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今年の薔薇は、とても大きく自由に咲いているように思われます。
例年、春というか初夏というか、一番花はその名の通り一年で一番大きな花になるのですが、今年は特に伸びやかに花びらを開き、箍が外れたような広がりの柔らかさ、女性らしさを感じます。
不思議に思いながら眺めていましたが、春先の申し訳程度にしか与えていない肥料が思い浮かぶばかりで、しかも、鉢だけでなく、庭に植えてある花の方も大きな広がりを感じるので、こちらは肥料を与えていなかった事を思うと、気候の回り具合がうまく花にマッチしたのだといえそうです。
桜の開花も例年より早かったことや、花持ちもよかったように思うので、今年の気候は花にはよいものであったようです。
おかげで家の花瓶には多くの大輪の花が溢れ、いかにも優雅な女性主人のいる家の様相を呈しています。
確かに、そう裕福ではありませんが、父のささやかな遺産や年金を母が受け継ぐようにしたので、母の今後は安定なものに違いありません。
母にはこの辺、父にはもちろんですが、私達姉妹にも感謝してもらいたいものです。
父は生前、私に家を出て欲しいと再三言っていましたし、財産を行かないようにしたとも言っていましたので、私にははっきりと家を継いで欲しくないようでした。
思えば、父の持ってきた結婚話は家を出る話でしたから、次男との縁談であっても、当時はそう明確な意図が無かったかも知れませんが、流れ的にも私は家を出る形に向かっていたように思います。
「お父さん、椅子に深々と座って大きな溜息をついていたよ結婚式の後、式場で。」
「安心したんでしょうね、肩の荷が下りて。」
そんな話を、新婚旅行から帰って聞きました。
「誰もいなくなった式場の椅子で。」
多分、見られているとも知らずに、どーっと疲れが出たのでしょうね。
何となく含みのありそうな話を聞きながら、当時からその話しをした人の口調に、目撃したその人が感じとった、父の厄介払いできてせいせいしたというような態度というものを感じたものでした。
その時に初めて、私は父にとって厄介者だったのかしら?と、ふと思ったものでした。
その時まで全然そんな風に感じたことがありませんでした。
むしろ、父にとってはささやかでも、誇れるような子としての学業成績であったり、資質を持った子であったりして来ました。
「教養は天に積め」
そんな事を再三口にする父は、よくあるような教育パパであった気がします。
学業成績が下がると、母にこんな者はお前の実家に引き取ってもらえ、と私の目の前でも平気で言っていました。
ですから、学業についてはもちろんですが、取り掛かったものはかなり真面目に取り組んだものです。また、そういった癖が自然とついてしまったといえます。
今日はここまでにします。
思えば、真面目にせっせと取り組むことを美徳と教えた父に、腹が立ったりします。