散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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きれいな心と立派なトド/二重に買った本の数々

2014-11-27 07:32:44 | 日記

2014年11月27日(木)

 ブログを更新できないのは、非常なもどかしさである。そこにあるのに、アウトプットできない。精神の便秘みたいなものだ。今日もタスクは山ほどあるんだが、もうたまらん、せめて少しガス抜きしておかないと、イレウスでも起こしたら命にかかわる。便秘って、怖いんだぞ・・・

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 武宮正樹九段がテレビ解説で「碁を打つと、頭がよくなるというか、心がきれいになるというか」云々と楽しげに話してらした。いかにも「らしい」おおらかで楽しいコメントだが、たぶん少し違うんだな。碁を打てば打つほど頭が悪くなり、心が汚くなる例はいくらでもあるもの。

 頭をよく使わないと上達しない、心をきれいに打たないと楽しめない、

 きっとそんなことなのだ。そうなることを妨げるのは、「勝ちたい」とか「相手をとっちめてやりたい」という邪念である。僕らのようなヘボ碁でも、きれいな心と邪念の相克はちゃんと浮き彫りになってくるし、その機微にプロもアマも違いはないような気がする。ただしプロには、生活と人生のかかる厳しさが加わるけれど、それでも心をきれいに打つことが、逆説的に強さへの王道だというのが武宮流である。

 すべてのプロにとってそうであるかどうかは微妙だと思うけれど、賭け碁で自分を鍛えた坂田栄男師すら、とどのつまりに同じようなことを言ったことが思い出される。

 とどのつまり・・・北海道は斜里の町中に、トドが現れたんだそうだね。好物のニシンを追って来たらしいと。堂々たるものだが、近づくと牙をむいて威嚇するので、警官やら町の職員やらが15人がかりで毛布でくるんで押さえ込み、町民の軽トラックで海まで運んで離したそうな。

 とどのつまりの「とど」は、トドではなくてボラなんだそうだが、何しろローマ字でトドと書けば to do になる。トドにも人にも、それぞれ為すべきつとめあり、かな。

 

(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/576737.html)

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 既にもっている本を、うっかりまた買ってしまうということがある。先日、誕生日に用意した文庫本を、次男と三男が申し合わせたように不思議そうに眺め、それから顔を見合わせた。普段はそうも思わないが、この瞬間の二人の表情がそっくりである。それに注意の半分を引かれながら、残り半分で自分の失敗に気づいた。

 しかしこれは、今さら悔やむような話でもないんだな。反省してみれば、僕は常習犯に近いのだ。ちょっと書棚を眺めてみても、『民約論』と『社会契約論』が同じものだと知らずに新旧両方買っちゃったなんてのはかわいい話で、まるっきり同じ本の同じ版がちゃんとペアになっていたりする。

『知と愛』

『種の起源 上・下』

『ビルマの竪琴』

『白痴・二流の人』

『六段合格の定石』

『楢山節考』

『三屋清左衛門残日録』

『娘の学校』

・・・・・

 あ~あ、それにも懲りず、だ。今日はまた一つ失敗を重ねることを承知で、仕事帰りに一冊買ってくる予定。

『ゲーテとの対話』(エッカーマン)

 これ、確かに持ってたはずだけど、調べたいことがあるのにどうしても見つからない。数百円より時間が惜しいから、今日また買ってくる。

 無駄、だって?確かにね。

 だけど無駄と言ったって、あれに比べれば塵みたいなものだ。あれだよ、あれ。

 正当な理由の見当たらない国会解散と総選挙。

 いったい幾ら金がかかるか、その間の国会の機能中断で、どれほどの迷惑と無駄が生じるか、その辺をざっとでも申告したうえで、やるならやってほしいものだ。「それでもやります」ってね。

 ああもったいない。「もったいない」は日本発の世界語候補だったよな・・・


蜂を養う

2014-11-20 10:47:12 | 日記

2014年11月20日(木)

 「三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほど前である。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百疋ぶら下がっていたのを見付けてすぐ籾漏斗に(もみじょうご)に酒を吹きかけて、悉く生け捕りにした。それからこれを箱へ入れて、出入りの出来るような穴を開けて、日当たりの好い石の上に据えてやった。すると蜂が段々増えて来る。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする、という風に殖やしていった結果、今では何でも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石から卸して、蜂のために蜜を切り取るといっていた・・・」

『三四郎』(第35回)

 

 こんなふうにできるもんなのか。そういえば少し前の液晶ニュースで、銀座あたりのビルの屋上で養蜂が小さなブームになってると聞いた。検索したらすぐに出てきた「銀座ミツバチプロジェクト」、これはいい。

 わが田舎でもできる理屈だ。柑橘類が多いから、オレンジ系の美味しい蜜ができるだろう。

 問題は僕に蜂アレルギーがあることだ。心理的な話じゃないよ、蜂毒に感作されているので、刺されるとけっこう危険なのだ。ミツバチなら平気ってことは・・・ないだろうな。

 

「銀座ミツバチプロジェクト(ぎんざミツバチプロジェクト)は、東京都中央区銀座でミツバチを養蜂するプロジェクトであるとともに、同プロジェクトを運営する特定非営利活動法人(NPO法人)の名称である・・・・」

(http://ja.wikipedia.org/wiki/銀座ミツバチプロジェクト)


選挙

2014-11-20 10:21:17 | 日記

2014年11月20日(木)

 久々にブログが書けて、嬉しくてはしゃいでいる。もっとも、たまっていたタネは楽しいことばかりでもない。

 なぜ今、解散なのか。選挙民としては(正確に言うなら、大多数の人々が自分自身とは違った投票行動をとることを経験的に熟知している一有権者としては)必然性がまったく感じられないが、現政権のもくろみは明らかに見通せる。見え見えの話なのに、阻止する手段のないのが忌々しい。無関心、思惑と結果のねじれ、作為と不作為、不健康と不透明の塊である。

  対照的に先だっての沖縄地方選の結果は、近年まれに見るほど明確至極なものだった。投票率64%強の選挙で得票率50%超、「現職の強み」を勘定に入れれ ば、数字以上のインパクトになる。勝った翁長氏の辞職にともなう那覇市長選は、同じ陣営の前副市長・城間氏が圧勝。投票率は前回39%から65%へ大きく 挙がっての結果である。

 沖縄県民・那覇市民の主張はきわめて明瞭だ。政権党の幹部が「地方選挙であって、基地移転の是非を問う県民投票ではない」と苦い表情で主張したが、まさにそのようなもの「である」ことを裏書きしたようなものだ。

 ただ、ね。

 この結果が出たのが16日(日)、首相が衆院解散を表明したのが18日(火)である。屁とも思っちゃいないのだ。消費税値上げを先送りしておけば、あと大した対策も必要なかろう、相手は朝三暮四のおサルの集団だからと高を括っている。おあいにくさま、僕は早生まれのトリ年だもんね。それでも同じことか、三歩歩けば忘れるからな・・・

 「沖縄が争点になるといいんだけどな」

 「本土の人間が、いかに沖縄を大切にしていないかが分かるだけなんじゃないか」

 「そうなったら独立もありかと」

 「それはそうなんだ、そうなんだけどさ」

 「立ちゆくかってこと?」

 「そっちはたぶん何とかなるんだよ。何しろ素晴らしい立地条件だからね、東アジアのハブとしてやっていける。たださ、」

 「アメリカか」

 「アメリカだ」

 どこかの家の、誰かと誰かの会話ってことにしておいてください。


way out

2014-11-20 09:34:10 | 日記

2014年11月20日(木)

 その昨日の満員電車の中で・・・

 閉塞感は相当苦手な方で、これまでパニック発作も起こさずにきたのが不思議とも思われる。それが突然、奇妙な感覚に襲われた。

 満員の乗客ごと、列車が孤立して海の底だか宇宙空間だかに放り込まれる。

 出口なし、no way out

 そのときまったく別の方角に、すっと口が開く。

 内部というのか、頭上というのか、

 閉塞された身体から、中身が異次元に出て行く。

 中身ってなんだ?

 異次元ってどこだ?

 「ここだ」と呼ぶ声がする・・・