Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

困っていること

2016-05-21 10:18:26 | 日記

何でも、注意したことを忘れてしまう母に、

困っていること!第一である。

 最近も、帰宅すると玄関に花の一輪挿しが置いてあった。

家にはない花なので、母が誰かにもらって来たのかなと思う。そう思う内にも、何やら胸騒ぎ、がという感じ。

その後帰宅した母に、玄関の花どうしたの?と聞くと、

「近所のお寺に沢山咲いていたから、お寺のだし取っていいと思って取ってきた。」

という答え。

途端に気分が下降、沈むというより、何かにめり込んでしまった気分に陥った私でした。

 やっぱりね、今に始まったことではないような気がする私。

思い出してみると、幼少の頃から何かあると近所のお寺で遊んできなさい、お寺でどうのと、やたらお寺に縁付けられてきた私というか、縁付けようとしていた母だったなぁと、認知症になる頃からの母の言動が思い当たるのでした。

どうも、母自身が寺に縁付きたい人だったのだなぁと思うのです。

 近年も、近所の寺に花が沢山咲いているから、おまえ見に行っておいでとか、見に来て欲しいって、というのですが、私はほとんど行ったことはなく、行く気にもならないでいたのですが、幼少の頃は母のいう事をよく聞いて、ほとんど毎日、一日にも何度となく行ったくらい頻繁に遊びに行ったものでした。

 幼い頃は近所に遊び相手の子供も多く、皆で連れだってこの寺へ遊びに行ったものでしたが、いつしか皆行かなくなり、誘うと

「お寺や、お墓って気味悪くない?」

といわれて、子供心にもそうかもと思ったものでした。

それが自然かなと当時も感じていました。

そんな私が寺での遊び通いを止めなかったのは、やはり親の言うことに素直に、という父の教えを守ったせいだと思います。

母のいう事に素直に、寺で遊んできなさい、行ってきます。こんな感じでした。

それでも、小学校へ上がる頃には忙しくなり、2日、3日、と足は遠のいて行ったものです。

 さて、そんな話はさておいて、母の花泥棒には困ったことでした。

「お寺さんでも、花は取って来てはダメよ。」

というと

「そんな物かねえ」などと空々しく言うので、

呆れるというより、認知症のせいかな?と、病気のせいにしてしまいたいくらいでした。(それではすむまい

だって、過去を鑑みれば、父が亡くなってからは、何故か母が盛んに寺に行っていたという事が明るみになってきたのでした。

しかも、墓所をうろついていたらしく、墓所で工事中に母と話したからと、石屋さんから墓の立て直しの話を受けたり、

母自身から、本堂の前の階段で近所の誰それとよく話し込むと聞いたり、

頻繁に近所の寺と母がクローズアップされてくるという事がままあったのでした。

 今度は花ね、どこをうろついてきたのやら、寺の中から裏から周囲迄、いったいなんでこんなに寺が気になるのやら。そう思ってみたのですが、寺に限らず近くの公園、観光所、その他施設、母の話は絶え間ないのでした。

万遍なく家の周囲、地域をうろついているのでしょう。

 注意しても忘れてしまうし守らない。こんな母のいう事を、

『親のいう事には素直に、親の言葉と茄子の花は千に一つの無駄もない』

と教えた父が、最後には私と不仲だったというのも当たり前かなと、これを書いていて思ったことでした。

普通の家の花じゃない、お寺さんの花よ、と母はいうけど、ダメです!泥棒です!

花泥棒は罪が深いというし、お寺でも(この感覚も理解できないんだけど)花泥棒はやめてね!