2017年10月21日(土)
スティグマ付与、言い換えれば悪しきレッテル貼りは珍しくもない現象で、類的思考の必然的な随伴作用ともいえる。類的思考、つまり対象を個別的に見たてるかわりに、それが属する(と思われる)類型の特性で判断することには、思考経済学的な合理性がある。留学生のイブラヒム氏が名前の示唆するとおりイスラム教徒だと知れば、歓迎会で酒やトンカツを出す訳にはいかないと直ちに分かる。これなどは類的思考のプラスの側面だが、マイナスの側面もたっぷりあることはイスラム国問題が十二分に教えてくれた。イスラム=排他的・戦闘的=テロリストという「公式」のおかげで、穏和で協調的な何億人ものイスラム教徒がはかりしれない迷惑を被った。
・・・というような話を準備しながら、ふと思い出したアメリカの心理実験のこと。未知の女性の顔写真を見せ、どんな印象を受けるか被験者に語ってもらう。その際、女性にアングロサクソン風の名前をつけるのと、ユダヤ人風の名前をつけるのとで、印象が有意に変わるというのである。ユダヤ人=教育熱心=上昇志向=倹約家といった「レッテル」が、どれほど認知に影響を与えるかを実証したもので、スティグマ形成プロセスに関する基礎研究ともいえる。
異文化集団間の軋轢も強いかわりに、こういう辛辣にして啓発的な研究も出てくるのがアメリカである。もっとも、同じ実験を日本で実施することは論理的には簡単で、女性の名前に和名をつけたのと半島系ないし大陸系の民族名をつけたのとで比較すれば良い。そんな研究がおおらかに語られる風景を本朝で見たいものである。
この件を説明するのに使わせてもらった写真と「名前」を御紹介。
メリル・ストリープ ハンナ・ゴールドバーグ
(https://ja.wikipedia.org/wiki/xxxx)
映画好きは欺けない、もちろん左が彼女の本名(芸名?)。右が「ユダヤ人風の名前」の例としてひねり出してみたものである。「・・・バーグ」は特にドイツ経由のユダヤ系アメリカ人に多い苗字で、それを踏まえた小ネタもある。旧約聖書に出てくる女性名はクリスチャンとユダヤ人に共用可能だが、とりわけハンナはユダヤ人が好んで使っていた記憶がある。
メリル・ストリープ自身はヨーロッパの複数の民族を先祖にもつオランダ系アメリカ人とWikiにあるが、『マディソン郡の橋』に出演した頃に「イタリア系の主人公の役をユダヤ系の女優が演じるなど超ミスキャスト」という評を読んだことがあり、真偽や当否はともかく、そういう観点があるのかと驚いた。
僕自身の記憶は、『クレイマー・クレイマー』(1979)に遡る。離婚した元夫婦が息子の親権を裁判で争う物語で、原題の"Kramer vs Kramer" (クレイマー対クレイマー)はアメリカの法廷での案件の呼び方に依っており、当時のアメリカでこうした現実が社会問題化していたことが窺われる。元夫役がダスティン・ホフマンで元妻役がメリル・ストリープ、アカデミー主演男優賞・助演女優賞のほか作品賞・監督賞・脚色賞などが与えられた。当時の目蒲線目黒駅ホームにポスターが貼られ、それで東急文化会館まで見に行ったのだったな。
あれから40年近く、アメリカの現実ははるか先へ進み、こちらは足元不如意でなかなか進めずにいる・・・ように思われる。
Ω
聖痕のような宗教的な奇跡は受動的に受けるだけでなく、能動的に役割を担うという意味合いがあるのではないかという話を誰かとしたように記憶してるのですが、石丸先生とじゃないですよね? 誰とそんな話をしたのだろう。。。
そういえば『スティグマータ 聖痕』という映画があるのですが、ある人に起きた聖痕をバチカンの神父が調査して、信仰なき者に聖痕が起きるはずはないのでこれは神の奇跡ではないと結論づけるシーンがあったのを思い出しました。
もう一点。
実は私は『クレイマー・クレイマー』も『マディソン郡の橋』もちゃんと見てなかったのですが、『マディソン郡の橋』はつい先日昼のテレビ東京でやってたのを見たばかりなのです。
そう。メリル・ストリープが演じていたのは結婚を機にアイオワにやってきたイタリア人女性でした。彼女がカメラマンと一緒に町を出ることを断る時に「残された夫は(噂が広まる)この町で生きていけない。そして、夫はこの町でしか生きられない」と言うのですが、これは当時見てたらちんぷんかんだったと思います。去年のトランプ現象の時に知ったアメリカの地方の人の中では生まれた町で一生を過ごす人がかなりいるという情報によって『マディソン郡の橋』がより深く分かったように感じました。主人公の女性が元々町の人ではないという設定はけっこうあの映画の肝心なところだったように思いました。
まぁもっともこういう見方も地方に住む人へのスティグマかもしれませんが。。。