昔、蛍を見た時、瞬時に「母だ」と思った。私の場合は、疑う余地がない実感であった。水もない山中に蛍が来た不思議。この40年でたった一度切りの不思議。蛍が母であると思った不思議。この世には、事実かどうか、分からないことが沢山ある。
「虫に死者の霊を感じたことがあるか」
「雪女や佐保姫を見たことがあるか」
「幽霊や、亡霊を見たことがあるか?」
「火の玉を見たことがあるか?」
「河童や座敷童子をみたことがあるか?」
「ネッシーを見たことがあるか?」
「正夢を見たことがあるか?」
「臨死体験はあるか」
「UFOを見たことがあるか?」
死者の霊、幽霊、亡霊、雪女、佐保姫、火の玉、ネッシー、UFOなど、画像や文献で知識として知っていることと、実際に見た実体験したこととは、全く違う。天地の差がある。
例えば、映画やテレビで観たからといって、知識として「知っている」とは言えても、「体験した」、とは言えない。
昔からの、これらの民間伝承は、ある人が見た、と言ったことが流布し伝承され、存在の信憑性が増していって、次第に現実味を帯び、時には文章化され、ドラマ化されたりして、人々に信用されていったのだ。但し、本当に見たことのある人はほとんどいない。
だからこそ、俳句にとって実体験こそが、最も重要なのだ。実体験の話を聞いた人は、「本当だろうか?」と疑うこともできるし、信じないこともできる。但し、その話をした人は証明することはできないし、聞いた人は否定することもできないのである。
クサギ(臭木)