プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

山河破れて関電あり

2012-07-26 23:16:42 | 震災や原発に関連する事
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 むかし、
 国破れて山河あり。

 今、
 山河破れて東電あり。
 山河破れて関電あり。
 山河破れて20世紀の魑魅魍魎の跳梁跋扈あり。

 ここんところ忙しい合間を縫って、
 先日、関電の本社前に原発反対デモに行きました。
 というか、
 別に反対も賛成もなくただただ、
 危ないものをいらんと言うだけの話なんだけどね。
 家の庭に不発弾が転がってたら
 危ないからどけてくれと言うのと一緒。

 福島もやばいけれど、
 大飯原発がもし事故を起こしたら、
 日本終わりだからね。

 日本は20世紀の亡霊にとり殺されようとしているのかもしれない。
 なんでそのことを言う霊能者がいないのだろうか?
 非常に不思議に思う。
 
 元々原発って、第二次大戦後、米ソの冷戦時代、
 日本国がやがて核兵器を持ちたいがため、
 その一環として導入されたんですね。
 核兵器に使うプルトニウムをウランから抽出する技術の
 開発のために。

 で、その後石油ショックの際には、
 中東からの原油供給危機に瀕した際のための
 電気安定供給という名目。
 
 そして昨今では地球温暖化対策のためという面が
 強調されている。(本当は圧倒的な温排水を出すので、
 むしろ温暖化に加担している)

 まあ、時代によってコロコロ名目が変わっていくんだけど、
 そもそもの始まりはやはり冷戦時代の核に対する考え方が
 根本にあるんだよね。
 20世紀の産物ね。

 20世紀とは戦争と核の世紀だった。
 その産物ですね。

 今は20世紀の旧来的価値観と、
 21世紀に来たるべき新しい価値観がせめぎ合ってる時代で、
 前者が後者を犠牲にしつつ、
 何とか逃げ切りを図ろうとしている時代だともいえるかもしれません。

 日本は20世紀の亡霊にとり殺されようとしているのかもしれない。
 なんでそのことを言う霊能者がいないのだろうか?
 非常に非常に不思議に思う。

 福島原発事故もすでに日本の自然、環太平洋の海を
 相当ひどい状態にしてしまっているのですが、
 もし若狭の原発が事故ったらその比じゃないくらい、
 日本は終わります。
 
 それが分からん人は相当の自然音痴じゃないかな。

 しかし、そうなっても関電はのうのうとのさばるんだろうね。
 東電がのうのうとのさばっているように。

 山河破れて電力会社あり。
 山河破れて原子力ムラあり。
 山河破れて天下りあり。
 山河破れて先送り体質あり。
 山河破れて20世紀の亡霊あり。
 山河破れて20世紀の魑魅魍魎の跳梁跋扈あり。


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数万年後のことを考える

2012-07-20 22:44:45 | 震災や原発に関連する事
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 今のプルトニウムは数万年後も残る。

 では原発は?
 ただの湯沸かし装置であるそんな粗末なものは
 残っていないだろう。

 では無駄なモノを大量に作って大量に消費する、
 今の便利文明は?

 多分残っていないだろう。
 ていうか、もっと高度な社会になり、
 「20世紀から21世紀初頭って、
 ほんとにローテックで野蛮な、
 人類にとって恥ずかしい時代だった。
 あの時代の連中は、
 空前絶後に困ったちゃんだった」
 と言われているように思う。
 
 ではシーカヤックは数万年後残っているか?
 うむ、そう考えると、多分残っているだろうと思われる。
 考えれば考えるほど残ってるだろうと思う。

 なぜなら今のところ未熟なレベルの
 「自然との共生」という思想やそれを具現化する技術も、
 さすがに数万年も経てばかなりの水準になっているはずで、
 そうでなければもう人類は地球上で生きていけないからである。

 そんな中でシーカヤックってのは、
 人間の身体の構造が変わらない限り、
 「海や自然の鼓動に最も敏感なる乗り物」
 という面も変わらないだろうから、
 残っているどころか、もっともっと繁栄し、
 洗練された世界的カルチャーになっているだろうよ。

 海が干上がっていない限り、
 そう断言できるね。

 そう考えると、大飯原発再稼働後のこの閉塞状況下でも、
 「あほらしい、やーめた」とならず、
 踏みとどまれるようだ。

 ずーっと存在し続ける価値のあるものだから、
 今は今でベストのカヤッキングをしよう、
 という折り合いの付け方。


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日本の21世紀

2012-07-20 22:14:48 | 震災や原発に関連する事
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 以前のブログで、

 「原発を終わりにすることで新たな日本はようやく始まる。
 逆に、再稼働すると日本そのものが終わる。
 未来へのスピリットを殺すことによって、
 既得権益層だけがだらだらと逃げのびるスタイルを
 採用するわけだから。」

 と書きましたが、ああ、
 大飯原発が再稼働しました。
 またこれを皮切りに、
 ドミノがパタパタ倒れるように、
 あちこちで再稼働するのだろうか?

 原発にしろ、消費税増税にしろ、
 「まあ仕方ない」と思っている人の方が世の中多いけれど、
 確かに、
 「既得権益層だけがだらだらと逃げのびるスタイル」
 を維持するためには「仕方がない」のだけれど、
 そんなの勘弁だと思っている者にとっては
 「冗談じゃないぜ」の世界です。

 バブル以降、社会の舵取りを大きく変えなきゃいけなかったのに、
 なまじ裕福で「ただちに影響はない」状況だったので
 それをキープすべく、
 つぶれるはずの銀行とかゼネコンとかを公的資金投入で救い、
 問題先送り体質になりました。

 以来世の中は、
 新製品とか「モノ系」は目まぐるしく変化するけれど、
 価値観とか生き方とか考え方とかシステムは全然変化せず古いままで、
 ちょっとずつちょっとずつ老朽化し、
 一方世界の流れはどんどん新しく変わっていきました。

 ぼくが毎年海外あちこち旅するのも、
 日本から離れて世界を見ることによって日本を冷静に捉えたい、
 という意識もあるのですが、
 そろそろほんとにヤバイよなあ、と思ってしまいますね。

 政・官・財・マスコミ、
 農林水産業、各種業界・・・、
 日本独特のムラ社会の既得権益層が、
 だらだらと逃げ切ったあとに残る、さまざまな負債。

 原発を終わりにすることはひとつの新しい流れへの
 大きな舵切りとなりえるものだったのに、
 この閉塞感、絶望感、怒りたるや・・・、
 ここ最近ブログをあまりアップしていなかったのも、
 何をどう述べていいのか分からんかったからですね。

 日本はいつになったら21世紀が来るのだろうか?


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岬の先端にて

2012-06-19 17:26:21 | 震災や原発に関連する事
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 先日の福井高浜ツアーは前線接近による荒天が心配されましたが、
 意外と穏やかなコンディションとなり、楽しむことができました。
 
 四国から紀伊半島南岸にかけて前線が掛かり
 そちら方面では大雨強風に見舞われたようですが、
 近畿北部には掛かっておらず、
 ちょうど前線から逃げてきた格好になったわけです。

 この海岸線も洞窟海岸、白砂&松林海岸、神々しい断崖絶壁海岸と、
 見どころの多いよいフィールドなのですが、
 右に行くと大飯原発や美浜原発や敦賀原発、左に行くと高浜原発というふうに、
 右を見ても左を見ても原発だらけで、
 やはり非常に複雑な気持ちになりました。

 そして今回、大飯原発再開が決定したというタイミングでのツーリング。

 一番上の写真は高浜原発そばの音海の断崖で、
 そのスレスレを漕ぐと、
 人間の領域を遥かに越えた圧倒感に神秘性を覚えます。

 二番目の写真はそのそばにある高浜原発を海上から眺めたものです。
 原発をこんなに間近に見ると、
 その底しれぬ不気味さというか超越感に、
 また別の意味での神秘性のようなものを覚えます。

 そして自分の中で両者のフィーリングがクロスしそうになり、
 それに必死に抗おうとする意識が芽生えます。
 「自然のフィーリングに敏感な、
 シーカヤッカーとしてのおれの詩的な感性が、
 こんな妖怪じみたものにレイプされてたまるか」
 という意識です。

 感覚の鋭いシーカヤッカーはみんなそうなるんじゃないかな。

 よくよく考えるとこの岬には縄文時代の遺跡があり、
 岬の圧倒的な迫力、スケールに神々しいものを見た古代人は
 神を祭っていましたが、
 そこに原発を建てるというのは非常に象徴的なことだなと思えてきます。

 聖地的場所において・・・、
 ①自然を尊ぶ縄文人は神をまつり、
 ②便利文明を尊ぶ現代人は原発をまつる・・・。
 誰か優れた深層心理学者の考察を聞いてみたくなる、
 興味深い事象だと思います。

 また和歌山から福井までダーっと走ってきてまず気付くことは
 建物の豪華さ、きれいさですが、
 これも原発誘致による豊かさだと考えると、
 複雑な気持ちになります。

 和歌山の原発候補地は、
 全て反対され白紙撤回されたことによって、
 この福井に関電の原発が集中することになったわけですが、
 そう考えると、
 魂を売って裕福さを享受するより、
 ビンボーのままを選んだ和歌山の
 ダサさも捨てたもんじゃないなと思えてきます。

 今回の高浜ツアーでは大飯原発の再稼働のニュースと重なる時期の催行ゆえに、
 楽しく過ごしつつも、
 色んなことを考えさせられました。
 また同じタイミングでオウム真理教の高橋容疑者が逮捕されましたが、
 ぼくはオウムのサリン事件よりも原発事故や再稼働の方が遥かに罪深いと思っています。


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始まりの終わりか、終わりの始まりか

2012-05-07 09:42:55 | 震災や原発に関連する事
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 5月5日に泊原発3号機が停止し、現時点で日本の原発がすべて停止状態になりました。
 このまま終わりにしてもらいたいもんです。

 別に原発はなくても、電力は困らない。
 しかしこれまで54基も作ってきた。
 どういうことを意味しているのだろう?
 国策? じゃあなんのために?
 どういうヴィジョンで、誰のために?

 突っ込みどころ満載だけど、マスメディアはあまり突っ込まない。
 なぜか?
 そのこととその本質に関連する社会の微に入り際にわたる様々な事象を考えるとしばし、日本が嫌いになる。

 だけど永久停止してくれると、それすらどうでもよくなる。
 このまま原発、終わりにしてしまえば、反対も賛成もどっちでもよくなる。
 なぜか?
 ないわけだから、
 「ガタガタ言ってもしゃあない」次元に入るからね。
 (これまでは、「あるわけだからガタガタ言ってもしゃあない」の世界だった。それが裏返るというわけだからどんなにすがすがしきことだろうか)。

 被害やリスクを特定できない巨大な化け物館、
 出した汚染物質を処理すらできない幼稚な怪物、
 最初からいらなかった。

 原発を終わりにすることで新たな日本はようやく始まる。
 逆に、再稼働すると日本そのものが終わる。
 未来へのスピリットを殺すことによって、
 既得権益層だけがだらだらと逃げのびるスタイルを
 採用するわけだから。


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スマトラ島沖地震

2012-04-12 07:10:27 | 震災や原発に関連する事
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 またスマトラ島沖でデカイ地震がありましたね。
 前回2004年にあった大地震の余震だということで、
 それほど大きな津波も起こらず、大災害には至っていないということで、
 思わず一安心しました。

 震源のあたりからアンダマン・ニコバル諸島や
 ミャンマー、タイ、マレーシア沿岸は東南アジア屈指の多島海。
 これまでトリップで訪れてきたし、
 これからも訪れるわけだから、気が気じゃない。

 沿岸の人たちの無事を祈ります。

 それにしても、ああいう地震を起こすような
 地質世界の時間スケールっていうのは、
 何万年とか何億年とかという単位で動いていて、
 人間の人生サイクルを遥かに超えていますね。

 よく考えると、数十億年前の最初の地球は「超パンゲア」という
 ひとつの大陸で、そこから数億年前に二つの大陸に分かれさらに変化していき、
 今現在の世界地図の配置になったのはせいぜい数十万年前なわけですね。

 ってことは、地球はずっとガンガン揺れ、大地は削られたり盛り上がったり、
 くっついたり離れたりを繰り返しているわけですね。

 5年とか10年とか20年とか後まで余震の警戒が必要だと聞いた時、
 「そんな長い時間まで影響があるんかいな」とぼくらは驚きますが、
 地質世界の時間感覚からすればほんの一瞬にすぎないわけで、
 それを思うとなんというか、色々考えさせられます。
 考えさせられるけれど、脳みその範疇を越えたスケールの世界です。


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見ておくべき現実とイマジネーション

2011-12-02 13:36:10 | 震災や原発に関連する事
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 先日、東北の方へ災害復興ボランティアへ行っていました。
 ほんとは震災後すぐに行きたかったけれど、春のカヤックシーズンに入ると以降なかなか身動きが取れないので、やきもきしていました。

 もちろんメディアの情報や人の聞きづてなどでイメージはしていましたが、実際に見ないと分からない破壊のリアルさ、ボリューム感はすさまじいものがありました。
 誰でもそうだと思いますが被災地の現場に立つと、
 「脳みそ」ではおよそ思い描けなかったその圧倒的な無残さを突き付けられ
 ドーンと自分の身体にのしかかってくるようで、
 涙があふれ震えが止まりませんでした。

 そしてこれが夢ではなく現実なんだと思うと、
 世界って何なんだろうと思えてきます。
 
 気仙沼と南三陸町でボランティアを手伝った後、車で石巻あたりから宮古市の田老海岸までドライヴして見て回りました。三陸海岸も以前カヤックで日本一周した折に全部漕いだことのあるゾーンでしたから記憶の糸をたぐり寄せつつ、細い道に入っていったりかなりこまごまと巡りました。当時立ち寄ってテントを張った浜や港はすべて跡形もなく消し去られていました。そこで知り合った漁師のおっちゃん達の消息も全く掴めない。所々で泊めていただいたり、酒宴に招いてもらったりしたこともあったけれど、どこもかしこも集落そのものが消滅していたので場所の記憶がなかなか像を結びませんでした。ここだったかな、あそこだったかなと回っているとやがて当時出会った人たちの心やさしさや温かみの感触だけがエッセンス的にダーっと胸にこみあげてきて、しばしどうしようもない感情になったりしました。
 
 カヤック旅で三陸を通過しているとき、いつかもっとじっくり漕いで回りたいと思ったものです。リアス式の三陸海岸は起伏、変化に富み簡単に人が入れない秘密めいたゾーンが山ほどあり、湾・入江ひとつひとつ入ってその海岸美を舐めるように漕ぐべき、日本屈指のフィールドです。日本一周旅の時はペース配分もありますから、それほど隈なく見て回るわけにはいかない、見るべきところの数十分の1くらいもタッチできていなかったように思います。なのでいつかまた三陸へ行こうと思っていたのですが、それがこういう機会になろうとは・・・。

 「津々浦々」という言葉は、港や漁村を意味しますが、海岸線の長大な距離に渡り、まさに津々浦々、完膚なきまでに壊滅状態になっていました。がれきの前に立つと、これを一体どうするんだろう、これからどうなっていくんだろう、と呆然としますが、やはり少しずつでも、カタツムリのようにでも復興の道を歩むしかない。ひとつ気付いたことは、三陸海岸は津々浦々、漁業を主軸に回ってきた漁師町の集合であり、海の恵みの恩恵を受けて生きてきたわけです。中学、高校を出てすぐ海の世界に入り、オッチャンになるまで海一筋で生きてきた人たちの頑張りで成り立つエリアと言ってもいいでしょう。今回もそういう人たちに出会い、いろんな話を聞かせていただく機会もありました。彼らは、海の脅威に痛めつけられたわけだけれど、結局は元通り海の恩恵を受ける生活に戻らざるを得ない。生き残って船も残っている人は、すでに漁に出ています。船がなくなった人も、よそから中古を譲り受けたり、いろんな方法で漁業を再開しようと頑張っている。それが悲惨な災害後の元気を振り絞る原動力になっている。今回改めてわかったように三陸沖は世界一怖い海ですが、逆に世界の3本の指に入る豊かな漁場でもあります。古来より喜びと悲しみを繰り返してきた海の民の土地なのだ。そういう二律背反する、皮肉というか重いというか哲学的というか、運命・宿命を、三陸海岸に生きる人々は背負っています。

 だからぼくはまず、復興のためには何より三陸の魚をガンガン食べ、また魚だけでなく東北の米、野菜、果樹を集中的に流通させ消費する、という流れを日本全体で後押しするようなうねりを作り出すことが大事なんじゃないかなあと思うのですが、そこに立ちはだかるのが原発事故の問題ですね。よりによって、「悪魔ってこういう手を使うんだな」というくらい、逆の意味でものすごい手です。あまり言うべきではないのかもしれないけれど、福島原発からの高濃度汚染水により、三陸の魚、正直言って食うのビビります。ぼくはある程度海のことを学んでいるので、だいたい分かります。野菜類も同じで、スーパーに行っても関東より上の産地表示のものは避けちゃいます。これは風評被害や差別ではなく、一般人の普通の感覚、しごくまっとうな意識なんですね。
 慣れっこになって、放射能のヤバさに対する危機意識を薄れさせるのは、あらゆる意味で非常によくないことです。
 災害以外にもいろいろと無茶苦茶な時代ですが、だからこそ普通の感覚を、無くしちゃったら終わりだと思って生きていますから。

 原発ってのは、悪魔以下の最低最悪のシロモノなんだと思います。
 地獄の苦しみを味わう東北の人たちを助けたくても助けられない、元気づけたくてもできないという障害は、当事者ではないぼくら一人一人に対しても暗い影を落とします。そういうところをコストの計算に入れず、想定外ってことにしておいて、未だにチープ&クリーンで地元が潤い経済が回るエネルギーだと言っている人のイマジネーションの貧困さには、信じがたいものがありますね。

 ゼニの魍魎にとりかれて、普通の神経が消し飛んでしまってんだろうね。
 自分で商売をしていると、実はそういう心理も結構わかるところはあります。
 別にマルクス主義がどうこうとかではなく、普通の感覚が消えちゃうという意味において、現在の高度資本主義経済の魍魎ってのは、かなりやばいものだと思います。
 原発やそれにまつわる利権というものは、いずれにせよ、魑魅魍魎とか、そういう類いが跳梁跋扈するシロモノだと言えましょう。

 東北の復興、第一次産業がダメとなると、やはりよく言われるように新エネルギー開発の経済特区にするしかないのかもしれません。そのジャンル、日本では立ち遅れているけれど世界ではすごく需要がありますからね。
 だけど今の日本は、内向きで動きも遅いですから、ヴィジョンが全然見えてこないですね。
 ヴィジョン、全くない現状のもと、東北は2重苦、3重苦、日本の矛盾、ひずみを背負わされる格好になっています。

 こういう流れで一番良くないのは、風化し忘れられていくことでしょうね。それは、ひずみを背負わされた状態で切り捨てられていくことを意味します。ここ関西でも、なんとなく対岸の火事的なものになりつつある空気も感じられますが、根本のところで非常に繋がってるんですよね。「心はひとつだ」とかそういう感情的な意味を除いたとしても、産業とか経済とか世相とか時代の空気とか流行とか、全部シンクロしているわけで、そういう意味でもすべての日本人が必ず知っておくべき、そして意識に顕在化し続けておくべき現実が東北にあると言ってもいいかと思います。
 ボランティアもまだまだ必要な地区がたくさんあります。災害復興ボランティアはスーパーマンだろうと凡人だろうと同じで、一人より2人、2人より5人10人100人と、人海戦術がものをいう世界です。
 時間のきく人は、行っておいたほうがいいのではないでしょうか。

 と、今回のブログは長くなりましたが、写真は三陸の碁石海岸の景色。
 三陸海岸はシーカヤック的にも素晴らしいフィールドなんですね。
 シーカヤックも一番大事なのはイマジネーションです。
 いつか復興ツアーをしたいなと思っています。


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熊野川の復旧

2011-10-31 08:32:53 | 震災や原発に関連する事
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 先日、台風12号により被害を受けた熊野川町の復旧ボランティアに行ったのですが、予想以上にひどいことになっていました。特に新宮市へと抜ける168号線は完全に冠水し、かなり高い場所にある流域の家々まで壊滅状態でした。

 写真は瀞峡めぐりへのウォータージェット船が発着するドライブイン志古の、鉄骨だけが残された姿です。元々の建物は下の写真で、すさまじさが分かるでしょう。

 うちのツアーでも年間数回訪れる熊野川。
 ツアー参加された方は、あの美しい景観が忘れられない記憶として心に残っていることと思いますが、それを思い返すとより胸が痛みます。

 電柱が倒れていたりぶっ壊れた家がそのまま建ち並んでいたりと、復旧状態もまだまだのようで、圧倒的に人手が足りないようです。特にゆっくりゆっくりとしか進まない泥出しは根気がいる作業で、人手がたくさんあればあるほど助かります。重機の入れない場所はスコップで手作業するしかないのですが、カタツムリが這うようにノロノロとしか進まない。1人の手とは、ほんとうに小さなものだと実感しました。どんなに気合入れようと張り切ろうと、2本しかないからね。千手観音のようにオレに1000本くらい腕が生えてたら作業ははかどるだろうなと妄想したりしましたが、嘆いても始まらない、どんな人でも1人につき2本。1人より5人、5人より100人、100人より1000人と、手があればあるほど復旧は進んでいく。

 時間のある方はよろしければぜひご協力してください。
http://blog.canpan.info/s-syakyo/  
 ぼくもちょっと時間に余裕ができる時期になったので、
 できるだけ行こうと思っています。


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一番大切なこと

2011-06-12 14:45:09 | 震災や原発に関連する事
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 今日は待望の湯浅~田辺50キロツアーの日だったんだけど悪海況のため中止にしました。
 こんな日は何をしているかというと本を読んだりデスクワークしたり色々です。
 というわけで前回記事の続きです。

 特に最近は原発関係の本読みまくってるんですが、読めば読むほどヤバいなと思う。地震の活動期に入った今、即刻原発をストップしなければとんでもないことになる危険性が極めて高いぜ、という思いが募っている。

 じゃあ発電はどうすんねん、原始時代に戻るんかいな? という意見がふつう返ってくるが、実は火力発電で全部まかなえるらしい。というか、元々火力で全然OKなんだけど原発を使いたいがために火力発電所の稼働率をわざと落としているというのが実態である。それを稼働させるだけで、計画停電も、節電すらもしなくていいという指摘がある。
 え、そうだったの? とあきれ返るほど簡単な話だ。

 じゃあなぜ原発にこだわるのか。
 早い話が原子力によって潤う方々の利権構造ができているからである。
 国、産業界、政治家、御用学者がタッグを組む「原子力村」が強固だからだ。
 別に原発が優れているわけでも、クリーンなわけでも、それがなきゃ電気が足りなくなるわけでもない。
 原発が廃止されれば彼らが困るから廃止しないだけの話である。

 野田ともすけなどの本を読んでるカヌー・カヤック愛好家はある程度知ってるだろうけど、海・山・川をコンクリート積めにする公共事業しかり、日本は政・官・財界の「鉄のトライアングル」構造が強固にできあがっていて、ちょっとやそっとでは崩れない。その上、司法の独立性があいまいなので、国家がかりの「鉄のトライアングル」の大犯罪を裁ききれない。たとえ地球を滅亡させるスーパー化け物犯罪でも裁ききれない。
 その点、日本は実は民主主義国家ではないのである。

 ほんとは原発を即刻廃止しても全く困らない。
 実は電気は原発なしで十分足りているという話もある。
 http://www.youtube.com/watch?v=PLJVLul6Wz0 

 もちろん太陽光や風力や地熱発電など自然エネルギーに即移行すれば一番理想だけれど、実際問題、急にそいつでは賄えない。むしろ「やはり原発がなきゃダメだろうがバカめ」という口実にされる恐れがある
 まずは火力をフル稼働すればいいんだよ。
 それも石油ではなく天然ガス。

 天然ガス・コンバインドサイクルの発電方法が今のところ一番現実的で、しかもクリーンで効率がよいようだ。「結局火力だろ、じゃあ温暖化の原因である二酸化炭素の排出量はどうなりまんねん?」 という反論も出ようが、実は最も温暖化の原因を作っているのは原発からの「温排水」であるとも言われている。なんせ1日に出す温排水の熱量は広島型原爆の100個分もあるのだから。それに比べればガスコンバインドは遥かに熱効率のよい発電だ。また、必ず化石燃料の埋蔵量の話になるけれど、メタン・ハイドレードやコールヘッドメタン、タイトサンドガス、シェールガスのような天然ガス田が世界各地で新しく次々発見され、日本近海にも100年分くらいのメタン・ハイドレードが埋蔵されているという。

 もちろん天然ガスコンバインド発電が究極にいいとは思わんけれど、
 最も早急に大切なことは原発を止めることなのだ。
 次の原発事故を絶対に起こしてはならないのだ。
 そうなれば何もかも、日本人全員試合終了なのである。

 太陽光や風力は、急に止めさせる力はない。
 火力でしのぎつつ、自然エネルギー発電の可能性を追求しまくっていけばいい、
 なんでそんな簡単なことをみんな言わないのか、不思議に思う。

 いずれにせよ、「原発止めたら電気どうすんねん、原始時代に戻るんかいな?」なんて意見はとてつもなく恥ずかしい無知なたわごとだと思うべきである。


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10万年後の安全と今現在の危険

2011-06-12 11:38:29 | 震災や原発に関連する事
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 ちょい前に「10万年後の安全」というドキュメンタリー映画を見た。
 原発から出る汚物に関する映画だ。

 原子力発電はクリーンな発電方法だと言われ続けてきたが詭弁もいいところで実際は大量の高レベル放射性廃棄物(いわゆる「死の灰」)っていうとんでもなくダーティーな汚物が出る。
 もちろんその汚物をどうにか処理しなければならない。
 で、宇宙に捨てに行けばいいとか深海底に沈めたら大丈夫だとか、過去色々議論されてきたけれど、宇宙に捨てに行くロケット発射の際に事故・爆発でもあったら人類が終わっちゃうし、海も海底火山や深層水の流動などの問題がありすぎる。で結局、岩盤を削って300m以上地中深くに埋めるという地層処理が、世界中で採用されるようになった。

 この映画は、フィンランドに建設中であるオンカロ永久地層処分場の施設の中に実際に潜入し、このプロジェクトの実行を決定した専門家たちに、毒性が消える10万年後までの安全性を問いかけるのがテーマだ。
 10万年だぜ。
 たとえば10万年前といえばネアンデルタール人の時代だ。

 廃棄物が一定量に達すると完全に閉められ、二度と開けられることはないというけれど、
 果たしてその保障はあるのか?
 数万年後そこに暮らす人たちにその危険性をきちんと警告できるのか?
 結局どうなるのか、専門家も誰も分からない。

 ということでかなり色々考えさせられたけれど、
 ふと我に返ると、そんな心配をする以前に現在の日本の状況はもっともっと深刻だ。
 むこうは10万年後だけれど、こっちは今現在の話だからである。

 日本の原発で出た高レベル放射性廃棄物はどこに行くのか?
 実は日本には地層処理場がない(一時高知県の東洋町が候補として挙がっていた)。
 で、青森の六ケ所村の再処理工場に行く。
 そこでウラン235とプルトニウムを取り出し、新しい燃料として再び使えるようにする。
 いわばリサイクル工場である。
 しかし実のところは、地震国で地層処理できる最適地もないから、「リサイクル」という一見聞こえのいい名目を採用しているだけなのだろう。そいつのリサイクルは極めて危険かつ難しい作業なので、実際には無理なのだ。
 
 案の定、再処理工場は機能しておらず、
 試験運転さえも完了できずほっぱらかしになっている状態である。
 そう。リサイクルも地層処理もできず、とりあえずプールにためてごまかしているのである。

 そうして全国の原発から集まってきた「死の灰」は、
 再処理もされずたまりにたまって、貯蔵プールは満杯寸前になっている。
 貯蔵プールの汚物キャパは3000トンだが、
 もうすでに2727トン入っていて残り173トンしかキャパがないのだ。
 どういうこっちゃねん、まったく。

 そんなわけで六カ所村には運べず、
 全国の原発のプールでとりあえず汚物をため込んでる状態が続いている。
 ちなみに福島第一原発の四号機の水素爆発は、
 冷却できなくなったそいつのシワザだったというわけだ。

 福島第一原発はもちろんヤバいし、
 原発震災に見舞われる可能性がある全国の原発もヤバいけれど、
 最もヤバいのは六ヶ所村の再処理工場で、
 こいつが事故を起こせば日本は消滅、
 世界中が深刻な被ばくすると言われている。

 そしてヤバいことに、3月11日の大震災の約1ヶ月後の4月7日に最大余震があり、その時六ヶ所村再処理工場では外部電源が遮断され非常用電源でかろうじて冷却できた、というドエライ事故があった(事象ではなく、事故ときちんと言わなきゃいけない)。震災や福島原発のドサクサにまぎれてあんまり騒がれず、マスコミもサラっとしか言わなかったけれど、とんでもない話だ。毎日毎日福島原発のニュース見てると感覚がマヒしてくるものがあるけれど、とんでもないことをとんでもないと思う常識的感性を失ったら人間、終わりだと思う。まあこんなこと、自然を愛でるこんなブログ上で書きたくないけどね。
  
 フィンランドの最終処理場は過去2億年ほど地層が動いていない安定した岩盤に作られているけれど、こちら日本の足元はガンガン揺れる断層・亀裂だらけの若い地層である。で、実際のところ日本の原発の耐震設計も結構いい加減らしい。福島のメルトダウンも想定外の津波が原因だと言われているが、実は地震の際に配管が断裂したからだと指摘する人も多い。
 六ヶ所村の処理場の下にも活断層があり、またプルトニウムとかがガンガン流れている配管が複雑に絡み合っている。
 そいつが破断してドカーンと福島第一みたいなことになったら・・・・?
 イマジンしたくないよね。
 
 むこうは10万年後だから悠長だ、とはもちろん思わないけれど、次どこかの原発が事故起こすと今すぐに国が滅亡する日本は、その比ではない。将来の夢も仕事も趣味も恋人も家族もキューっと一杯飲む冷えたビールも・・・、現在未来だけでなく過去の思い出とかおれたちのなにからなにまでが終わりである。地震が活性化している今、日本の原発は、「そのうちに」ではなく、「即刻」とめなければならない。
 映画を見て改めてそう思った。

 ※写真はそんな話とは全く関係ないカヤックトリップ時のもの。アラビア半島。 


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現代の神話

2011-05-11 12:19:34 | 震災や原発に関連する事
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Taro
 今日は福井・高浜1泊2日シーカヤック&グルメツアーの予定だったんだけど、悪天候により中止としたので、ちょっとしばらく手が回らなかったブログをダーっとアップさせてもらっています。窓の外ではゴーっと風が鳴ってます。やっぱり風、強いですね。

 さて、高浜の海岸ってひなびた風情があって、さらに洞窟や断崖絶壁のワイルドな場所が目白押しで、しかも時折イルカも現れてカヤックの横を伴走してくれるという、大好きなフィールドなのですが、一方、原発もあるんですよね。

 上から二番目の写真がちょうど、シーカヤック上から見た高浜原発です。ぼくは本州、四国、九州、北海道の全海岸線を漕いだ経験があるから必然的に日本の全原発を海から見ていることになるわけですが、そこに身を置くと、なかなかシュールというか、不気味というか、心と身体の奥底から独特のえも言われぬ感情・感覚が湧き上がってくるものです。

 また同時に、原発ってものすごく美しかったり、絶景だったりする場所のすぐ近くに立てられていることが多いという特徴もあります。この上から3番目の写真はちょうど高浜原発の近くの「音海断崖」というなかなか見事な断崖絶壁なのですが、こういうところの際キワを漕いでいると、えも言われぬ神々しい感情・感覚が湧き上がってきます。

 で、つまりはその場に身をおいていると、その両方のえもいえぬ感情、感覚が自分の中で微妙にクロスしたりするってことなのですが、それが非常に気色悪いというか奇妙な気持ち・・・、誤解を恐れずに言うとある種の神秘めいた感覚が心の深いところからにじみ出てきます。そして、心の中で両者がクロスすることをなんとか抗おうとする意識が生まれます。似て非なるものというか、「原発の不気味さなんかと自然の神々しさを感じる俺の感性が交じり合ってたまるか」、というきわめて人間的な感情、理性ってやつです。意識の上ではクロスしないのですが、就寝中夢の中で無意識にクロスするような感じになるときがあります。人類滅亡、世界の終わりのようなとんでもない悪夢を見てしまう、ということがその現われでした。日本一周シーカヤックジャーニーの最中に、そんなことがぼくには何度かありました。

 また、興味深いことに、そういう場所は縄文時代には神が祭られていた聖地だったりもします。
 言い換えると、
 自然と共生した縄文人はそこに「神」を奉り、
 自然から搾取しまくる現代人はそこに「原発」を奉る、
 神話的な深層心理の現れなのかもしれません、
 非常に象徴的なものが見えてきます。
 
 先史時代の神話と、現代の神話。
 ほんとに象徴的だよね。もちろん気味悪いもんだよ。

 で、そういうことを考えてるとなぜか岡本太郎のことを思い出すのです。
 やはりあのひとはとんでもなくすごい芸術家だったぜ、と。
 
 ほら、「芸術は爆発だー」と彼は言っていましたが、
 ある意味あれは、原爆や原発の象徴です(ややこしいがもっと厳密に言うとそれらが象徴するものの象徴)。
 また縄文時代の土器の価値を戦後最初に見出したのはほかならぬ岡本太郎で、
 そいつに影響を受けた神話的象徴があの「太陽の塔」(写真上から4番目)ってやつだったのです。

 つまり現代というものの本質と人間精神の本質とをふかーいところまで見抜き、
 原爆や原発が象徴するものに取って代わる、新しい価値を作り出そうとした。
 それが岡本太郎の芸術世界観なのです。ぼくはそう思います。心の中でギリギリのスレスレまで危ないところまで行き、そこから表現しているわけです。アートって小洒落たものだと思われがちだけど、こういうのが本物なんだと思います。

 岡本太郎って芸術家であると同時にかなり優れた人類学者でもあったわけだけれど、例えばこんな本を読むとぼくの言っていることがよく分かると思います。http://homepage3.nifty.com/creole/taro.htm

 なお余談だけど、太陽の塔と同じく高度成長期のシンボルとされた「鉄腕アトム」ってのが、原子力に象徴される科学進歩の輝かしい側面を描いたアニメだとすれば、同時代に作られた「妖怪人間ベム」ってのはその裏暗部を描いた作品だとも言えます。
 覚えている人は、両者のテーマソングを歌ってみてください。
 A 「空を越えてラララ星のかなた、ゆくぞアトム、ジェットの限り、心やさし、ラララ科学の子~、10万馬力だ鉄腕アトム」
 B 「闇に隠れて生きる、俺たちゃ妖怪人間なのさ。人に姿を見せられぬ、獣のようなこの体、早く人間になりた~い。暗いさだめを吹き飛ばせ、ベム・ベラ・ベロ~、ようかいにーんげん」
 ぼくは妖怪人間ベムのほうが奇麗事じゃないので好きだ。


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知らなさ過ぎること

2011-05-11 09:57:56 | 震災や原発に関連する事
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 前回から少し間隔空きましたが、神島でのゴミイベント以来しばし考えていることは、いったい福島原発が垂れ流す放射能汚染水がどこに行くのかということだ。

 太平洋やインド洋、大西洋といった大洋には、「還流」という大きな渦のような流れがある。太平洋でのそれはちょうどハワイ沖くらいの場所にあり、「北太平洋還流」と呼ばれる世界最大のものだ。前回のイベント記事でも書いたように、ちょうどそこに「太平洋ゴミベルト地帯」というものが形成されており、テキサス州の二倍とも、あるいはアメリカ大陸と同面積とも、はたまた日本の四倍にも相当する範囲に渡って、大量のゴミが溜まっているといわれている。
 
 ゴミの80%以上は陸地から起因するものだ。
 ちょうど「ミッドウェー」あたりが還流の中心になるらしく、そこではおびただしいゴミが散乱する状態であり、その「あまりにもすさまじいゴミの実態を見に行く」という名目のエコツアーのために、近年観光客にも開放されているらしい。ゴミを見ると英語のものもそうだが、さらに日本語、韓国語、中国語といったアジア系出自のラベルの入ったプラスティックゴミが圧倒的に多いようだ。
 太平洋岸の陸地で捨てられたゴミは6~7年くらいかけて太平洋ゴミベルトに集まってくるという報告がある。

 この「ゴミ」を「放射能」に置き換えると・・・・。
 いや、ゴミプラス放射能だ。
 
 いまだにぼくの心の中で尾を引いている、神島のイベントで皆さんから引き出せなかった感想ってのは実はこのあたりのことなのですが、さて、ではこのブログを読んでいるあなたはどう思われますか?

 海とか波とか風とか、そういうプラネットアースの循環器的な自然現象ってのは、完全に国境を越えている。さらに海水ってものは2000年くらいかけて全世界を一周すると言われている。また、あまり言われないけれど最もやばいプルトニウムの半減期は2万4000年である。そいつを考えると・・・、千年万年に及ぶとんでもない大犯罪ってことになる。昔、内田裕也が出演した「魚からダイオキシン」という映画があったが、そいつも「魚からプルトニウム&ストロンチウム」と比べたらかわいいもんだ。

 たった一世代、自分たちのためだけに、
 未来永劫に渡る重い問題を生み出し続けるのがこの便利な「現代生活」ってやつで、
 その深層心理的・神話的シンボルが「原発」なのかもしれない。
 そしてへヴィーな問題に無関心だった罪のシンボルが原発事故。
 色々考えさせられるね。 

 「そんな難しいこと考える暇がない」「知らんものはしゃあない」
 というのがわれわれ現代人のスタンスだけれど、数百年後の子孫には「便利な生活を満喫するんだったら、最低限知っとくのが義務じゃアホンダラ世代め」と言われちゃうことだろう。いずれにせよ今生きてる我々は団塊の世代もアラフォーもアラサーも草食系も肉食系もみな等しく「無知で無関心で欲どおしい迷える蛮人だった」と、未来世代から揶揄されるのは間違いない。

 そしてぼくらは海をことを知らなさすぎる。

※ミッドウェーとゴミの関係についての参照記事はこちら
http://www.kokumin-kaigi.org/kokumin03_18_01.html
※太平洋ゴミベルトについてのナショナル・ジオグラフィック誌の案内についてはこちら
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=68541809&expand


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