行し、真珠湾を訪れた時のこと、年輩のアメリカ人男性が片言の日本語で話しかけてきた。
「ヒロシマ、ナガサキ、ゴメンナサイ」
女性は英語が達者でなく ~ よほど達者であっても返す言葉は難しかっただろうが ~ 表情で精一杯の気持ちを示したという。
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若い人々には既に注釈が必要だろうか。日米戦争は日本軍の真珠湾奇襲で幕を開けた。宣戦布告後、できるだけ速やかに攻撃をかけるのが日本側の思惑であったが、駐米日本大使館による米国への伝達が本国の指示よりも遅れ、公式に宣戦が布告された時には既に真珠湾に紅蓮の炎が上がっていた。この手違い(?)が戦争の帰趨をほとんど決定づけた。
直前まで、大多数のアメリカ人は参戦に消極的であり、日本との間に緊張関係があることは知っていても、よもや戦争になるとは思っていなかった。(この件は、渡米時に自分でしっかり裏を取った。)ただ大統領フランクリン・ルーズベルトとその一党だけが、参戦の口実を喉から手が出るほど欲しがっており、そのために露骨な挑発を繰り返していたのである。日本は挑発に乗った。しかも最悪の形で。「真珠湾のだまし討ち」を聞いた瞬間、我関せずの非戦論が支配していたアメリカ全体が、一挙に巨大な火の玉になった。
宣戦布告の遅れについては、情報秘匿のためアメリカ人タイピストを解雇していたせいで、外交文書の作成に手間取ったとも言われ、他にも諸説がある。しかしどんな「事情」を持ってきても、釈明にはならない。開戦が時間の問題であることを大使以下が知らなかったはずがなく、いつでも対応できる準備があって当然だった。最悪の場合、短い主文だけでも迅速に伝達し、文書の体裁などは後刻整えるやり方も考えられたところで、何をおいても攻撃開始に間に合わせるのが絶対の要請だった。担当者の罪は文字通り万死に値するが、それはここでのポイントではない。ただ、そのせいで負けたとか何とかではなく、日本の官僚制度が肝心のところでポイントを外すことについての、貴重な事例と教訓が秘められているように思われる。
それはともかく。
真珠湾への報復という動機をもって、その後の全てを ~ 具体的には2発の原爆を ~ 正当化するという構図が、長らくアメリカ人の良心を支えてきた。アメリカ人は強迫的なまでに、ことの「正しさ」にこだわる人々である。原爆の惨禍がいかに酷かろうとも、つまるところ日本人は自分の蒔いた種を刈ったのだという主張が、多くの人々にとっての中心的命題だった。「本土上陸を敢行すれば百万の米兵とそれ以上の日本人の命が奪われた」云々は、より相対的・比較考量的な意味づけで、そういう議論が出てくること自体「真珠湾ドグマ」の揺らぎを表しているかもしれない。ともかく「真珠湾」はアメリカ人にとっての超キーワードである。1994年から3年間の滞米中にも12月7日(米時間)が近づくと新聞は必ずそれを報道し、その件で僕らが不快な思いをしていないか、サラは毎年のように気遣ってくれた。
その真珠湾で、当時を知るに違いない高齢のアメリカ人が、原爆投下について詫びる風景を、福山の女性は伝えたのである。
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詳細は分からず伝聞でもあることで、この場面そのものを正確に考証することは不可能だし、さほど意味をなさない。ただ僕にとっては、そのような個人が存在するらしいことと、そこから広がるイメージのほうが大事なのである。
この男性もアメリカ人であるならば、真珠湾の奇襲そのものを不問に付すとは到底言えないだろう。それでも、その場を訪れた日本人に対して、そのことではなく原爆投下のことを、まず自分から謝罪する、その姿勢が感動的なのだ。この人物の正確な主張は不明だけれど、「真珠湾は原爆を正当化しない」との判断が、その行為から自動的に読みとれる。そこに至るまで、彼が経てきた足跡を知れるものなら知りたいと思う。
「つもり(意図・動機)」ではなく「現にしたこと(行為・結果)」に関して、問責に先んじて謝ること、これは高度の良心の発露ではないだろうか。そして、思い立った時にためらわず実行する勇気を、確かに多くのアメリカ人がもっている。国ではなく、人なのだ。僕らの希望はいつだって生身の人間に託される。
僕らは誰に対して、何について「ごめんなさい」を言うのか。「つもり」で言い訳するのではない、まず「行為」と「結果」について謝るということを、どこまで広く深く行うことができるか。良心の competition においてこそ、他国民に遅れをとりたくない。そう願う朝である。