Jun日記(さと さとみの世界)

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靄 2

2025-03-06 08:39:18 | 日記
 昨日靄の事を書いていて、ふと思い出したのが私が中学2年生の時の事です。或る朝の事、私が座敷で目覚めると、仏壇を前に正座して、こちらに背を向ける父の背中が有りました。それ迄も、早朝に父が仏壇に参る姿を見かけた事がありますが、黙として経も読まずに座しているのは異例な事でした。その他にも、部屋には異例な出来事が起きていました。
 それは、畳の上に白く靄が降りていた事です。家の中に?、こんな霞のような物が漂っているとは、それは恰も演劇効果で舞台に漂うドライアイスの煙幕、白い煙を床に張ったような状態でした。
 私はその異様さにハッとして目醒めたばかりの自分の目を擦り、目を凝らしてその有様を探りました。すると室内にも、妙に冷えを感じる冷気という物を自身の肌に感じ取りました。何が起きているのだろうか?、と、これは何かおかしい、やはり何か有るようだと感じました。私がそう思ったのも道理で、眠っていた私は目覚める前に奇妙な夢を見ていました。魘(うな)されて譫言を言っていたのかもしれません。父が仏壇に参っていたのも、多分靄の中で眠る私がうんうんと、さも苦しんでいるように見えたのでしょう。その姿に魔王でも連想したのでしょうか。子を案じた親にすれば困った時の神頼みという物です。
 さて、ご先祖様が守ってくれたのか、単なる自然現象だったか、私の目覚めと共に、ほぼそれに近い時間に、するすると靄は引いたようでした。畳の目がすぐに現れ、父の座す足元も露になり、使い古され平たく伸された座布団の端が見えて来ました。全てが露に目に映るようになると、現実的な室内の光景に私の畏敬の念は薄れ、何だ普段の日常ではないかと、空威張り風に平静を装ってみるのでした。
 「お父さん、如何したの?。」と、私は父に声を掛けました。子の私にすると、早朝、靄の上、静寂に仏壇に参る父の姿の方が異様でした。平静を装いつつもおっかなびっくりという物でした。私の声掛けに、父の背は我に帰った様子で微妙に揺れました。そうして父はゆっくりと、そろそろと、私の方に彼の顔を振り向けるて来ると、やはり「お前大丈夫なのか?」と、視線も合わさずに問い掛けて来たものです。私は微妙な父の心情を感じつつ、何と答えたものかと考えていました。魘された夢の事を思えば、はい大丈夫、とは言い難かったのです。
 そこで返答に窮する内に、ぱあっと障子が明るくなり、室内の明るさが増して来ました。すると直ぐに、部屋の中も暖かさを感じられる迄に室温が変わり、その温もりが私に勇気を与えてくれました。『夢か現かといえばこれは現実の世界なのだ、他愛も無い夢の世界に何時迄も引き摺られている事も無い。』、そう思うと、私は「大丈夫よ。」と答えました。私の返答にも父は相変わらず静かで、そうかと言うと暫くは沈んだ気配が消えずにいました。彼はその後も仏壇前に暫く坐していました。やはりちんちん!とおりんを鳴らし、念仏等唱えていた様子です。これが私の推量なのは、この出来事が平日の出来事で、私は登校の為に朝の準備に入ったからでした。
 私が床の間から飛び出し、洗顔を終えて居間に向かうと、時間は未だ7時を少し過ぎた程度でした。普段7時半過ぎ迄のんびり寝ていた私は、常より早い目覚めにも驚きました。夢のせいですっかり寝過ごしたと思っていたのです。おかげで早めに登校準備も済ませ、私は常よりさっぱりとした気分になり、夢の事など綺麗に忘れて仕舞いました。登校に時間的余裕が有る爽快な気分に、私はこれが早起きは三文の徳なのだと、意気揚々と学生鞄を手に玄関へと向かいました。こんなに早くに家を出た事が有りませんでした。いつも遅刻スレスレ、始業のベルと共に校門を潜る事さえ1度ならず有った私です、その事も嬉しく感じていました。
 本当に、私の記憶の中でも1度しかなかったこの室内の風景。外から靄が室内に入って来たのだろうと推察されるこの現象。昔の、家が明治の時代の建物だった頃の、障子の向こうに縁側と土間、土間続きの木の壁の向こうは中庭、高木低木と幾本かの木が植えられていた庭の、その時の季節、気象が如何作用し有ってこのような状態を生み出したのか、私は何とも不思議な朝の一コマを体験した事です。

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