父が亡くなってから2、3年、結構前になりますが、母がふと
「お父さんの顔覚えてる?」
と聞くので、
「覚えてるけど」もちろん
というと、
「そう、お母さん全然お父さんの顔を思いだせなくて、どんな顔だったかねぇ」
などと言うので、
ええーとびっくり!
ボケたせいという訳でもなく、父の若い頃の顔も思いだせないらしい。
そんな母の様子にやや好意的に
「おかあさん、お父さんの横にいつもいたから、顔が見えなくて覚えてないのよ、私は正面からよく見ていたから。」
など、母と私の父との位置の取り加減の違いを理由に上げてみたものの、やっぱり不自然と唖然としたものです。
その後、思いだしたのが両親の結婚写真、父はそれなりにやや緊張したような面持ちで正面を向いて映っていたのですが、母ときたら目線を落として父から顔を背け風という写り加減でした。
写真は1枚でもないのでしょうが。
その後もあの写真と同様父から顔を背けてきたのかなと、長年連れ添った夫婦というのも様々なことだと感じ入りました。
私など、性格の不一致、即離婚!に近い感じで10年ほどで離婚してしまいましたが、記憶力が良いのか、いまだに顔を思いだせるというのが内心嫌なものです。
60年ほど連れ添った両親なのに、そんな物なのかと、不仲であった父に同情してしまいました。
離婚すればよかったのに、ともすれば実家に帰りたいという母に「実家に帰れ!」と怒鳴りたくなりますが、いつも心の内の声で留めています。
さて、今日こんな事を書きだしたのは、そろそろ父の日フェアーで、黄色いバラの花束など
、父を思いだす機会が増えたせいでしょう。今朝もふと父の事を思いだして
「段々寂しくなりますよ。」
の親戚の方の葬儀での言葉を思い起こしてみました。
『そうかな、そうだろうかと』寂しさの具合をいつも推し量ってみるのです。
この言葉を思いだすと何時もそうなのですが、父を慕う寂しさがそう増したとは感じないのでした。
父の顔を思いだせない母、寂しさが募らない私
、母娘だねえといわれそうですが、似て居たくない私です。