夏の間に東北で御朱印巡りをやってきました。
【注】今年は大雨や猛暑で上手く回りきれなかったのでバラバラのエリアのものを一つにまとめています。日付や場所がバラバラなっていることをご了承下さい。
まずは秋田から。JR秋田駅近くに千秋城跡があります。
夏はお堀跡に蓮の花が咲いており、浮き桟橋を架けて近くで見ることができます。
この千秋城趾に彌高神社があります。
秋田出身の国学者平田篤胤を祀るため1881年に創建された平田神社が発祥です。平田篤胤は秋田藩士の家に生まれるも故郷を捨て江戸に出奔、その後備中松山藩士の平田篤穏に才覚を認められ養子となり、やがて夢の中に出てきた本居宣長に触発され国学を究め、多くの弟子を育てました。しかしながら1841年に幕府を批判したとして江戸追放を命じられ故郷の秋田に戻り、生涯を終えています。
その後1916年に現在地に移転、本殿は江戸時代築の他の神社のものを流用したため1819年のものが使われています。
彌高神社の御朱印です。
お昼は比内地鶏の親子丼と西馬音内のそばです。西馬音内は現在の雄勝郡羽後町の一部で、冷やかけそばで知られます。夏にぴったりの美味しい昼食でした。
この日秋田から南は大雨で被災し羽後本荘までしか行けないため仙台行きの高速バスで仙台へと向かいました。
以前は秋田中央交通の車両でしたが今回はJRバス東北の車両です。定刻より10分ほど早く仙台駅に着きました。
今回はここまで。続きます。
【注】今年は大雨や猛暑で上手く回りきれなかったのでバラバラのエリアのものを一つにまとめています。日付や場所がバラバラなっていることをご了承下さい。
まずは秋田から。JR秋田駅近くに千秋城跡があります。
夏はお堀跡に蓮の花が咲いており、浮き桟橋を架けて近くで見ることができます。
この千秋城趾に彌高神社があります。
秋田出身の国学者平田篤胤を祀るため1881年に創建された平田神社が発祥です。平田篤胤は秋田藩士の家に生まれるも故郷を捨て江戸に出奔、その後備中松山藩士の平田篤穏に才覚を認められ養子となり、やがて夢の中に出てきた本居宣長に触発され国学を究め、多くの弟子を育てました。しかしながら1841年に幕府を批判したとして江戸追放を命じられ故郷の秋田に戻り、生涯を終えています。
その後1916年に現在地に移転、本殿は江戸時代築の他の神社のものを流用したため1819年のものが使われています。
彌高神社の御朱印です。
お昼は比内地鶏の親子丼と西馬音内のそばです。西馬音内は現在の雄勝郡羽後町の一部で、冷やかけそばで知られます。夏にぴったりの美味しい昼食でした。
この日秋田から南は大雨で被災し羽後本荘までしか行けないため仙台行きの高速バスで仙台へと向かいました。
以前は秋田中央交通の車両でしたが今回はJRバス東北の車両です。定刻より10分ほど早く仙台駅に着きました。
今回はここまで。続きます。