すると祖父はフフッと笑って、私も落ちぶれたものだな、こんな小童に案じられるとは、と独り言の様に語った。
私は、祖父の言葉が少し分かったような気がしたが、その言葉の前後の脈絡という物がさっぱり理解できなかった。私は彼を見詰めた儘黙っていた。
「何か言っておくれ。」
祖父は私に語り掛けて来た。何か言ってくれないと、その儘になったのかと思うからね。そんな事を微笑みながら、穏やかに彼は私に言うのだ。「人のこういう場面には、過去に何度か会っていてね。」、ぽつりぽつりと、祖父は他人事のように淡々として静かに話し出した。特に国同士の争い事では、そりゃあ多かったものだ。もう出会いたくないと思い、そう思っていたが、つい最近もあってね。新しい物は記憶に鮮明だ。…あれからもう、15年は経つのか。そんな事を言った彼は遠い目を伏せて顔を曇らせた。祖父は再び、何か話しておくれと私の言葉を促した。『何を言おうか…。』、私は考えた。
「さっきね、お祖父ちゃんが階段の下に行った時、」
私は始めた。おうと祖父はほっとした様子で相槌を打った。
「お祖父ちゃんとお父さんが似ていると思った事が有ったの。」
親子仲良く、夫婦仲良く、家族仲良く、そんな言葉が日頃の合言葉のような我が家の事だ、父と祖父が似ているという話題は、祖父を喜ばせる筈だと私は思った。が、しかし、祖父はハッとした顔付になり、思わず「な、何を言うんだ。」と、小さく言葉を口から洩らした。それでも祖父は私の傍で私の顔を見詰めていたが、何故そんな事をと、言うと、「何時、どんな所でだい?、私は暫くの間下にいただろう。」と私に問いかけて来た。
私は、その時の場面を脳裏に思い浮かべてみる。祖父が同じ位置で足を数歩動かし、怯んで沈んだ様な面持ちでいた顔付きや、会釈して礼などする様が、父のその様な顔付の時の、彼がした挙動と重なったのだと答えた。祖父は苦しそうな、眉間に皺を寄せた顔付をしていたが、
「お前、嫌な事を言うなぁ。」
と、嘆息めいて言った。
「私が、あそこで佇んでいた時にかい。」
祖父は自分の行動を思い出そうとしたらしく、私から視線を外すと、階下の先程自分がいたらしい位置を見下ろした。
「お前の傍に行こうとして、実はお祖父ちゃんは足が竦んでいたんだよ。」
如何にも足が動かなくてな、漸く動いたと思ったが、お前が身動きしないで、…お前の動かない目だけがこちらを見ていたものだから…、祖父は身震いして言い淀んだ。
「そう、あれだよ。」
「もう、その、息が無いのかと思ってね。」
一寸はにかんだような感じで、祖父は頬を染めて無理に笑顔を浮かべると言った。
『息が無い。』。幸か不幸か、私はこの言葉を知っていた。私の小さな交際範囲の中で、金魚が、小動物が、もう息が無い。そう聞く事が数回有ったからだ。そこで私は、この時祖父の言葉を理解出来たのだ。
「嫌だな、お祖父ちゃん、」
私は眉根に皺を寄せて言った。
「生まれて間もない私だもの、未だ死ぬには早いよ。」
ほんとに冗談が、お祖父ちゃんの方が過ぎるよと。祖父が全く冗談を言っているのだと私は思っていた。祖父が未だ微笑んでいたので、私も彼に合わせてふふふと笑った。
すると祖父は、目を瞬かせておやっという様に身じろぐと口を開いた。「お前」、そうかと頷くと、これも冗談なのかと彼は言った。いやぁ、参ったなと彼の様子は一気に緩んだ風情になり。その場の空気が軽く和んだ事を私は感じ取っていた。
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