さて、前回は題名の雛祭りとは関係ない内容を書いてしまいましたが、
祖母が亡くなったのは3月であったので、共に三月の行事、出来事という繋がりで納得していただきましょうか。
あまりにしばしば、祖父が日にちの経過を尋ねるので、私をはじめ、いとこ達の間でも、祖父は何だか様子がおかしいのではないかと取り沙汰されるようにもなりました。
が、その他には特に目立った今でいう認知症状もなく、おじいちゃん変ね、でも特に何ともないみたい、で過ぎていきました。
そして、ある日祖父は私に言ったものです
「お祖母ちゃんが死んでから、もう6カ月たったかな?」
6カ月?私はその頃になると、もう指折り数えないと何カ月過ぎたと計算できないくらいでした。4月の何日に1か月後、5月の何日で2カ月…。
そんな計算を目にしながら、祖父は
「いつになったらお祖母ちゃんが死んでから6カ月になるかな?」
と聞いたものです。
単純に3+6で、9月かな、9月の月命日の日が済めば6カ月過ぎるのかなと私は考えました。
あれこれ言う私に、祖父は焦れたように
「それで、何時になったらお祖母ちゃんが亡くなってから半年過ぎたことになるんだい?」
と、不満そうに言うので、
そういう半ば怒った言い方をされても、と、私も不満げに、少々むかっ腹を立てて、9月が済んだらもう確実に半年は過ぎているわと答えたものです。
本当に、6カ月や半年が、祖母の死と何の関係があるのかと、祖父の執拗なまでの言動に、ここまで来ると私も不思議さが募ってきて、父、母、年の近いいとこ、近所の伯母と不満げに質問を浴びせて回った物でした。
そして、多分10月に入った頃だったでしょう、祖父はもう半年が過ぎたねと私に確かめると、
「さて、出かけて来なければいけない、行く所がある。」
と、何だか晴れ晴れした感じで、今まで床に居ついていた様子とは打って変わって、てきぱきと自身で余所行きの身支度を整えると、本当に何処かへ出かけて行ってしまいました。
それまでの祖父の様子から、何だか外出中の祖父の身の上が心配になって、祖父の無事の帰宅を待っていた覚えがあります。
その後も、祖父は
「あの子には言って置かないといけない」
「あの子があんなになるなんて」
などなど、仏間であれこれ独り言のように私に話す事がありました。
私は何があったのかと思ったものですが、さっぱり、「子」が誰をさすのか、何がどうなったのか、当時は全くもって謎の中、伯父、いとこ、などなど。誰が誰ともわからない「子」について思案を巡らしたり、想像したりしましたが、分からないものは考えてもしょうがないと一人納得したものでした。
ただ、私はかなり後年になって、私に子供もでき、子供が私くらいの年齢になった頃、この時の祖父が何をしたかったのか、また、祖父母が何をしたのか知ったのでした。
祖父母は私の父に家督を継がせるよう、祖母が亡くなった時点で父が遺産相続するよう遺言書を作ってありました。今住んでいる家は祖母の名義であり、父の物となる内容でした。
他の兄弟から物言いが成されないよう、祖父は祖母の死後半年の経過をじっと待っていたのでしょう。誰もが家は祖父の名義と思っていましたから、当時の世相、まだ男尊女卑の年代である明治生まれの祖父母が、そんなことをするとは誰も想像していなかったことでしょう。
私も、遺言書を母から見せられて、この当時の祖父の言動を思いだし、なるほどと合点したものです。母が言うには、この遺言書が父の偽造だとまで言われたとか、そうかと、祖父の言動があれほど執拗でなければ、私も真実を疑ったかもしれないと祖父の、そして祖母の所作、先見の明をありがたく思うのでした。