一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1947   陽炎や聞けば聴こゆる風の音   一煌

2018年05月23日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 熱海に居を構えて十年、都会の俗界から回避できる心の拠り所を求めて、探しました安住の地です。山々の四季の移ろいや相模湾の多彩な色模様、リビングの窓に舞うウスバカゲロウ、裏庭で山野草を発見、沢蟹に出会うなど自然を介して学ぶ事が多いこの地に愛着を抱いております。

  この句は、初めていただきました「天」です。私には多くの別れがあり一人法師。儚くゆらゆら揺れる陽炎の趣深い奥に「見えないもの」「聴こえない音」を意識して詠みました。積極的に耳を傾けないと聴こえてこない音、いつも亡き父、母、弟、夫の声が聞くことができるように、穏やかな心でありたいと思います。 

 そして、常に私の傍らには大勢の声がありますから、決して孤独ではないと…。俳句の十七文字に隠されている「見えないもの」を紐解く面白さに魅了されております。短い言葉に集約する難しさはありますが、とにかく俳句は言葉の組み合わせが面白い。語彙を高めて鑑賞力を磨き、先生のご指導を仰ぎながら、皆さまとの有意義な句会のひとときを過ごすことを願っております。今後とも宜しくお願い申し上げます。

「俳句」は、全くの初心者で気恥ずかしくて、句集に載せていただいて良いものか、と悩みました。雲水先生のお言葉で決心がついた次第でございます。先生に厚く御礼申し上げます。俳句にお誘いくださいました友人に感謝を致しております

 

桜貝納めて贈るオルゴール

春浅し寄せいる波も貝がらも

梅白しうつろう風情今昔

目黒川桜の色香人の色

学生とわが声まじり卒業歌

 

さまざまにわが道照らす新樹光

草若葉利休鼠の雨寂し

風光る美酒の色はエメラルド

紫陽花や窓一面に雨の地図

華氏という名の香水もとめけり

 

あの頃に戻れるかしら夏帽子

夏衣透けし白色整えて

うすき影うすばかげろう羽光る

夏祭り法被の色は海の色

桔梗の蕾ふっくりふっくりと

 

椋鳥の来て熱き紅茶の欲しきころ

一人酒ふわりと香る菊日和

蕎麦の花ゆらゆら風と気晴らしか

赤い橋影を動かす月明かり

凍て星のきらりきらりと峠道

 

冬ざれの庭の色消し風過ぐる

山茶花の白を散り敷く石畳

凛として濃き紅色や冬薔薇

冬木立残るひと葉を風さらう

身に響く音多かりし冬日かな

(岩戸句会第五句集「何」より 大澤一煌)

ナルコユリ(鳴子百合)

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1946   秋麗三年振りのタキシード   海人

2018年05月22日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 娘の結婚式の為に新調したタキシード。それから二年、姪の結婚式があり再び袖を通した。穏やかな気候の中で列席者の笑顔が溢れている。そんな光景に立ち会える事は幸せな事だ。次に着る時はおそらく、豪華客船クルーズのパーティーになるだろう。このタキシードは、私を幸せな気分にさせてくれるアイテムなのかもしれない。

 月曜から金曜迄は仕事に追われ、土曜・日曜はテニス三昧。この様なイベントや旅行が無ければ、毎日の単調な生活の中で感じた事以外は、なかなか俳句には出来ない。しかし、あと何年続くか分からないが、そんな毎日を幸福な時間と思い、今後も年を重ねていきたい。

 現役を引退したら、何日か費やして芭蕉の奥の細道を辿りながら、吟行をするのも夢の一つでもある。全てを歩きながら、という訳にはいかないと思うが、気になる場所を巡っていけたら良いかなと思う。

 それまでは、自然を読み取る観察眼と、表現力を磨く努力をしなければいけないとは思うが、同時に自分の句風を築いていけたら本望だ。

 

海女小屋に海女の声無しならい吹く

緞帳の如く凍雲山隠し

今一度布団に戻る余寒かな

頬白の絵手紙一筆啓上す

春うらら潮目で変わる海の色

 

朝寝してうつらうつらの秀句かな

酔うており桜の舞に酔うており

葉桜や真白きべべの宮参り

雨蛙雨を呼ぶやら雨が呼ぶやら

山若葉緑黄緑深緑

 

青嵐湖面に描く風の道

からころと金魚の浴衣通り過ぎ

雲の色雲の形で夏を知り

鯔跳びて遥か雲仙煙吹く

百日紅近くて遠き生家かな

 

バーボンとジャズとナッツと秋の夜

老いたれば色なき風の如く生き

野に座せば山より高き紫苑かな

それぞれに帰る家あり秋の暮

木の実落つ水に浮くもの沈むもの


野ざらしの地蔵も眠る小春かな

寒の凪一時にして白波に

夜祭の秩父山麓冬花火

朝焚火漁師差し出す茶碗酒

こんな夜は愛しき人と新酒

(岩戸句会第五句集「何」より 御守 海人)

スイレン(睡蓮)

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1945   笑いヨガの教室に湧く初笑い   薪

2018年05月21日 | 岩戸句会 第五句集「何」

〈ヨーガ、 yoga(梵)。古代から伝わるインドの宗教的実践の方法。精神を統一し、物質的束縛から解脱をはかる。現在では健康法の一つとしても行われる。〉                 

 私は、三、四年前から週一回、近くの公民館の体操教室に、かなり真面目に通っている。市の社会福祉協議会から女性の先生が来て下さり、一時間半ほどしっかり体を動かし、指導を受けている。生徒は、ほぼ全員女性の高齢者である。「死ぬまで元気」を合い言葉に、みんな必死でガンバっている。

 ある日 “ 笑いヨガ ”なるものを教えて下さった。まず、面白くなくても声を出して笑う。大声で笑いながらニワトリのように教室内を走り回る。出会う人の目を見て笑い合う。作り笑いでも、  アッハ・アッハ。キャッキャッ。と笑っているうちに、何だか楽しくなってくるのである。窓の外から覗いている人がいたら、異様な光景にびっくりしたと思う。頭をからっぽにして、大声で笑って、走り回って、幼児になったような一刻。開放感を味わえた。“ 笑いヨガ ”またやってみたいと思う。

 

うぐいすや前頭前野に沁みわたる

電柱の天辺に鴉フクシマ忌

陽炎や子ら笑い合いもつれ合い

老兵の囲む盤面飛花落花

唄うようにメルシィーと応え新樹光

 

S・Lの汽笛にはしゃぐみどりかな

筍を抱けば赤子の湿りかな

口中に味無きガムや蝉の羽化

折り返すバス耿耿と蛍の夜

風切羽拾いて挿せり夏帽子

 

冷酒や兄に少しのお説教

腹這いて灼ける河原の石を抱く

コロッケの包みの匂う敗戦日

蛇の子の意地の顎して轢かれおり

爽やかやホップ・ステップ島へ跳ぶ

 

林檎割れば面梟の貌現るる

狗尾草夕日に小骨透けており

露けしや遺影かすかに笑み給う

アンドロイドに瞬き生まれ星まつり

少年の一節伸びて月の影

 

夜廻りの鐘引き返す峠かな

冬山の気魄飲み干す「 一杯水 」

錐揉みに鳶吸い込めり冬青空

オウム貝抱き丹沢山塊眠りたり

ピータンの核の混沌女正月

(岩戸句会第五句集「何」より 石川 薪)

ヒメツルニチニチソウ(姫蔓日々草)

 

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1944   料峭や地球儀を拭く六年生   炎火

2018年05月20日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  立春を過ぎて間もない、春風の中でもまだ肌寒い早春の教室。懸命に地球儀を拭いている少年がいた。私には何故か、この六年生に少年の姿が浮かんだ。もうすぐ卒業式、そして、中学生になる初々しい少年の姿である。声変わりも近い、悩み多い思春期の入口にさしかかった少年の胸に、地球儀は何を思い描かせただろうか。これからの未知の世界への期待と不安、どんな夢を抱かせただろうか。

  あの東日本大震災から一年、かけがえのない美しい私達の地球に、今もなお各地で天災や争い、貧困が日々伝えられている。春はまだ遠い。地球儀を拭く少年、少女たちに世界に馳せる明るい未来がやってくる。そんな二十一世紀に一歩づつできることから行動しょう…そんな気持ちになった今日の句会でした。(正太記)

足す言葉、引く言葉はありません。正太さんありがとうございました。

 

春の旅赤旗を読む老夫婦

朧月ガンジーの繰る糸車

啓蟄や汚染残土の仮置場

夜桜やアルミニュウムの投票箱

お通じの心配の無い鯉のぼり

 

竹の子や核ミサイルも土の中

落石の十センチ横雨蛙

パレットに額紫陽花を搾り出す

藪枯し鉄を手にした弥生人

サイレンの一分間や敗戦日

 

平面図だけで建てたり蜘蛛の家

夏の波バッキンガムを崩しおり

黒山は解体作業中の蟻

東京都釣瓶落しとなりにけり

秋場所や絆創膏対テーピング

 

名月や生き残るのは大宇宙

目の子算十匹までの赤とんぼ

初つらら防災小屋の赤いドア

猟銃の一発響く山の奥

湯豆腐や爆破されたらどうするの

 

冬の朝新聞受けにイスラム国

マネキンの赤い手袋指す虚空

ガラス窓三百号の冬の海

どんど焼き両目を剥いた大達磨

これからもとことん平和初詣

(岩戸句会第五句集「何」より 石川炎火)

ウツギ(空木) 

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1943   いが栗を跳んで避けいる子犬かな   歩智

2018年05月19日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 私の俳号は、「歩智」。歩智は、四代続く我が家の愛犬「ポチ」の名前から採り、漢字にしただけ。長崎出島で、ポルトガル人の飼っていた犬が黒点(?)のある犬だったそうで、その犬の名前は、プッチ=点。それを聞いた日本人達が、「あれはポチ」といい、犬の名前は “ポチ ” “ポチ ”と広まったそうだ。私はその時代に生きていたわけではないから、真偽の程は定かではない。

《歩く智慧》とは、なかなか良い名と思うのだが、《知恵出でて大偽あり》老子。人間、素朴であった時代には平和であったのだろうが、人々の知恵が進み、世の中が乱れているのが今の世。

現在に生き、不遜にも《歩く智慧》という俳号は、考えものでは?・・・・・まあいいか、私を見て誰一人《歩く智慧》とは思わないわけだから。

 

寒の月こうこうと雲寄せ付けず

ふわふわのうぶ毛残して巣立ちけり

老いし身に重き独りの更衣

杉木立箱根全山ひえびえと

歳時記の栞は今朝の柿落葉

 

日の丸に折り跡ありてお正月

旧友の握手握手や花吹雪

黄木香石工は石を仏にす

曼珠沙華ここは江戸城半蔵門

大寒や恵比寿の顔の凛として

 

月は満ち花いまだなし西行忌

水馬背中叩けば棒となり

貼り紙に蛍一匹七百円

なめくじの跡キラキラと父母の墓

西国に手を振り向かう秋の朝

 

火の機嫌とりつつ桜落葉焚く

犬もまた家族となりて納札

冷酒や熱海五郎座幕あける

墨文字の滲む貼り紙夏祓い

笛太鼓神を寝かせぬ祭の夜

 

無花果を裂けば火花の散る如し

枯芝を雪と見まごう寒の月

花冷えやベンチの下の伝とポチ

ジーンズの裾をくるくる折つて初夏

太陽に向かぬ向日葵そだちすぎ

(岩戸句会第五句集「何」より 坂井歩智)

やまつつじ(山躑躅)

 

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1942   緊急の連絡先は春の空   洋子

2018年05月18日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  今は、誰でも携帯電話を持ち歩き、緊急の時はいつでも何処からでも電話をすることが出来ます。私も庭仕事の時は、一人で斜面の草取り、草木の伐採、大焚火をするので、携帯電話をしっかり仕事着に入れています。でも、今までに少々危ない目にあっても電話したことはありません。

  家の中では、「あなたは独居老人ですから、緊急用装置をつけてあげましょう」と、熱海市が天井に取り付けてくれました。一日以上人影がないと通報してくれるそうですが、これも5年間使ったことはありません。ところが旅行の時などに、留守を連絡しておかないと、息子のところに電話がかかり、内緒の旅行がばれてしまったりしました。でも、私は誰にも連絡するつもりはないのです。なるようになれケセラセラです。

  誰かの詩に天国にいる犬が、急に仲間から走り出すことがあるそうで、自分のご主人が亡くなった時、一目散に飛んで行くそうです。私も、二十年飼っていた大好きなタローに会えるんだ、と思うと嬉しくなります。きっと仲良しのモモちゃんも一緒に。

  一人暮らしの私は、体力を持続できるように、今はヨガ、水泳、テニスに励んでいます。タロー、モモちゃんも、緊急の時は素早く走ってこられるように、足腰をしっかり鍛えておいて下さいね。 

陽だまりに犬と寄り添う春隣

大手まり青ざめて咲く今が好き

髪切って春一番に吹かれおり

幾年も納戸に眠る鯉幟

風が研ぐ空の青さや花辛夷

 

荒梅雨や二人して見る生命線

布袋草咲けば貴女の誕生日

雷鳴やテネシーワルツを切り刻む

俎板も食器も白く更衣

せせらぎでしばし涼まん犬の舌

 

貴方には桔梗の花の切手貼り

この家の行く末思い草を引く

秋彼岸親分肌の友が逝く

花野行く自然治癒力信じつつ

たおやかにムラサキシキブ揺れるのみ

 

人生の今どのあたり烏瓜

庭仕事休める指に秋時雨

老犬の目穏やか柿をむく

冬帝やクリームシチューに味噌加え

スーパーにあふるる孤独蜜柑買う

 

立冬や願いをもちてわれ老いん

旧友で少し恋人雪見酒

初笑い羽織袴の犬が来て

年寄りに恋の火種やバレンタイン

今日だけは暖房止めて兼好忌

(岩戸句会第五句集「何」より 原洋子)

我が庭のいずれあやめかかきつばた

 

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1941   午前九時コーヒー新聞赤とんぼ   豊春

2018年05月17日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 毎朝、NHKの朝ドラを見ながら朝食をとり、片付けを済ませたあと、二階の自分の部屋へ、揚句のような時を過ごしております。

「毎日何をしているの?」

「テレビばかり見ていてはだめよ」

と言われますが、これでもなかなか忙しく、ボーとしていることは余りありません。

 深夜放送だったと思いますが、「歳をとったらキョウヨウとキョウイクが大事」という言葉を聞きました。キョウヨウは教養ではありません。「今日の用事」です。キョウイクは教育ではなく「今日行くところ」です。この言葉を自分に言い聞かせて生活しております。

 新聞を隅から隅までじっくりと読んだ後は、毎月最終土曜日の「岩戸句会」に提出する俳句を考えます。そうこうするうちに、お昼の準備(妻は殆んど出かけて留守)、昼食、片付け、そしてお昼寝。目覚後は、お天気ならば自然農法の家庭菜園の畑仕事、読書(主に小説)、夕方にはノルディックウオーキングによる散歩一時間。とざっとこんな具合いであります。 

寒林をけものの如く突き進む

寒林を透けて現る大甍

春めくや水面に挑む二羽の鳶

初島の灯影煌めく実朝忌

夕東風や利島新島近寄りぬ

 

五ミリほど蓬の芽にも葉の形

仄暗き露地に散り敷く紅椿

竹の秋霧雨烟る無職かな

鵜篝の照らす水面や翁の目

瘦せ裸十針くっきり手術痕

 

只管に壁よじ登る毛虫かな

車内みなケイタイ覗く夏の昼

炎昼や読経野太き尼導師

送り火や赤き脚爪うずくまる

畑隅の自ずと生れし唐辛子

 

遊石氏夜露言祝ぎ旅立ちぬ

秋の蝶雲の流れに乗りにけり

秋麗喪服きりりと若き嫁

秋の日や虎猫眠るボンネット

秋時雨伊豆の山々鎮まれり

 

海辺よりビルの重なる秋の空

尖塔の鴉一声冬来る

冬服の電車に混じる半ズボン

寝床にてラジオ体操今朝の冬

野良猫の抜け道示す石蕗の花

(岩戸句会第五句集「何」より 関谷豊春)

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1940   母想ふ吾が誕生日天の川   稱子

2018年05月16日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 古稀をとうに過ぎた私だが、折に触れ母を思い出す。日常のさもない瞬間に母のしぐさ、面差しがよぎる。昔の女性がそうであったように、夫に仕え、子育てに追われて母は六十二歳で逝ってしまった。今少し、わがままに自由に生きて欲しかったと、今あらためて後悔と切なさを覚える。

 何時からか、自分の誕生日に母が好んだ桔梗の花を携えて、一人で墓参りに行くようになった。近況を話しに、感謝を伝えに・・・・・。私が母を想うように、はてさて二人の娘は・・・・・ほどほどに愉しく忙しく過ごしている今の私。感謝の他ないが、これもひとつの子孝行かもしれない。 

母と呼ぶ嗚呼己が声明け易し

年用意母真似ていて母遠し

風呂吹や指で紅ぬる母愛し

 

穏やかな日々あればよし福寿草

花辛夷夜半の明りとなりにけり

色の無く音なく寒の明けにけり

立春の立春にある寒さかな

遥か遥か富士より春の来る気配 

 

騎馬戦の孫は前足風光る

新樹光のトンネル自転車疾走す

悦びのひとつ桜の故郷に住む

旅にある一期一会や夏あざみ

すね長きサッカー少年夏の雲

 

うすものをするりと脱げば薄茶の香

日盛りの町一瞬の無音かな

地球びとへ警鐘のごと雷鳴す

黙祷を捧ぐ蝉の音激しかり

畦道は風の抜け道曼珠沙華

 

石仏に降る木洩れ日と蝉の声

切っ先のような月ある夕べかな

鐘響く上野界隈枯はちす

雲抱き己が影引く冬木立

雪しずり森の静寂破るかに

 

流れゆくものはあらずよ冬の川

狐火や話大きくふくらます

縄一本張りし結界石蕗の花

豆腐屋のとうふ寒九の水の底

風の音窓打つ雨も師走かな

(岩戸句会第五句集「何」より 石井稱子)

マムシグサ(蝮草)

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1939   岩戸句会第五句集「何」 はしがき 雲水

2018年05月16日 | 岩戸句会 第五句集「何」

   最近、イギリスの宇宙物理学者ホーキング博士が、人類に残された時間は、今までの千年か らあとせいぜい百年しかない、と訂正したという。つまり百年後に滅びる、と予測しているのだ。

  原因の第一は、戦争。人類にとって戦争が自然状態であり、平和は一時的な休戦でしかない。人類は進化の過程で、強欲で攻撃的な性質の遺伝子が組み込まれたようだ。今後、地上で争いが減る兆候はなく、軍事技術や大量破壊兵器の進展は争いを破滅的なものにするであろう。確かに、太平洋戦争からわずか七十三年しか経っていない。

第二は、人口の増加による食料不足や資源枯渇、そして疫病。マラリア、エイズ、エボラ出血熱、新型インフルエンザなども含め、全く新しい疫病の蔓延もあり得るであろう。

第三は、地球温暖化はもう後戻りできない転換点に近づいていて、気温二百五十度、硫酸雨が降り注ぐ金星のような高温の惑星へと地球を追いやるであろう。

第四は、人工知能(AI)の開発。完全なるAIが完成すれば、人類を終焉に追いやることを意味するであろう。AIが人間を滅ぼす、というのだ。

それらにより、現在の地球は徐々に警戒すべき状況になっている。小惑星の衝突なども含まれてはいるが、人類は、欲望のまま地球のあらゆる資源を使い尽くし、争いを続けて滅亡に至るというのだ。それらのどれかが、百年以内に人類を滅亡させる、と警告している。

 さて、そんな危機の迫る七十四億五千万人の宇宙船地球号に乗る私達は、残された短い人 生をどう生きるべきであろうか。この難問を、芭蕉や蕪村、一茶など江戸時代の俳諧師が聞いたなら、きっと腰を抜かして驚くに違いない。

いずれにしても私達は、今ここに生きていること、健康であること、家族や友人がいること、日本の自然に恵まれていること、平和であること、それら全てが奇跡であり実に有り難いことと自覚し、感謝の心を持って日々生活することではないだろうか。勿論、日本文学の最短詩である俳句を続けていることにも、である。

  そして、私達はこの世へ何をしに来たのか、人生とは何か、という個人的な命題。神は存在するか、死とは何か、あの世はあるのか、という哲学的命題。更に俳句とは何か、写生、写実とは何か、自然とは何か、などの様々な命題を考察するためにも、これからも俳句を作り続けるのであろう。

あやめ(菖蒲)とジャーマンアイリス

 

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