漸く蝶が認識でき、空間を飛ぶ蝶も、あれあれとよく目に捉える事が出来るようになると、本当に蝶って素敵だなぁと新めて気分よく晴れ晴れとして素晴らしく思いました。私は蝶が大好きなのだと確信を持ったのですが、そう思う間も無くその年は暮れ、翌年の春に再び蝶を見る事が出来た私は、嬉しくてその年は蝶ばかりを追っていたものです。
私が最初に名前や姿を知ったのは白い蝶、モンシロチョウの類でした。その後、翌年になり、盛んに蝶を探す内には黄色い蝶も見つける事が出来るようになりました。そうすると今迄の白い蝶よりは黄色い蝶と、モンキチョウと名前を習うと、モンキ、モンキと、現金なもので私は黄色いモンキチョウの類ばかりを探したものです。
その年も秋になり、漸く私はアゲハ蝶に出会ったのでしょう。しかし機敏なアゲハ蝶にはその翌年まで私の認知能力はついて行かなかったようです。よく春、初夏に近い頃か、私はモンシロチョウやモンキチョウとは違うとても素敵な大きな蝶に初めて出会った、と思うのです。それは黒と黄色の模様がはっきりしていて、色の中にはオレンジ色も入り、とても綺麗な見栄えのする素敵な蝶でした。父曰く、アゲハ蝶でした。
「お前は去年もこの蝶を見ているぞ。」と、父は言うのですが、私にこの素敵な蝶を見たという記憶は皆無でした。「生まれて初めてみる蝶だ、あんな素敵な蝶は1度見たら忘れない。」と私は父に主張するのですが、「そうだったかなぁ、お前の目に映っていた様だったがなぁ…。」と、父もなかなかしつこい物言いで、父子で互いに譲らず頑固に見た見ないと暫く言い合っていたものです。
アゲハ蝶を、私はとても綺麗な蝶と心時めかせて思いました。一遍で今まで自分が追っていたモンシロチョウやモンキチョウが私の中では色褪せてしまい、それらは好みの評価が一気に下段へと下降して行くのでした。この様に今や私の中でも、モンシロチョウやモンキチョウは一般的な当時の世間の評価、唯のごく有触れたよく見る蝶になって仕舞ったのです。