2014年11月27日(木)
ブログを更新できないのは、非常なもどかしさである。そこにあるのに、アウトプットできない。精神の便秘みたいなものだ。今日もタスクは山ほどあるんだが、もうたまらん、せめて少しガス抜きしておかないと、イレウスでも起こしたら命にかかわる。便秘って、怖いんだぞ・・・
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武宮正樹九段がテレビ解説で「碁を打つと、頭がよくなるというか、心がきれいになるというか」云々と楽しげに話してらした。いかにも「らしい」おおらかで楽しいコメントだが、たぶん少し違うんだな。碁を打てば打つほど頭が悪くなり、心が汚くなる例はいくらでもあるもの。
頭をよく使わないと上達しない、心をきれいに打たないと楽しめない、
きっとそんなことなのだ。そうなることを妨げるのは、「勝ちたい」とか「相手をとっちめてやりたい」という邪念である。僕らのようなヘボ碁でも、きれいな心と邪念の相克はちゃんと浮き彫りになってくるし、その機微にプロもアマも違いはないような気がする。ただしプロには、生活と人生のかかる厳しさが加わるけれど、それでも心をきれいに打つことが、逆説的に強さへの王道だというのが武宮流である。
すべてのプロにとってそうであるかどうかは微妙だと思うけれど、賭け碁で自分を鍛えた坂田栄男師すら、とどのつまりに同じようなことを言ったことが思い出される。
とどのつまり・・・北海道は斜里の町中に、トドが現れたんだそうだね。好物のニシンを追って来たらしいと。堂々たるものだが、近づくと牙をむいて威嚇するので、警官やら町の職員やらが15人がかりで毛布でくるんで押さえ込み、町民の軽トラックで海まで運んで離したそうな。
とどのつまりの「とど」は、トドではなくてボラなんだそうだが、何しろローマ字でトドと書けば to do になる。トドにも人にも、それぞれ為すべきつとめあり、かな。
(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/576737.html)
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既にもっている本を、うっかりまた買ってしまうということがある。先日、誕生日に用意した文庫本を、次男と三男が申し合わせたように不思議そうに眺め、それから顔を見合わせた。普段はそうも思わないが、この瞬間の二人の表情がそっくりである。それに注意の半分を引かれながら、残り半分で自分の失敗に気づいた。
しかしこれは、今さら悔やむような話でもないんだな。反省してみれば、僕は常習犯に近いのだ。ちょっと書棚を眺めてみても、『民約論』と『社会契約論』が同じものだと知らずに新旧両方買っちゃったなんてのはかわいい話で、まるっきり同じ本の同じ版がちゃんとペアになっていたりする。
『知と愛』
『種の起源 上・下』
『ビルマの竪琴』
『白痴・二流の人』
『六段合格の定石』
『楢山節考』
『三屋清左衛門残日録』
『娘の学校』
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あ~あ、それにも懲りず、だ。今日はまた一つ失敗を重ねることを承知で、仕事帰りに一冊買ってくる予定。
『ゲーテとの対話』(エッカーマン)
これ、確かに持ってたはずだけど、調べたいことがあるのにどうしても見つからない。数百円より時間が惜しいから、今日また買ってくる。
無駄、だって?確かにね。
だけど無駄と言ったって、あれに比べれば塵みたいなものだ。あれだよ、あれ。
正当な理由の見当たらない国会解散と総選挙。
いったい幾ら金がかかるか、その間の国会の機能中断で、どれほどの迷惑と無駄が生じるか、その辺をざっとでも申告したうえで、やるならやってほしいものだ。「それでもやります」ってね。
ああもったいない。「もったいない」は日本発の世界語候補だったよな・・・