先日、東北の方へ災害復興ボランティアへ行っていました。
ほんとは震災後すぐに行きたかったけれど、春のカヤックシーズンに入ると以降なかなか身動きが取れないので、やきもきしていました。
もちろんメディアの情報や人の聞きづてなどでイメージはしていましたが、実際に見ないと分からない破壊のリアルさ、ボリューム感はすさまじいものがありました。
誰でもそうだと思いますが被災地の現場に立つと、
「脳みそ」ではおよそ思い描けなかったその圧倒的な無残さを突き付けられ
ドーンと自分の身体にのしかかってくるようで、
涙があふれ震えが止まりませんでした。
そしてこれが夢ではなく現実なんだと思うと、
世界って何なんだろうと思えてきます。
気仙沼と南三陸町でボランティアを手伝った後、車で石巻あたりから宮古市の田老海岸までドライヴして見て回りました。三陸海岸も以前カヤックで日本一周した折に全部漕いだことのあるゾーンでしたから記憶の糸をたぐり寄せつつ、細い道に入っていったりかなりこまごまと巡りました。当時立ち寄ってテントを張った浜や港はすべて跡形もなく消し去られていました。そこで知り合った漁師のおっちゃん達の消息も全く掴めない。所々で泊めていただいたり、酒宴に招いてもらったりしたこともあったけれど、どこもかしこも集落そのものが消滅していたので場所の記憶がなかなか像を結びませんでした。ここだったかな、あそこだったかなと回っているとやがて当時出会った人たちの心やさしさや温かみの感触だけがエッセンス的にダーっと胸にこみあげてきて、しばしどうしようもない感情になったりしました。
カヤック旅で三陸を通過しているとき、いつかもっとじっくり漕いで回りたいと思ったものです。リアス式の三陸海岸は起伏、変化に富み簡単に人が入れない秘密めいたゾーンが山ほどあり、湾・入江ひとつひとつ入ってその海岸美を舐めるように漕ぐべき、日本屈指のフィールドです。日本一周旅の時はペース配分もありますから、それほど隈なく見て回るわけにはいかない、見るべきところの数十分の1くらいもタッチできていなかったように思います。なのでいつかまた三陸へ行こうと思っていたのですが、それがこういう機会になろうとは・・・。
「津々浦々」という言葉は、港や漁村を意味しますが、海岸線の長大な距離に渡り、まさに津々浦々、完膚なきまでに壊滅状態になっていました。がれきの前に立つと、これを一体どうするんだろう、これからどうなっていくんだろう、と呆然としますが、やはり少しずつでも、カタツムリのようにでも復興の道を歩むしかない。ひとつ気付いたことは、三陸海岸は津々浦々、漁業を主軸に回ってきた漁師町の集合であり、海の恵みの恩恵を受けて生きてきたわけです。中学、高校を出てすぐ海の世界に入り、オッチャンになるまで海一筋で生きてきた人たちの頑張りで成り立つエリアと言ってもいいでしょう。今回もそういう人たちに出会い、いろんな話を聞かせていただく機会もありました。彼らは、海の脅威に痛めつけられたわけだけれど、結局は元通り海の恩恵を受ける生活に戻らざるを得ない。生き残って船も残っている人は、すでに漁に出ています。船がなくなった人も、よそから中古を譲り受けたり、いろんな方法で漁業を再開しようと頑張っている。それが悲惨な災害後の元気を振り絞る原動力になっている。今回改めてわかったように三陸沖は世界一怖い海ですが、逆に世界の3本の指に入る豊かな漁場でもあります。古来より喜びと悲しみを繰り返してきた海の民の土地なのだ。そういう二律背反する、皮肉というか重いというか哲学的というか、運命・宿命を、三陸海岸に生きる人々は背負っています。
だからぼくはまず、復興のためには何より三陸の魚をガンガン食べ、また魚だけでなく東北の米、野菜、果樹を集中的に流通させ消費する、という流れを日本全体で後押しするようなうねりを作り出すことが大事なんじゃないかなあと思うのですが、そこに立ちはだかるのが原発事故の問題ですね。よりによって、「悪魔ってこういう手を使うんだな」というくらい、逆の意味でものすごい手です。あまり言うべきではないのかもしれないけれど、福島原発からの高濃度汚染水により、三陸の魚、正直言って食うのビビります。ぼくはある程度海のことを学んでいるので、だいたい分かります。野菜類も同じで、スーパーに行っても関東より上の産地表示のものは避けちゃいます。これは風評被害や差別ではなく、一般人の普通の感覚、しごくまっとうな意識なんですね。
慣れっこになって、放射能のヤバさに対する危機意識を薄れさせるのは、あらゆる意味で非常によくないことです。
災害以外にもいろいろと無茶苦茶な時代ですが、だからこそ普通の感覚を、無くしちゃったら終わりだと思って生きていますから。
原発ってのは、悪魔以下の最低最悪のシロモノなんだと思います。
地獄の苦しみを味わう東北の人たちを助けたくても助けられない、元気づけたくてもできないという障害は、当事者ではないぼくら一人一人に対しても暗い影を落とします。そういうところをコストの計算に入れず、想定外ってことにしておいて、未だにチープ&クリーンで地元が潤い経済が回るエネルギーだと言っている人のイマジネーションの貧困さには、信じがたいものがありますね。
ゼニの魍魎にとりかれて、普通の神経が消し飛んでしまってんだろうね。
自分で商売をしていると、実はそういう心理も結構わかるところはあります。
別にマルクス主義がどうこうとかではなく、普通の感覚が消えちゃうという意味において、現在の高度資本主義経済の魍魎ってのは、かなりやばいものだと思います。
原発やそれにまつわる利権というものは、いずれにせよ、魑魅魍魎とか、そういう類いが跳梁跋扈するシロモノだと言えましょう。
東北の復興、第一次産業がダメとなると、やはりよく言われるように新エネルギー開発の経済特区にするしかないのかもしれません。そのジャンル、日本では立ち遅れているけれど世界ではすごく需要がありますからね。
だけど今の日本は、内向きで動きも遅いですから、ヴィジョンが全然見えてこないですね。
ヴィジョン、全くない現状のもと、東北は2重苦、3重苦、日本の矛盾、ひずみを背負わされる格好になっています。
こういう流れで一番良くないのは、風化し忘れられていくことでしょうね。それは、ひずみを背負わされた状態で切り捨てられていくことを意味します。ここ関西でも、なんとなく対岸の火事的なものになりつつある空気も感じられますが、根本のところで非常に繋がってるんですよね。「心はひとつだ」とかそういう感情的な意味を除いたとしても、産業とか経済とか世相とか時代の空気とか流行とか、全部シンクロしているわけで、そういう意味でもすべての日本人が必ず知っておくべき、そして意識に顕在化し続けておくべき現実が東北にあると言ってもいいかと思います。
ボランティアもまだまだ必要な地区がたくさんあります。災害復興ボランティアはスーパーマンだろうと凡人だろうと同じで、一人より2人、2人より5人10人100人と、人海戦術がものをいう世界です。
時間のきく人は、行っておいたほうがいいのではないでしょうか。
と、今回のブログは長くなりましたが、写真は三陸の碁石海岸の景色。
三陸海岸はシーカヤック的にも素晴らしいフィールドなんですね。
シーカヤックも一番大事なのはイマジネーションです。
いつか復興ツアーをしたいなと思っています。