明治を生きた子規は、俳句、短歌、小説、評論など多方面にわたり創作活動を行い、漱石や虚子などに俳句を指導し、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。
日清戦争に記者として従軍、その帰路に喀血し、次第に結核に侵されていった。以後35才で亡くなるまでの7年間、子規庵で句会や歌会を催し創作活動を行った。しかし、病床の子規にとって、やり残したことが多々あったはずである。
「まだ死にたくない。神様、仏様助けて下さい」と懇願し祈ったに違いない。しかし、病は重くなるばかりで、その苦痛に耐えかねて掲句になったのであろう。
ソバ(蕎麦)の花