先日のすさみ海岸ツアーは、強風のため急きょ、
日高川ツアーに変更しました。
久しぶりの日高川。
ここは2011年の紀伊半島大水害以降、
ちょっと雨が降りダムが放水すると
すぐに濁ってしまう川になってしまいましたが、
最近ずっと雨が降らなかったので水が澄み、
美しい川面の調べと詩情を感じながら下っていくことができました。
いつも澄んでいたらいいのにな。
なお、この日高川ツアーと前日の産湯海岸ツアーには、
去るシルバーウィークにもお越しいただいた、
内モンゴル出身の中国人Dさんが参加してくださいました。
前日は当店ベースに泊まり、一緒に飲みながら色んな話をしましたが、
これがなかなか面白かったです。
彼が研究しているDNAや染色体の話から、
北京原人、アウストラロピテクス、類人猿、
ネズミ、犬、細菌などのDNAと人間のDNAとの違いなどの話、また、
モンゴルと日本の自然についてなど色んな話題を交わしましたが、
何に満足や価値を見出すかについての話が特に印象に残りました。
先日、中国から彼の友達がやってきた時の事です。その友達と一緒に日本の色んな場所を観光したり、体験したりしたかったけれど、彼らは買い物買い物ばっかりで、とても残念に思ったそうです。自分はどちらかというと体験や経験に価値を見出すけれど、中国人にはまだまだ物にしか価値を見いだせない人が多い。そんな話です。
ま、これは日本も同じですね。
体験や経験といった精神的なものに価値を見出すということは、豊かな先進国でこそ成り立つ文化でもあります。日本も高度成長期にそうであったように、まずはテレビ、車、洗濯機などなど、生活を便利にさせるモノを追いかけるというのが人間の性です。しかしそれらがほぼすべての大衆に行き渡ると、今度は別のものに目が行くようになる。日本ではバブル期を経てバブル崩壊を迎えたあたりから、新たな価値観が求められるようになりました。
そんな時期にアウトドア・アクティヴィティの価値も取りざたされるようになったわけですが、でもまだまだ前時代のモノを追いかける文化も強くあるのも確かです。昔と比べて、どちらかというと本当に必要なものというより、別の虚栄心を満たすためのモノに溢れかえっているような気もします。なにせ企業は、生存をかけて手を変え品を変え、 心理学なども駆使しながらプロのテクニックをもって、必死のパッチで人々にモノを買わそうと躍起になっているわけだから。
だけど一方、そんな物欲主義をちょっと冷めた横目でみながら、
かといって伝統的宗教観に回帰するのでもなく、
体験や経験を通した心の豊かさに価値を見いだす人たちも増えつつあります。
それは日本も中国も同じなんだなと気づかされて、
なかなか興味深かったのです。
多分、今は過渡期なんだと思います。
モノ至上主義の時代は本当はもうとっくに過ぎ去っているのだけれど、
急に舵を変えることはできない。
なんせ、多くの企業はこれまでモノを売ってやってきたわけだから、
企業の体質として急に変えることはできないわけで、
まだ当分消費をあおる社会形態は続いてゆくだろう。
また、インドやスリランカ、インドネシア、ベトナムなど東南アジアでは、
今後さらに購買購買~、消費消費~のモードが加速上昇していくことが予想される。
だけどゆっくりゆっくり変わっていくだろう。
何に価値を見出すか。
モノばっかりあっても仕方がない。
モノはあればあるほど整理整頓に無駄な時間を費やすし、
便利であればあるほど人は不安になる。
人間の心と身体の構造はそういうふうにできている。