散日拾遺

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川流不息 淵澄取映 ~ 千字文 035/川を慕う3月4日

2014-03-04 08:26:01 | 日記
2014年3月4日(火)

○ 川流不息 淵澄取映
 川が流れて止まることなく、淵が澄んで物の影を映す。
 (修養する人の態度は、そのようなものだ。)

 水が流れれば川となり、堰き止められれば淵となる。
 李注の引用では、川の動的側面に「進歩、向上、開運」などを託して是とし、淵の静的側面を「停滞、終止」と見るものが古来多いようだが、千字文の本文は双方に良さを見ている。

 物影を映す、といえば「鏡」のこと(明鏡止水)、心理臨床ではカウンセラー/セラピストの望ましい姿勢をこれに重ねることが頻りに行われる。川についてはあまり語られないが、何かヒントになるだろうか?
 微視的には常に動いて輪郭を定めがたいのに、大きなフォルムがきわめて安定していること、いったん大雨が降る時には溢れて曠野を水浸しにすることなど、治療関係/人間関係と重なるようではある。

 川沿いを歩くのが無性に好きで、その理由は薄々しか分からない。
 海が好きという人は多く、自分ももちろん嫌いではないが正直に言えば少々怖いのである。というか、かなり怖い。底知れぬ深さ、すべてを呑み尽くす巨きさ、容赦のない激しさなど、実は近寄りがたい畏怖の対象である。世界にも稀な瀬戸内の静かな海面だけに、どうにかすり寄ることができるけれど、外洋は無性に怖い。
 川は一条、水源近くでは、か細く幼く、さらさらと透明に流れを起こす。下るに従ってようやく太く深く、しかしどんなに育っても比肩しようのない、恐ろしい海へ最後は流れ込んでいくのに、運命から決して逃げることなく無心に途をたどり続ける。
 いさぎよく、朗らかである。

***
 
 昨秋、東京女子大の学生向け講演で、
 「人が生きるとは、とりもなおさず生かされることである。人生のほとんどの時間は生かされていることを自覚すらせず、生かしてくれる力に身を委ねて生きているし、それで良い。ただ人生に何度か、自らの意志で力をふりしぼって『生きる』決意をせねばならない時が必ずある。その日にはあらためて、自分を生かしてくれる力がどこから来るか、問うことになるだろう。『あなたの若い日に、あなたの創り主を覚えよ』とあるのは、そのことなのだ。」
 あらましそんなことを話した・・・つもりだった。これほどきれいには、まとまらなかったけれど。

 「時」が巡ってきたのかな。
 川を慕う気持ちが、陽光の中でひときわ募る。
 (「慕う」と「募る」、字が似ていてこころよい。)

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