シリーズ「津軽一代様巡り」の第五回は黒石の「白山姫神社」、通称「袋観音堂」です。
ここは午の一代様(守り本尊は勢至菩薩)です。
場所は、国道102号線から「落合・板留温泉郷」方面へ下りる。
落合温泉方面へ進むと「津軽伝統工芸館」が右手にあるので、その交差点を右折する。
400mほど直進すると左手に参道入り口があります。
「温湯温泉郷」の温泉街を通って行くことも出来るが、道は狭いしわかりにくいので、落合温泉方面の方がわかりやすいだろう。
参道入り口の一の鳥居の麓にある民家の雪かきしているオバサンに参拝する為に駐車していいか尋ねた。
「この大雪の中登るの!?」と驚きと呆れられたようであった。
それもそのはず、ここ数日の大雪で、参道は雪藪になっている。
しかもここは参道が急勾配の難所であり、冬はほぼ参拝客はいない。
オバちゃんには自分がよほど信仰心が強い人間に思えたか、もしくはただのキチガイにでも思えたか。
一の鳥居を潜るとすぐに大イチョウが左にあらわれる。
見事な大イチョウである。
もともとはこの大イチョウの近くに観音堂があった。
今は現在地にあるのでここには何もない。
ここから100mほど田んぼの中を歩く。
田んぼといっても今はただの雪藪である。
ここは「津軽三十三観音霊場」の二十七番札所なので、以前訪れた事がある。
その時も真冬だったので、軽装の自分は雪中行軍よろしく、ひどい目にあった。
なので今回一応長靴を持参したが、長靴では歯が立たなかった・・・。
何せ膝まで積雪があったくらいだ(これからもっと雪は積るだろうからまだマシだったが)。
田んぼを抜けるとここから林の中の登り道になる。
ここもまた急勾配であり、林に囲まれているので積雪こそ少ないが、非常に大変な参道である。
山の中腹にある神社(観音堂)まで300mの登り道は危険である。
夏場でもこの参道は急勾配できついだろうが、冬道だと尚更である。
参道には雪に埋れた三十三観音石像があり、なんとか後押ししてもらう。
そんな中なんとか辿り着いた。
社殿兼観音堂と奥に本殿、左手に神楽殿がある。
狛犬と馬の石像が二対ずつあるが、馬の石像には帽子(キャップ)が被せられている。
積雪から守るために「笠地蔵」よろしく、午年の一代様らしく、大事に扱われている。
さて、白山姫神社(袋観音堂)の歴史を。
大同年間(806~810年)、坂上田村麻呂がこの地に陣を張った際、袋に入れた勢至観音像を大木にかけて祈願し、創建した。
文明年間(1469~1487年)に南部光政が袋観音大菩薩の御堂を再建。
正徳元年(1644)には、津軽三代藩主信義が津軽三十三観音札掛所に指定される。
天明八年(1788年)、もともとイチョウの木があった所から現在の場所に移建される。
明治初期、袋観音堂は白山姫神社に改称する。
袋観音堂の本尊は「馬頭観世音菩薩像」である。馬の一代様だけに?
でも午の守り本尊は「勢至菩薩」である。
もともとあった本尊は弘法大師作といわれる「勢至菩薩像」、そして「千手観世音菩薩像」であったが、二つとも失われたといわれる。
その後今の馬頭観世音菩薩像が本尊になったとの事。
この急勾配の雪藪の参道を登ってきただけあり、感慨もひとしおだが、急いでいたのですぐ帰路につく・・・。
誰も真似しないとは思うが、真冬にここに訪れるのは危険なのでやめましょう。
それでも来たい人は登山覚悟の防寒対策万全に期す事を注意しておきます。
住所・住所・黒石市袋字富岡185
ここは午の一代様(守り本尊は勢至菩薩)です。
場所は、国道102号線から「落合・板留温泉郷」方面へ下りる。
落合温泉方面へ進むと「津軽伝統工芸館」が右手にあるので、その交差点を右折する。
400mほど直進すると左手に参道入り口があります。
「温湯温泉郷」の温泉街を通って行くことも出来るが、道は狭いしわかりにくいので、落合温泉方面の方がわかりやすいだろう。
参道入り口の一の鳥居の麓にある民家の雪かきしているオバサンに参拝する為に駐車していいか尋ねた。
「この大雪の中登るの!?」と驚きと呆れられたようであった。
それもそのはず、ここ数日の大雪で、参道は雪藪になっている。
しかもここは参道が急勾配の難所であり、冬はほぼ参拝客はいない。
オバちゃんには自分がよほど信仰心が強い人間に思えたか、もしくはただのキチガイにでも思えたか。
一の鳥居を潜るとすぐに大イチョウが左にあらわれる。
見事な大イチョウである。
もともとはこの大イチョウの近くに観音堂があった。
今は現在地にあるのでここには何もない。
ここから100mほど田んぼの中を歩く。
田んぼといっても今はただの雪藪である。
ここは「津軽三十三観音霊場」の二十七番札所なので、以前訪れた事がある。
その時も真冬だったので、軽装の自分は雪中行軍よろしく、ひどい目にあった。
なので今回一応長靴を持参したが、長靴では歯が立たなかった・・・。
何せ膝まで積雪があったくらいだ(これからもっと雪は積るだろうからまだマシだったが)。
田んぼを抜けるとここから林の中の登り道になる。
ここもまた急勾配であり、林に囲まれているので積雪こそ少ないが、非常に大変な参道である。
山の中腹にある神社(観音堂)まで300mの登り道は危険である。
夏場でもこの参道は急勾配できついだろうが、冬道だと尚更である。
参道には雪に埋れた三十三観音石像があり、なんとか後押ししてもらう。
そんな中なんとか辿り着いた。
社殿兼観音堂と奥に本殿、左手に神楽殿がある。
狛犬と馬の石像が二対ずつあるが、馬の石像には帽子(キャップ)が被せられている。
積雪から守るために「笠地蔵」よろしく、午年の一代様らしく、大事に扱われている。
さて、白山姫神社(袋観音堂)の歴史を。
大同年間(806~810年)、坂上田村麻呂がこの地に陣を張った際、袋に入れた勢至観音像を大木にかけて祈願し、創建した。
文明年間(1469~1487年)に南部光政が袋観音大菩薩の御堂を再建。
正徳元年(1644)には、津軽三代藩主信義が津軽三十三観音札掛所に指定される。
天明八年(1788年)、もともとイチョウの木があった所から現在の場所に移建される。
明治初期、袋観音堂は白山姫神社に改称する。
袋観音堂の本尊は「馬頭観世音菩薩像」である。馬の一代様だけに?
でも午の守り本尊は「勢至菩薩」である。
もともとあった本尊は弘法大師作といわれる「勢至菩薩像」、そして「千手観世音菩薩像」であったが、二つとも失われたといわれる。
その後今の馬頭観世音菩薩像が本尊になったとの事。
この急勾配の雪藪の参道を登ってきただけあり、感慨もひとしおだが、急いでいたのですぐ帰路につく・・・。
誰も真似しないとは思うが、真冬にここに訪れるのは危険なのでやめましょう。
それでも来たい人は登山覚悟の防寒対策万全に期す事を注意しておきます。
住所・住所・黒石市袋字富岡185
私、徒歩で日本一周目指してる者です。
GWに青森県西半分を歩く計画で
どこか、いい社寺をとググっていて
ここに出ました。
当初は全国の霊場回っての記念すべき第10番目
として津軽三十三観音も考えていたのですが、
遠方のため、泣く泣く諦めざるを得ません。
こちらの日記で溜飲を下げさせていただきます><
全国行脚ごくろうさまです。
津軽地方は本家の西国とはまるで見応えないと思うので諦めて正解ですよ(笑)
ほとんど民間管理の無人の社寺が多く、観音像すらないところも多いですから。