4/17(土)福岡市内→唐津→呼子→馬渡島→名護屋→唐津→福岡市内
それでは今回のメイン、馬渡島に向かいます。
馬渡島行きの船も呼子から出ています。「郵正丸」という会社の「ゆうしょう」で、他の航路と違い途中で名護屋港に立ち寄ります。秀吉の朝鮮出兵で出てきた名護屋です。途中寄港があるので呼子からは40分かかります。
馬渡島行きは1日4往復、始発はどうやっても間に合わず10時55分発の2便目を利用します。恐らく飛ばない正午頃は我慢となるでしょうね。帰りは最終の16時とします。
呼子 10:55発→馬渡 11:34着 ※馬渡島滞在時間4時間26分
馬渡 16:00発→呼子 16:40着
今朝の福岡は雨。ただ昼前には上がる予報です。天神から乗り換えなしの快速に乗ります。JR九州はこの春から朝夕の一部電車を除き福岡市営地下鉄からの電車は筑前前原止まりとし、唐津方面は筑前前原で乗り換えとなりました。6両の地下鉄乗り入れ車は筑前前原より西ではガラガラで、3両の電車にして少しでもコストを下げようとしています。並行して昭和バスの「からつ号」があり、「からつ号」に対して白旗を揚げたといえます。やり方はいくらでもあったのになぁと思います。
貴重な唐津乗り入れの快速なので有り難いです。1時間ほどで唐津に到着。
いつも通り唐津の大手口バスセンターに向かいます。2つの写真を見比べるとどっちが唐津の顔になっているかは明らかですよね。
ちょうどいい乗り継ぎで呼子行きが出ます。
呼子に到着。次の船は10時55分発なので少し余裕があります。
朝市はガラガラおやつを調達して乗り場に行きましょう。この写真の近くにある中尾まんじゅう店の酒蒸しまんじゅうを買っておきました。
「ゆうしょう」です。2005年に佐世保の沖新船舶で建造された57t・航海速力20ノットの旅客船です。沖新船舶はアルミ製旅客船の建造を得意としており、石垣島ドリーム観光の高速船の建造でも知られます。「郵正丸」という社名や船名は郵便船だったからなのでしょうね。加唐島行きの「かから丸」と同じ浮き桟橋にいます。乗船券は船内で発売、船に時刻表が掲出されているのも他の船と同じです。
10時55分に出航。船は10分ほどで一旦名護屋港に立ち寄ります。意外ですが名護屋港からの乗船客の方が多いようです。ちなみに呼子から乗っても名護屋から乗っても船賃は同じです。
いよいよ馬渡島を目指します。防波堤を出ると少し揺れがあります。右手には加唐島や松島が見えており、その先にはうっすら壱岐も見えています。
11時34分に馬渡島到着。船着き場周辺はアンテナを展開できそうにないので少し離れた漁港にしました。
アンテナを設営し12時10分にスタートです。近場になる4~6エリア中心で開いています。クラスタに載せてもらい一気にコールが集まります。馬渡島から出る局なんて何年かに1回だけなのですごい勢いです。だいたい20分でログ1ページ(21局)が埋まるペースです。
一方で1エリアなどはほとんど聞こえてきません。たまにコールがあり「やっとSが上がってきました」と言われていたので開いてない感じです。上手い方はその上がってきたタイミングを逃しませんよね。すごいです。
13時30分頃にコールが途切れようやく一息つけます。お弁当がまだなので遅い昼食を。午後に入り風が強くなり物が飛ばされないよう注意しながら食べておきます。波はそれほど高くないので船は大丈夫でしょうが寒くなってきました。
14時から再開もCondxはあまり変わらず。ずっと近場が開いて遠くが聞こえない状態です。15時15分で終了しました。
帰り便の時間を調べていたら呼子からバスに乗るよりも名護屋から乗った方が早く帰れることが分かりました。バスも大手口まで乗るのではなく西唐津駅前で降りた方が歩かずすぐに電車が接続しています。これはラッキー。19時前には天神に戻れます。
帰りの「ゆうしょう」に乗り名護屋で下船します。こんな感じでポツン、と浮き桟橋があるだけです。こんなところにもやって来る昭和バスも驚きです。名護屋から県道23号で唐津に向かいます。客は乗ってきません・・・
西唐津に到着。周辺はコンビニすらない中途半端な場所です。国鉄時代にここから先呼子までの鉄道建設計画があり、トンネルなどの工事が行われていました。ところが西唐津駅の先で強硬に土地を売らない地主がおり、手を焼いているうちに国鉄の経営が傾き結局延長は断念、唐津-西唐津間だけが完成しました。呼子は駅前団地を造成するなど鉄道が来ることを前提にした街作りをやっており(呼子港の東の丘の上に明らかに土地が真っ直ぐな団地がありますが、ここが呼子駅予定地だったようです)、それを阻む形になった唐津への地域感情が非常に悪化したと言われます。結局は人口が大きく減った呼子が唐津と合併する道を選んでこの話は収まったとも言われます。
筑前前原行きに乗ります。終点の筑前前原で福岡空港行きに接続しておりそのまま天神に帰ることができます。おかげで呼子経由より1時間近く早く天神に戻れました。
今夜はいつもの元屋台の大将の店へ。「どんたくでお客が来れば」とのことでしたが、また時短営業を迫られることになるようです。
本日は128局でした。ありがとうございました。唐津の離島で残っているのは神集島と向島で、松島も数十分しかできてないので再訪したいです。あと何年かかりますかね・・・
それでは今回のメイン、馬渡島に向かいます。
馬渡島行きの船も呼子から出ています。「郵正丸」という会社の「ゆうしょう」で、他の航路と違い途中で名護屋港に立ち寄ります。秀吉の朝鮮出兵で出てきた名護屋です。途中寄港があるので呼子からは40分かかります。
馬渡島行きは1日4往復、始発はどうやっても間に合わず10時55分発の2便目を利用します。恐らく飛ばない正午頃は我慢となるでしょうね。帰りは最終の16時とします。
呼子 10:55発→馬渡 11:34着 ※馬渡島滞在時間4時間26分
馬渡 16:00発→呼子 16:40着
今朝の福岡は雨。ただ昼前には上がる予報です。天神から乗り換えなしの快速に乗ります。JR九州はこの春から朝夕の一部電車を除き福岡市営地下鉄からの電車は筑前前原止まりとし、唐津方面は筑前前原で乗り換えとなりました。6両の地下鉄乗り入れ車は筑前前原より西ではガラガラで、3両の電車にして少しでもコストを下げようとしています。並行して昭和バスの「からつ号」があり、「からつ号」に対して白旗を揚げたといえます。やり方はいくらでもあったのになぁと思います。
貴重な唐津乗り入れの快速なので有り難いです。1時間ほどで唐津に到着。
いつも通り唐津の大手口バスセンターに向かいます。2つの写真を見比べるとどっちが唐津の顔になっているかは明らかですよね。
ちょうどいい乗り継ぎで呼子行きが出ます。
呼子に到着。次の船は10時55分発なので少し余裕があります。
朝市はガラガラおやつを調達して乗り場に行きましょう。この写真の近くにある中尾まんじゅう店の酒蒸しまんじゅうを買っておきました。
「ゆうしょう」です。2005年に佐世保の沖新船舶で建造された57t・航海速力20ノットの旅客船です。沖新船舶はアルミ製旅客船の建造を得意としており、石垣島ドリーム観光の高速船の建造でも知られます。「郵正丸」という社名や船名は郵便船だったからなのでしょうね。加唐島行きの「かから丸」と同じ浮き桟橋にいます。乗船券は船内で発売、船に時刻表が掲出されているのも他の船と同じです。
10時55分に出航。船は10分ほどで一旦名護屋港に立ち寄ります。意外ですが名護屋港からの乗船客の方が多いようです。ちなみに呼子から乗っても名護屋から乗っても船賃は同じです。
いよいよ馬渡島を目指します。防波堤を出ると少し揺れがあります。右手には加唐島や松島が見えており、その先にはうっすら壱岐も見えています。
11時34分に馬渡島到着。船着き場周辺はアンテナを展開できそうにないので少し離れた漁港にしました。
アンテナを設営し12時10分にスタートです。近場になる4~6エリア中心で開いています。クラスタに載せてもらい一気にコールが集まります。馬渡島から出る局なんて何年かに1回だけなのですごい勢いです。だいたい20分でログ1ページ(21局)が埋まるペースです。
一方で1エリアなどはほとんど聞こえてきません。たまにコールがあり「やっとSが上がってきました」と言われていたので開いてない感じです。上手い方はその上がってきたタイミングを逃しませんよね。すごいです。
13時30分頃にコールが途切れようやく一息つけます。お弁当がまだなので遅い昼食を。午後に入り風が強くなり物が飛ばされないよう注意しながら食べておきます。波はそれほど高くないので船は大丈夫でしょうが寒くなってきました。
14時から再開もCondxはあまり変わらず。ずっと近場が開いて遠くが聞こえない状態です。15時15分で終了しました。
帰り便の時間を調べていたら呼子からバスに乗るよりも名護屋から乗った方が早く帰れることが分かりました。バスも大手口まで乗るのではなく西唐津駅前で降りた方が歩かずすぐに電車が接続しています。これはラッキー。19時前には天神に戻れます。
帰りの「ゆうしょう」に乗り名護屋で下船します。こんな感じでポツン、と浮き桟橋があるだけです。こんなところにもやって来る昭和バスも驚きです。名護屋から県道23号で唐津に向かいます。客は乗ってきません・・・
西唐津に到着。周辺はコンビニすらない中途半端な場所です。国鉄時代にここから先呼子までの鉄道建設計画があり、トンネルなどの工事が行われていました。ところが西唐津駅の先で強硬に土地を売らない地主がおり、手を焼いているうちに国鉄の経営が傾き結局延長は断念、唐津-西唐津間だけが完成しました。呼子は駅前団地を造成するなど鉄道が来ることを前提にした街作りをやっており(呼子港の東の丘の上に明らかに土地が真っ直ぐな団地がありますが、ここが呼子駅予定地だったようです)、それを阻む形になった唐津への地域感情が非常に悪化したと言われます。結局は人口が大きく減った呼子が唐津と合併する道を選んでこの話は収まったとも言われます。
筑前前原行きに乗ります。終点の筑前前原で福岡空港行きに接続しておりそのまま天神に帰ることができます。おかげで呼子経由より1時間近く早く天神に戻れました。
今夜はいつもの元屋台の大将の店へ。「どんたくでお客が来れば」とのことでしたが、また時短営業を迫られることになるようです。
本日は128局でした。ありがとうございました。唐津の離島で残っているのは神集島と向島で、松島も数十分しかできてないので再訪したいです。あと何年かかりますかね・・・