そのような訳で、
大体の祖父のボケていたらしい、またはボケはじめていたらしい様子が分かっていただけたかと思うのです。
祖母が亡くなってから3年は経過していたかと思うこの頃。諸事情も判明し定着していただろう頃なのに、祖父は伯父が家に帰ってくる事を喜ぶ状態にあった。また、家に帰って来て欲しいと願う状態にあった事がうかがえます。
私もまだこの頃は家督が定まっていたことを知らない状態だったので、祖父の意向をくんで、父に家を出て暮らすことなど勧めたりしたものでした。私達一家が出れば伯父一家も帰って来易いだろう。祖父の為にもその方がよいのではないかと、真面目に父に言ったものでした。
が、もう当時は父が家を継ぎ、祖父の面倒を見るという状態になってしまっていたので、私のこの意見は全く相手にされなかったものです。
それどころか、折角固まっている家の体制を揺るがせる事になってしまったようです。
今から考えてみても、祖母の死後半年過ぎからの祖父の言動は、親戚との間に相当の軋轢が生じたらしいことを窺わせました。
外出先から帰ると相当疲れた表情で何度か独り言をつぶやいていた祖父。青息吐息というものでしょう。
かなり赤くなったり青くなったり、顔色さえ冴えない、青ざめた表情でがっくりと疲労感を漂わせていたものです。
私は常と違うこんな状態の祖父に、外で何かしらの荒波に立ち向かっているらしい、そして相当な波に揉まれているらしい祖父の心労を感じました。
大丈夫なのかと、外での諸事情が分からないままに祖父の身を案じ、父や周囲の人々に何かが起こっているのを感じていました。祖母の亡い中、祖父もはかなくなってしまうのではないかと案じたものです。心配になり、いたたまれず周囲の人々に相談さえしたものです。当時子供の私でさえ、これだけ親戚内で何かがあったことを感じ取れたのです。
今事情が分かってしまえば、当時祖父が伯父を家に呼んだり、帰ってくることを願ったり、もう父の家になった所へ伯父が戻って来ることなど無いのだ、そうしてしまったのは祖父母自身なのだと、諸事を全く把握できなかった祖父は、やはりボケていたのだと、今の私は思うのでした。