鵜飼と言えば、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉」を思い出す。
芭蕉のこの句は、能・謡曲の題目である「鵜飼」を下敷きにして作られた、と言われている。
あらすじは、「安房の国の僧が、老いた鵜使いと出会う。鵜使いによると、私は殺生の禁制を破った咎めを受けて、殺された鵜使いの亡霊であると明かし、鵜を使った漁の様子を見せた後、闇路へ消えていく。鵜使いの悲惨な死を聞いた僧たちは、川の石に法華経の文句を書きつけて老人を供養すると、そこに閻魔大王が現れ、殺生の罪により地獄に堕ちるべき老人が、以前従僧をもてなした功徳もあって、救いを得たことを知らせる」
芭蕉の句は、鵜飼の一夜が更けて鵜舟が帰るころは、あれほど鵜飼を面白がっていたが、そのまま悲しく切ない思いへと変わってゆくことだ、という意。
見物人を集めるほど人気の鵜飼ではあるが、鵜を飼い慣らし、殺生をする行為を、残忍ととらえ、止めさせようとする仏教、特に日蓮宗の教えが基本になっている。
さて、掲句の作者「あほうどりさん」は、鵜飼を篝火に焦点を当ててその逞しさを表現しているが、芭蕉の「おもしろうて」や謡曲「鵜飼」が下敷きになっているに違いない。