3/12(日)高松→豊島→直島→高松→神戸
今日は土庄町の豊島に行き、高松から高速バスで神戸に戻る予定です。
まずはバスで高松駅へ。
JR高松駅のコインロッカーに使わない荷物を預けておきます。豊島行きは7時41分発です。乗船券を買って乗り込みます。
高松(07:41発)→家浦(08:16着) ※豊島滞在時間2時間39分
家浦(10:55発)→宮浦(11:17着)(11:30発)→高松(12:30着)
昨日に引き続き豊島フェリーの「まりんなつ1号」です。朝一番の便は直島に寄らないので35分で豊島の家浦に着きます。春の行楽期になったこともあり、席がほぼ埋まり出港です。ぶっちゃけ古い船でこれだけ乗ってくれればホクホクですよね。8時16分に家浦港到着です。
操船していたのは写真に写っている髪の長い若い女の子です。女性というだけでも珍しいのですが、頑張って欲しいと思います。
私の方はいつもの海水浴場へ。ここはほとんど誰も来ないのでフルサイズのダイポールを張っても構いません。同じ土庄町でも土庄港付近ですとそんなアンテナを張れる場所がなく、北の大部あたりとかに行かないとダメなので豊島を選んだ次第です。
8時40分にスタート。早速呼ばれます。というかすぐにクラスタに上げてもらいとんでもなくパイルになります。エリア指定をした方がいい状態ですが、まずはオープンしているエリアを確認しておきます。いくつかのブロックでエリア指定をするにしてもどこがよくオープンしているかを知って交通整理しないと意味がないためです。
どうも全国よく開いているみたいなので「1」「2・0」「3・9」「4・5・6」「7・8」で回すことにしました。6エリアは当日西日本ハムフェアーが開催されており、シャックにいない局が少なくないため4・5エリアと一緒にまとめてみました。
5つに分けてもかなりの局が呼んでおり、これで正解だったみたいです。結局2周回してエリア指定を終えました。土庄町ですと過去沖之島でとんでもないパイルに出くわしたことがあります。小さな渡船でしか渡れない沖之島は他局ではまず無理なので納得ですが、JIAがなくなってこれだけ呼ばれるとは思わなかったです。
9時40分過ぎでパイルは収束しました。後の時間は少しのんびり気味で拾ってゆきます。予定の10時20分で終了です。豊島からは106局でした。
豊島に不法投棄された産業廃棄物の処理事業が先日ようやく終わったようです。県の公害調停から20年以上の年月と820億円がかかったそうです。対策を何度も求めたのに冷淡な態度をとり続けた県、とりわけ産廃処分の許可を出したのに政治的道義的な責任を取らなかった前川忠夫元知事への島民の怒りは相当なものでしたが、ようやく島の負の歴史が終わりました。
豊島から引き上げましょう。この時間帯は豊島フェリーの便がないので、四国汽船の高速船で直島宮浦に出て、そこから高松に戻ります。
直島までの乗船券を買い「サンダーバード」に乗ります。
途中から宇野発の「なおしま」の後を追いかける形になります。速力は「サンダーバード」の方が早いのでゆっくり徐行する形です。
急いで「なおしま」に乗り継ぎます。船内で少し休んで高松港に到着。あと1時間ありますから帰りのお酒を買っておきます。フェリー乗り場から徒歩10分でマルナカのサンポート店があります。
まだまだ時間に余裕がありますからお昼のうどんにします。
「
岡じま」で。高松駅前ですと「めりけんや」がありますが、やはり「岡じま」の方が味は上です。とりわけ釜揚げうどんに強い店なので、釜玉なんかは岡じまを推したいです。
また珍しい「釜かけ」もあります。要は水で締めていないかけうどんで、福岡の「牧のうどん」の「かためん」みたいになってゆきます。
帰りの高速バスに乗りましょう。次の神戸行きは13時30分発のフットバスです。フットバスは自社単独運行で、高松から大阪便と神戸便を運行しています。効率を上げるため朝夕を除き神戸経由大阪行きとしており、全便を淡路島の志知に停車させています。
このためほぼ満席となりました。そろそろ神戸便と大阪便を分けてもいいような感じですね。
帰りのバスでは松田聖子さんのアルバム「Canary」(1983年12月)を聴いてみます。
完成度の高い前作「ユートピア」で頂点を極めた感のある聖子さんですが、プロデューサーの若松さんはさらに大きな野望を掲げました。「レコード大賞を取らせる」。すっかり権威が墜ちた今と違って当時は歌手としての最高峰の名誉であり、満を持して送り出したのが細野晴臣さん作曲の「ガラスの林檎」でした。
作詞に松本隆さん、編曲に大村雅朗さんを付けて発売された「ガラスの林檎」だったのですが・・・これまでの聖子さんとかけ離れた崇高感が災いし、オリコン週間1位は2週で終わってしまいました。さらに一緒に動いてくれるはずのサンミュージックが当時事務所に在籍していた都はるみさんの「浪速恋しぐれ」との板挟みになって動きが鈍く、結果的にレコード大賞を取ることができなかったのです。
ところがB面に入れていた「SWEET MEMORIES」がサントリービールのCMで火が付き、一度は10位圏外に落ちていたランキングが再び上がり、1985年の結婚前では最大のセールスとなりました。
こんな流れを受けての「Canary」ですが、原盤が上がったのが11月で翌12月発売という慌ただしい中での発売となっています。ユーミン作曲の「瞳はダイアモンド」「蒼いフォトグラフ」をメインに「真夜中のドア」の林哲司さんなど当時流行していたシティポップの作家陣を作曲に起用しているのが特徴です。
A面2曲目の「Canary」は聖子さんが初作曲した曲です。大村さんが作曲した1曲目の「Bitter Sweet Lollipops」から上手く流れをつなげることができており、大村さんが編曲で意識しているのだと思われます。
B面2曲目の「Wing」は来生たかおさんが作曲しています。中森明菜さんの「北ウイング」が1984年1月ですので「Wing」の方が少しだけ早くリリースされています。お互い偶然なのでしょうが興味深いですね。個人的にこの手の歌だと杏里さんの「All of You」(の初期の歌詞)が一番印象が強いです。
「Canary」のジャケットは表裏同じように見えますが、実は別カットでほんの僅か表情が違っています。若松さんの遊び心のようです。
「ユートピア」が大成功したからと同じ路線で攻めてゆかないのが若松さんらしいのですが、「Canary」は大人路線に振りすぎてしまいインパクトに欠けるアルバムであったことは否定できないと思います。
今日の運転手はあまり飛ばさなかったこともあり高速舞子を10分遅れで通過。さらに阪神高速の渋滞を避けるため新神戸トンネル経由になったこともあり15分遅れで三宮到着です。帰宅しましょう。
今回は2日間合わせて187局でした。皆様ありがとうございました。次回香川はオールJAで予定しています。