ここ一週間ほど、ほぼ毎日カヤッキングしています。
琵琶湖の沖の島に一日行った以外、全部、
和歌山・加太と淡路島の間にある「友ケ島水道」を漕いでいます。
ツアー、プライベート、わけあっての野暮用、
様々な理由で何回もシーカヤックで往復しているのですが、
実にいいフィールドです。
場所によっては潮の流れが速く、
うまくナヴィゲーションしないと危ない海域でもあるんですが、
淀むことなく溌剌と流れる潮を海上で体感していると、
「動的瞑想」とでも言いますか、
感性や脳みそまでもがフレッシュになっていくような
すがすがしさがあります。
閉塞感、淀んだ感じ。
この現代日本の高齢化した田舎に住んでいると、
独特のやりきれなさに息がつまりそうになることも多いですが、
心にたまったアカ、淀んだ沼のようなそんなのを、
カーンと蹴散らしてくれるような躍動感がありますね。
海全体が流れるというか、
フライングカーペットのようにスーッと移動していく感覚。
「龍の背中に乗っているような」とぼくはよく形容しますが、
この、「シーカヤック」という、
何のフィルターもかけずに自然の持つエッセンスが心に届く乗り物に乗って、
そいつを感じていると、
魂が深く揺さぶられます。
多少のリスクはありますが、
しっかり判断力を稼働すると、無謀というわけでもない。
トライしてみれば、案外行ける。
やばいな、とマジに思ったなら戻ればいい。
あるいは出艇を見合わせればいいだけの話だ。
次のチャンスはいくらでもある。
力量に不安を感じるならそれまでに練習すればいい。
「よし、渡ってみるぜ」と、
チャレンジ心を稼働させるからこそ、
色々見えてくるものがあり、そこに
本当のシーカヤッキングの面白さ、
アウトドアスポーツの奥深さが隠されている。
簡単に手に入るものに価値はない。
ゼニで手に入るほどイージーなブツで、絶対にソウルは揺れない。
魂は、正直だからね。
ソウルを揺さぶってこそ本当の遊びであり、
人生だと思います。