散日拾遺

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黒番でした/指運(ゆびうん)と味悪(あじわる)

2014-02-24 12:52:18 | 日記
2014年2月24日(月)

 本因坊秀策は幕末の天才棋士。文政12(1829)- 文久2(1862)年というから、天寿を全うしていれば間違いなく明治棋界の大黒柱となったはずだが、惜しいかなコレラ流行で30代早々に他界した。秀策この時、本因坊家の跡目、患者の看病にあたって他に一人の死者も出さず、ただ彼自身が落命した。秀策流の名で知られる布石法や数々の優れた棋譜を残し、後世そこから学んだ棋士が多い。
 お城碁19戦無敗は驚異的な記録だが、必勝を期して二子局を回避したらしいことについては、批判もある。

 お城碁の結果を問われて「勝った」と言わず、「黒番(先番)でした」と答えたというのが有名な逸話。何でしょうね、これは。
 上述の秀策流は黒番で小目を時計回りに三連打する手法なので、白番では打てない。「黒番=秀策流=必勝布石」という図式から、「黒番でした」は秀策の自負・自信を表す豪語とする説を、最近一度ならず見て首を傾げた。
 それは違うでしょうよ。
 なぜかといえば・・・

 19路四方の碁盤は広いようでも先着の効はあらたかなもので、ノーハンデで打てばはっきり黒番が有利である。これを修正するため、現代碁は「コミ」という名のハンデを白番に与えて平準化を図る。当初4目半だったコミは、現在6目半に広がった。中国の国内棋戦は7目半としている。「半」は引き分けをなくすための作為として、実質6~7目ほども黒番有利というのが現在の評価なのだ。
 黒番有利の事情は今も昔も同じことだが、秀策の時代まではコミのシステムがなかった。代わりに、実力拮抗した者同志の対局では一局毎に黒番・白番を入れ替えることで公平を図った。これが「互先」の語源である。「定先」すなわち一方を黒番に固定することは、置き石一子に相当するはっきりしたハンデだった。つまり、実力伯仲なら黒が勝つのが当然だったのである。

 こうした事情を踏まえて「黒番でした」の挨拶を聞くなら、「幸い有利な黒番でしたので、この度は勝たせて戴きました」と受けとめるのが自然というものだ。「自分が強かったのではなく、黒番の利のおかげで」との謙譲の表現である。礼や作法を厳しく問われる時代、しかも将軍家(あるいは名代)の面前で行われるお城碁。まして秀策は舅の丈和などと違い、礼儀正しく謙虚な人柄であったことが伝わっている。
 あるいは言外に「その有利な黒番で負けるわけにはいきません」との含みがあったかもしれないが、それは聞き手が聞き取ること、秀策がそれを意図したとは考え難い。少なくとも現代の棋士が勝敗を問われて「黒番だった」と答えるのとは、全く意味が違う。「秀策豪語説」はそうした事情を無視した見当外れで、この種の誤解が一人歩きするのが異時代・異文化理解の危ういところではあるだろう。
 それより、白番で勝ったときに秀策がどんな言葉で結果を伝えたか、そのほうが僕は知りたいな。

***

 中国から伝わった碁は、江戸時代に飛躍的な進歩を遂げた。幕末から明治の段階で日本の碁が世界の最高水準にあったことは疑いない。それから100年、日本の碁を日本人以上に研究した韓国、ついで中国が今はトップにある。こうした国際交流もスリリングだが、日本の棋界の中に台湾・韓国・中国、そして少数ながら欧米の棋士のあることが無性に楽しい。
 その歴史をたどる中で、呉清源(中国)、林海峰(台湾)、趙治勲(韓国)の三人の名前を絶対に外せないことは、確か前に書いた。何度も書くなと言われそうだが、何度書いても楽しいのでね。

 楽しいというより驚き賛嘆するのは、この人々の日本語の達者なことだ。ただ達者というのではない、時として非常に味わい深い言い回しが聞かれたりする。アメリカ出身マイケル・レドモンドの日本語などは、国語のお手本に使いたいほど整然としており、明晰で美しい。「日本語って、こんな風に話せるんだ」と感心する。
 「日本語は曖昧」なんてウソだよ。使い手のアタマが曖昧なだけだ。レドモンドの囲碁解説を聞けば、目から鱗が落ちるから。

 で、ようやく本題。
 先週の新聞棋譜は、井山裕太に続く若手の俊英・村川大介七段と、井山の台頭までは平成四天王の中でもアタマ一つ抜けかかっていた超実力者の張栩九段(台湾出身)。激しい競り合いの連続、前半戦で優位を築いた村川が、張の猛追に思いがけない失着で星を落とす。新聞解説の林海峰・名誉天元は張の師匠であり同郷人でもあるが、むろん解説は公平至極。かつて林海峰と石田芳夫の死闘を、林の師である呉清源が冷徹に解説したことが思われる。
 その林さんが、クライマックスの村川の一手を指して、

 「指運がなかった」

 と評したのだ。
 「指運」、何て味わい深い言葉だろうね。
 むろん碁石は指でつまむからだが、そこには巨大な水面下がある。碁の修練の中で、指を動かさずにする純粋に内的なイメージトレーニングが、ひとつは大事だ。次の一手を選択する際、いくつかある選択肢のそれぞれに引き続いてどういう変化が盤上に広がるか、手を動かさずに頭の中でシミュレートできないといけない。そのために役立つのが詰め碁の訓練で、「盤に並べず頭の中で解け」というのはここに関わっている。
 これと対を為して劣らず重要なのが「棋譜並べ」で、これは棋譜をたどって先人同輩の碁を盤上に再現するのだが、この時には手で実際に石を置いていくのが肝要とされる。石の形や流れのあり方を、目と頭だけでなく手を動員して身につける(=身体化する)。感覚の末梢起源説にも通じることで、棋理はまさしく「身につける」ものなのだ。

 【注: 「身につける」って、深い表現ではないか?】

 そうした棋道の仔細を背景に置いてみると、「指運がなかった」ということばの味わい深さがわかるだろう。一瞬の光芒、惜しいかな、指が急所をわずかに外した。

***

 味わいで思い出した。
 碁に「味が悪い」という表現がある。局地的な石の配置に関して、はっきりした欠陥とまではいえないものの、ひょっとすると/他の部分の動静によっては、将来に禍根を生じるかもしれない不備の兆しがあるとき、「味が悪い」というのである。

 ある本で読んだんだが、あるとき日本棋院御一行様が、確かハワイに指導のため出かけることになった。ところが非常な悪天候で、飛行機が大揺れに揺れだした。藤沢秀行(故人)などは酔っ払って「落ちろ、落ちろ」と大騒ぎしている。怖くないんだかなんだか、碁も強かったが大のギャンブル好きで、破天荒とはこの人のこと。対局場にまで借金取りの電話がかかってきたという剛の者だから、落ちれば保険金が入るさぐらいに思っていたのかもしれない。趙治勲さんなども乱入して、その一画の騒ぎだけで飛行機を落としそうだ。回りの客は良い迷惑だったろう。
 いっぽう林海峰さん、こちらは温顔を崩さず大人の風格、常識的な人々はその回りに穏やかな集まりを作り、まったくもって対照的な風景だったという。目のあたりに浮かぶようだ。

 飛行機はいったん日本に引き返し、やがて天候の回復を待って再出発することになった。エンジントラブルではないから、飛行機は同じ機体を使うことになる。そう聞いた林さんが、笑顔でおっしゃったそうな。
 「そうなの?同じ飛行機っていうのは、ちょっと味が悪いね・・・」

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