Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

偉人の言葉(二)

2012-04-16 08:23:02 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の「偉人の言葉」の続きです。
何を書いているかというと、祖母の思い出ですね。ふと書きたくなったから書き出した、昨晩も携帯から書き込もうとして、本文を入力しようとした所で気が失せたという、気ままなエッセイです。
 祖母は、吊られていた冊子に目を留めて、家康さんかというようなふふっとした表情と仕草をして、二階の廊下を眺めていましたが、私にちょっと微笑むか何かすると、部屋の中に注意が向いたようでした。
さらっと部屋を流して歩き、また元の日めくりの所に来ると、今度はよくよく詞書きと冊子を眺め、これがカレンダーとしての機能より、短冊としての機能を果たしている事に気が付きました。
あの子がこんな言葉を好むとは、選ぶとは、そんな事を呟いて、父の品がよく置かれている家具を調べていたようでした。
この間、私はそれほど祖母の行動を気にも留めずにいました。これがそれほど印象に残っているのは、祖母が二階に来たという記憶が私の記憶の中では初めてだった事と、後の深い記憶のせいでしょう。
そして何より、私はこの祖母が大好きだったのです。末の孫に近い私は、祖母にとっても扱いなれた孫であったのかもしれません。
その後、夕飯時に二階の冊子や言葉書の事が祖母の口から取り沙汰されて、祖父や父がなにやら話し、話題になっていた事を覚えています。家康さんの言葉はその意味のままに重荷を持っていたようでした。
その後も2、3回、私が部屋にいる時に祖母はやってきた事があります。「重荷」が話題になった時も在ります。
「あんたは重荷を背負っている」
とか、
「あんたが一人で背負わなくても、一緒に背負ってくれる人がいる」
「やっぱりあんたが一人で背負わないと」
「あんたが背負わなくても背負う人は沢山いる」
「あんな重たいものを背負うなんて」
「あんたには荷が重過ぎる」
「無理に背負う事も無い」
「…」
などなど、
2、3回の中でこんなに話したかと思うほど、重荷の話題は多く、記憶に残ってしまいました。が、今はそれも薄れてしまったように思います。
あまりの言葉の重荷に、苦しくなって「もう重荷の話は沢山、聞きたく無い。」
そんな事を入って祖母の話を聞かなくてもよいとさえ言ったような気がします。
最後に2階で祖母を見た時、祖母は「あんたの好きなようにするといい」そう言って静かに微笑んでいたように記憶しています。
私は、浮き立つように晴れ晴れと気分が軽くなりました。
冊子の言葉に対する祖母の私への最後の言葉。
我が家の偉人の言葉かもしれませんね。