恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

そんな贈り物

2006年06月19日 | 日記とか
先日の大雨で父親の携帯が水に濡れてダメになってしまい、
普段からそこまで頻繁に使うわけでもないから解約しようかな、
などといっているのを聞きつけて、何とかこれを慰留。
やっぱりこれからの世の中、携帯ぐらい使えなきゃならんし、
なによりちょっとした連絡をする時にオヤジが携帯もってると便利なんです。
なので、そのあたりを父親から全権委任されまして、
本日の部活の後で近所のvodafoneショップへ。

機種変をする際に条件となるのは、なんといっても画面の文字の大きさ。
老眼になって久しい父には、小さい文字は携帯嫌いを助長するだけです。
なので、ここは絶対に必須です。
そして、次に操作性がシンプルであることですな。
最近の携帯は通話機能がおまけのようになっている感が否めませんが、
あの世代の人間にとっては通話できるだけである意味充分。
あとは、ちょっとしたメールが出来ればいいかというぐらいなので、
そういった類の端末を探して店に足を運んだのですが、
こんな条件に当てはまる携帯がなかなかないんですね。

店員にそういう条件を話しても、紹介されるのは近年の機能てんこもり携帯ばかり。
自分が機種変するのであれば選択肢の幅があってうれしいのですが、
逆に年配の人間向けの携帯が少ないのを改めて感じました。
シンプルな携帯なら値段も安いだろうと思っていたのですが、
当然ながら軽く1万を超えてしまうような値段設定。
無駄に2メガピクセルのカメラなんていらないから、もっと安くしてくれ、と。
結局は、一番操作が簡単そうなものを選んで購入しました。
どうせ、オヤジの携帯だしいいや、と。

で、ふと思ったら昨日は父の日だったんですね。
あー、なにかしらプレゼントを買っていこうかなぁと思っていたのですが、
考えが変わって、この機種変した携帯を渡せばいいか、という結論になりました。
電話機能ぐらいしか使わない親父にとっては、
この携帯はネコに小判的なものになってしまいますが、
これを機に親父にも情報機器の取り扱いに慣れていってもらえばいいかな、と。

父の日に何を贈ったんですか?と聞かれたら、
私は携帯の端末をあげました、と答えます。

恐懼再拝。
コメント (2)
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