太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
第四回は今別の「本覚寺」です。
蟹田の観瀾山を後にし、国道280号線をひたすら北上。そして西へ。
外ヶ浜をぐるりと廻り、海は陸奥湾から津軽海峡へ、どことなく姿を変える。
国道280号線の海沿いの旧道へ入り、今別の中心街へ。
ここら辺は今年初旬の観音霊場で訪れているから少しばかり土地感がある。
「本覚寺」へは大きな看板があるので、迷うことなく辿り着く。
本覚寺は天正年間(1573~92年)に草創と伝えられる名刹。
今別出身の五世・貞伝上人は名僧として知られており、漁業や地域の振興に力を注いだ。
境内には貞伝上人の菩提を弔う為に建立された「青銅塔婆」は県重要文化財に指定されているが、後から知ったので見ていない・・・。
境内の右手は古い建物で、ここが旧本堂だと思われる。工事中でした。
本堂にお邪魔しようと思ったが、施錠しており、拝観をお願いしたかったが留守の様で無理だった。
なので大仏を拝観。
この大仏はいつ出来たかわからんが、かなり新しいものでしょう。
大仏の下部の堂は、中へ入るとセンサーでライトやダミーの蝋燭が点き、賽銭を入れるとお経と鐘が鳴るハイテクなシステムを取り入れてるのがなんか笑えた。
更に多聞天が祀られており、ここもお参り。
他にも地蔵堂があったと思う。
太宰は「津軽」本編で、蟹田を後にした後に今別に立ち寄っている。
すぐ竜飛に舟で向かう予定だったが、舟が欠航だった為に、Mさんの家に寄り、酒を酌み交わしてから、その流れで本覚寺に訪れる事になった。
そして道中に意気揚揚で鯛を買い、本覚寺のおかみさんに寺の説明を受けている。
酔っ払いN君とおかみさんとの噛み合わないエピソードの一文で締め括りたい。
~。「いったい、このお寺はテイデン和尚が、いつごろお作りになったものなのでしょうか。」
「何をおっしゃっているのです。貞伝上人様はこのお寺を御草創なさったのではございませんよ。貞伝上人様は、このお寺の中興開山、五代目の上人様でございまして、――」と、またもや長い説明が続く。
「そうでしたかな。」とN君は、きょとんとして、「しからば、さらにお尋ねいたしますが、このテイザン和尚は、」テイザン和尚と言った。まったく滅茶苦茶である。
N君は、ひとり熱狂して膝をすすめ膝をすすめ、ついにはその老婦人の膝との間隔が紙一重くらいのところまで進出して、一問一答をつづけるのである。そろそろ、あたりが暗くなって来て、これから三厩まで行けるかどうか、心細くなって来た。
「あそこにありまする大きな見事な額は、その大野九郎兵衛様のお書きになった額でございます。」
「さようでございますか。」とN君は感服し、「大野九郎兵衛様と申しますと、――」
「ご存じでございましょう。忠臣義士のひとりでございます。」忠臣義士と言ったようである。「あのお方は、この土地でおなくなりになりまして、おなくなりになったのは、四十二歳、たいへん御信仰の厚いお方でございましたそうで、このお寺にもたびたび莫大の御寄進をなされ、――」
Mさんはこの時とうとう立ち上り、おかみさんの前に行って、内ポケットから白紙に包んだものを差出し、黙って丁寧にお辞儀をしてそれからN君に向って、
「そろそろ、おいとまを。」と小さい声で言った。
「はあ、いや、帰りましょう。」とN君は鷹揚に言い、「結構なお話を承りました。」とおかみさんにおあいそを言って、ようやく立ち上ったのであるが、あとで聞いてみると、おかみさんの話を一つも記憶していないという。私たちは呆れて、
「あんなに情熱的にいろんな質問を発していたじゃないか。」と言うと、
「いや、すべて、うわのそらだった。何せ、ひどく酔ってたんだ。僕は君たちがいろいろ知りたいだろうと思って、がまんして、あのおかみの話相手になってやっていたんだ。僕は犠牲者だ。」つまらない犠牲心を発揮したものである。
続く。
住所・今別町今別字今別119
電話・0174-35-2076
第四回は今別の「本覚寺」です。
蟹田の観瀾山を後にし、国道280号線をひたすら北上。そして西へ。
外ヶ浜をぐるりと廻り、海は陸奥湾から津軽海峡へ、どことなく姿を変える。
国道280号線の海沿いの旧道へ入り、今別の中心街へ。
ここら辺は今年初旬の観音霊場で訪れているから少しばかり土地感がある。
「本覚寺」へは大きな看板があるので、迷うことなく辿り着く。
本覚寺は天正年間(1573~92年)に草創と伝えられる名刹。
今別出身の五世・貞伝上人は名僧として知られており、漁業や地域の振興に力を注いだ。
境内には貞伝上人の菩提を弔う為に建立された「青銅塔婆」は県重要文化財に指定されているが、後から知ったので見ていない・・・。
境内の右手は古い建物で、ここが旧本堂だと思われる。工事中でした。
本堂にお邪魔しようと思ったが、施錠しており、拝観をお願いしたかったが留守の様で無理だった。
なので大仏を拝観。
この大仏はいつ出来たかわからんが、かなり新しいものでしょう。
大仏の下部の堂は、中へ入るとセンサーでライトやダミーの蝋燭が点き、賽銭を入れるとお経と鐘が鳴るハイテクなシステムを取り入れてるのがなんか笑えた。
更に多聞天が祀られており、ここもお参り。
他にも地蔵堂があったと思う。
太宰は「津軽」本編で、蟹田を後にした後に今別に立ち寄っている。
すぐ竜飛に舟で向かう予定だったが、舟が欠航だった為に、Mさんの家に寄り、酒を酌み交わしてから、その流れで本覚寺に訪れる事になった。
そして道中に意気揚揚で鯛を買い、本覚寺のおかみさんに寺の説明を受けている。
酔っ払いN君とおかみさんとの噛み合わないエピソードの一文で締め括りたい。
~。「いったい、このお寺はテイデン和尚が、いつごろお作りになったものなのでしょうか。」
「何をおっしゃっているのです。貞伝上人様はこのお寺を御草創なさったのではございませんよ。貞伝上人様は、このお寺の中興開山、五代目の上人様でございまして、――」と、またもや長い説明が続く。
「そうでしたかな。」とN君は、きょとんとして、「しからば、さらにお尋ねいたしますが、このテイザン和尚は、」テイザン和尚と言った。まったく滅茶苦茶である。
N君は、ひとり熱狂して膝をすすめ膝をすすめ、ついにはその老婦人の膝との間隔が紙一重くらいのところまで進出して、一問一答をつづけるのである。そろそろ、あたりが暗くなって来て、これから三厩まで行けるかどうか、心細くなって来た。
「あそこにありまする大きな見事な額は、その大野九郎兵衛様のお書きになった額でございます。」
「さようでございますか。」とN君は感服し、「大野九郎兵衛様と申しますと、――」
「ご存じでございましょう。忠臣義士のひとりでございます。」忠臣義士と言ったようである。「あのお方は、この土地でおなくなりになりまして、おなくなりになったのは、四十二歳、たいへん御信仰の厚いお方でございましたそうで、このお寺にもたびたび莫大の御寄進をなされ、――」
Mさんはこの時とうとう立ち上り、おかみさんの前に行って、内ポケットから白紙に包んだものを差出し、黙って丁寧にお辞儀をしてそれからN君に向って、
「そろそろ、おいとまを。」と小さい声で言った。
「はあ、いや、帰りましょう。」とN君は鷹揚に言い、「結構なお話を承りました。」とおかみさんにおあいそを言って、ようやく立ち上ったのであるが、あとで聞いてみると、おかみさんの話を一つも記憶していないという。私たちは呆れて、
「あんなに情熱的にいろんな質問を発していたじゃないか。」と言うと、
「いや、すべて、うわのそらだった。何せ、ひどく酔ってたんだ。僕は君たちがいろいろ知りたいだろうと思って、がまんして、あのおかみの話相手になってやっていたんだ。僕は犠牲者だ。」つまらない犠牲心を発揮したものである。
続く。
住所・今別町今別字今別119
電話・0174-35-2076