2014年11月20日(木)
戻って昨日のこと。
階段を降りきって驚いた。朝の目黒線ホームに人が溢れている。並んだ人々の最後尾がホームの反対側まで伸びて、その背後にぎりぎり一人が歩ける幅しか残っていない。さすがに珍しいほどの混雑である。三田線の列車故障の影響だとアナウンスが言い訳している。
10分遅れで到着した電車は駅ごとに発車遅れを加算して、溜池山王では25分遅れである。この間、身動きままならぬ車内で30分余りの棒立ちを強いられ、降りた時には膝が固まっていた。こういう時に年齢を感じるのだ。歩いてほぐしながら千代田線のホームに移動したら、千代田線がこれまた遅れだという。こんなことは珍しいが、遅れ自体は毎日頻繁に起きているし、実感として確かに頻度が増している。増す理由があるのだ。
以前は鉄道会社ごとに分離されていた私鉄・地下鉄が、ここ10年ほどで(?)飛躍的に相互乗り入れを進めた。便利なようで大きな不便を生じるのは、前にも書いたとおり。埼玉で起きた小さな事故が、規模を増幅しつつ東京を跨いで神奈川まで波及する。局地的な乱れを吸収するどころか、拡大・発散する厄介な特性 ~ ポジティヴ・フィードバック ~ をこのシステムは必然的に備えている。情報理論の専門家ならたちどころに指摘したはずのことだが、そうした検討は事前に為されただろうか?おおかた、相互乗り入れ促進による利便性の向上と経済効果が強調され、副作用は(不当に)軽視されたのだろう。
この主の「波及的混乱」は、現場の鉄道マン達には相当の負荷になっているはずである。対応に追われる物理的・経済的費用ばかりでなく、精神的ストレスが耐えがたいのではないかしら。そのことをトップは予測したか、配慮したか、それを問いたい。いずれ見直さねばならない時が来るはずだ。
僕にとってもストレスフルである。満員電車の棒立ちなどはエクササイズと割り切るけれど、ちゃんと定刻に家を出たのに、着いた先では最初の患者さんを30分待たすことになった。
これは、不快きわまりない。