散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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話が逆ではありませんか?

2016-07-27 07:28:06 | 日記

2016年7月27日(水)

 話題のポケモンGOについて。

 「特定の場所にポケモンが出現しないよう、削除を申請できる」ということは、裏返せば「特に申請がない限り、あらゆる場所に出現の可能性がある」ということである。「出現する」のがデフォルトで、「削除する」ことにコスト(手間ヒマ)がかかるのが現状。しかしこれは・・・

 やっぱり話が逆ではないですか?「出現しない」のがデフォルトで、「ここなら安全、人々が安心して楽しめる」というエリアを配信側が選択・指定するのがスジではないのかしら。「ポケモンが出る」ことをセールスポイントにして人を呼びたい場所なり施設なりが配信元に申し込み、認証されたらそれを宣伝文句に織り込むことにすれば良い。話がずいぶん簡単になると僕は思うのだが。

 現状において、配信元とユーザーは公的空間を堂々と私(わたくし)している。それが当然のこととしてまかり通るのがどうもよく分からない。土曜日のGさんのコメント ~ 「昨今は点字ブロック上を歩いていても、スマホ歩きが突っ込んできて恐ろしい」という呟きを、少しだけ真剣に受けとめてほしい。相模原の事件では容疑者が「重度知的障害者は生きている意味がない」と公言していたそうだが、これをどの程度「他人事」とできるだろうか。Gさんのコメントを聞きながら気にも止めないとしたら、それは「ワタシの楽しみは視覚障害者の安心や安全に優先する」と言ってるのと同じだ。あるいは「視覚障害者はケガが恐ければ家に引っ込んでいろ」というのと変わらない。

 自律できてないと思いますよ。

Ω

 

 


34回生一堂に会す

2016-07-26 07:28:13 | 日記

2016年7月24日(日)

 同窓会の集まりがあり、新橋へ出かけた。医大卒業30周年である。医大と言ったが、大学名にもあるとおり医科と歯科が対等に併設されているのがちょっとした自慢。入学時はそれぞれ定員80名の新入生を一塊に混ぜ、50音順に三分してA,B,C組にしたので、教養の二年間は誰が医科か歯科かさほど意識もせず友だちづきあいしていた。

 その時分に体育の指導をしていただいたM先生が、何と何と今週から放送大学の博士課程に入学なさり、僕は教え子転じて指導教員となった。紅顔の美青年も今や白頭翁、しかし目の輝きと知性の俊敏はますます明かで、人生を長く楽しめるこの時代をありがたく思う。M先生のおっしゃるに、現在では教養課程は一年間に短縮され、しかも週に一日は御茶ノ水キャンパスで過ごすという具合で、学生にとっての教養課程の意味づけが著しく希薄になっているそうだ。(医科歯科は教養課程が千葉県市川市、専門課程が文京区御茶ノ水に分かれて存在する。)教養課程を維持すること自体、昭和を知り20世紀を知る先生方の信念なり根性なりに依存しているところがあるらしい。何をか言わんやである。

 話を戻せば、医学部と歯学部を併設しているところは多くない。首都圏の国立では僕らの母校だけで、東大も千葉大も歯学部はもたない。というより全国を列挙しちゃった方が早いか。北海道・東北・東京医科歯科・新潟・大阪・岡山・広島・徳島・九州・長崎・鹿児島の11大学に、公立の九州歯科大、他に私立17大学を数える。阪大教授であった岳父と初めて会ったとき、僕の出自を彼が大いに喜んでくれた理由のひとつが「歯学部」だった。

 懐かしくはあるものの、卒業後は去る者日々に疎しのたとえ通りで、合同の同窓会も10年ぶりである。月に一回手伝いに行くクリニックのA君が、フットワークの軽さと明朗な性格そのままに終身幹事の役回り、その指名で医学部側の司会を仰せつかった。歯学部側のI君とふたり、みんな話は山ほどあるから時間管理には難渋したが、おかげで全員のスピーチをかぶりつきで聞くことができたのが大きな役得である。医学部47名、歯学部30余名、楽しそうに話していった。

 ただし、過去一年間に他界したものが医歯あわせて3名ある。皮肉にも僕らのような他大学卒の年長組ではなく、まさに志半ばで成人病に足をすくわれた形である。会の始めに黙祷、そういえば1982年の解剖学実習室で実習開始時の黙祷の号令をかける役も、なぜか僕に振られたことを思い出した。その時「君がやれ」と命じた佐藤達夫先生が、同窓会長として来賓席にある。一所同心ながら思い出も思いも様々である。

 長身のK君、軟式庭球の達人で屈託のないスポーツマンだった彼が、数年前に思いがけない病気でICUに搬送され、危うく命を拾ったことをスピーチで語った。「今は、すべてのことの感謝しながら日々の外科臨床にあたっています」と笑顔で結ぶ。

 またしても聞く「感謝」、人生のキーワードらしい。

  

Ω


笑いと微笑

2016-07-24 23:02:20 | 日記

2016年7月24日(日)

 ほい、見つけた。

*

 「彼女はそう言って微笑った。いままでの生涯がずっとこうだった。オスカルが笑うと、彼女は微笑わないでいられなかった。」

*

 「笑う」は lachen、「微笑う」はlächeln、原著者の使い分けを訳者も正確に踏襲している。キュルツ親方が巨腹を揺すって呵々大笑すると、おかみさんのエミリエが思わず微笑む、そのようにして肉屋の御夫婦は幾星霜を生き抜いてきたのである。

 ケストナーは最高、訳者・小松太郎もちゃんと仕事をしている。人生捨てたもんじゃない。

 Ω


理論(セオリー)の効用とケストナーの思い出

2016-07-24 10:02:46 | 日記

2016年3月23日(土)

 話が日中のことに戻るが、試験監督といっても全て分かっているGさんのことなので、彼が問題に取り組んでいるあいだはこちらも「死生学入門」のおさらいなんかしたりする。最終章の冒頭に、山崎先生が非常に良いことを書いておられるのを再読。

 「英語には ”What’s your theory?” という日常表現があり、意訳すれば「あなたの考えは?」または「君の仮説は?」となる。日本語では「理論」とふつう訳される ”theory” という語が、英語では日常会話で使われていることと、その意味を「考え」や「仮説」という「理論」よりは堅苦しくなく縁遠い印象も薄い日本語で表せるという事実は、思っている以上に理論が私たちにとって身近で幅のあるものであることを示唆している。(中略) 理論とは、関心を同じくする人々が物事を把握したり事態を改善したりしてゆくうえで、欠かせない共通言語であり基盤なのである。」(『死生学入門』P.240)

 おっしゃる通りで、こういった学問論こそ必須の教養というものだけれどだけれど、ちょっと思い出すことがあってここはクスリと笑った。敬愛置くあたわぬエーリヒ・ケストナー、イザベルさんも大好きな作家の『消え失せた密画』(小松太郎訳)、終わり近くにこんな会話がある。

*

 「どうしてわたしに一言もいわなかったの?わたしも子どもたちも死ぬほど心配したじゃないの?ベルナウへ行ってくるなんて?」

 「ほんとうにベルナウへ行くつもりだっただ」

 彼は考えながらそう言って、

 「つまり、こりゃあ、わっしの理論(セオリー)だっただ」

 「理論(セオリー)?」と、彼女は訊いた。

 「そうさ、理論(セオリー)ちゅうのは外国のことばでな、真っ赤な嘘ちゅうことだ。そのほうが人聞きがいいだでな」

 彼は笑った。

 「インチキねえ!」

 彼女はそう言って微笑った。いままでの生涯がずっとこうだった。オスカルが笑うと、彼女は微笑わないでいられなかった。もっとも、彼はあんまり笑うこともなかったが、しかしそれは彼女の責任だった。

(創元推理文庫 P.236-7)

*

 ベルリン在住の肉屋の親方オスカル・キュルツが、突然「そぞろ神につかれて」小出奔をしでかし、コペンハーゲンなんぞを訪れる、そこからこの愉快な物語は始まっている。上記は帰宅した夫を妻のエミリエがとっちめるところで、何度読み返しても登場人物たちが愛おしくて仕方がない。ケストナーは文句なしに素晴らしい。

 それはさておき、面白いのはドイツ語にちゃんと Theorie という名詞が存在することである。親方はスリリングな旅の途上で若い友人たちからこの言葉を教わり、教える方は別段ギリシア語やラテン語の由来に遡ってではなく、ドイツ語の Theorie について語るのだが、親方はてっきり外国語だと思い込んだ。それは無教養な庶民に対する揶揄というよりも、庶民生活から遊離した学問へのケストナー一流の風刺として働いているだろう。ちなみにケストナーの母方の叔父たちは実際に肉屋を営んでおり、これらの親族がケストナー作品にはモデルとして繰り返し登場する。その一人を回顧したエッセイ『Mein Onkel Franz フランツ叔父さん』は、教養課程ドイツ語の僕らのテキスト(関先生ではないクラスの)でもあった。

 この場面は、「理論」という言葉と概念を日常化する作業が、決して日本人だけの課題ではないこともあわせ教えてくれる。ただしケストナーの原作が1935(昭和10)年に書かれていることを、念のため注記しておく。1934年ヒトラー総統就任、1935年ドイツ再軍備宣言、1936年ベルリンオリンピック開催、1938年オーストリア併合・・・その時期に書かれた逸品である。今のドイツ人は、Theorie という言葉をどの程度どのように使いこなしているのだろう。それはテロとの戦いに、力を与えてくれているだろうか。

Ω


今どき無意味な点字ブロック

2016-07-24 09:10:25 | 日記

2016年7月23日(土)

 専任教員は障害のある学生さんの別室受験担当というのが、このセンターの流儀である。実際には事務担当のMさんがほとんど全てやってくれて、教員の仕事は開始・終了の合図とマークシートへの転記ぐらい。

 今日の別室受験は全盲のGさん一人だけ、こういうことは珍しい。予定表では一限から八限までの間に、パラパラと受験科目が散らばっているが、「変更がありまして」とMさん。夕方から地元の花火大会で一帯に相当の人出がある、それに巻き込まれるとGさんが立ち往生する危険があるので、20分の休憩をはさんで前倒しで試験を行い、早く解放してあげる予定という。なるほど適切な配慮である。

 「ポケモンGOが昨日から配信されてるし」

 「そうそう、余計あぶない」

 笑ったが笑いごとではない、Gさんのおっしゃるには、最近は点字ブロックを踏んで歩いていてもスマホ歩きが正面から突っ込んでくる、青信号で横断歩道を歩いていても前後を自転車がかすめていく、危険きわまりないという。

 「帰りはどうぞ気をつけて」と言ってから、「ほんとは目あきが気をつける話なんですよね」と皆で苦笑した。

 Gさんは屈託もなく、休み時間に僕をつかまえて統合失調症の友人にどういう配慮をすべきかなどと尋ねてくる。さらに、半年前の冬の試験の時は僕の声にどこか緊張が感じられた、何かストレスがありはしなかったかと問われた。

 聞くことへの集中度ではとても比較にならない。目あきはごまかせてもこの人々は偽れないと思いながら、さて一月末頃何があったっけと考えた。思い出せないが何かあったのだろう。

 Gさんは午後早々に無事退出。僕はいちおう待機を続けてビルを出たのが午後7時。バス通りは臨時の歩行者天国で、そこを荒川縁に向かうユニクロ浴衣の流れが一面に埋めている。勝手知ったる裏道に回っても、どの分枝もすべて逆方向の人波ばかりで、少し怖くなった。テロリストの草刈り場みたいなものだ。

 さまざまな国の言葉が浴衣の人波から聞こえてくる面白さを味わう余裕もなく、どうにか北千住駅まで無事到達。Gさんを早く帰したのは、間違いなく事務担当者の隠れたファインプレーであった。

 Ω