ここ数日「嬉しい雛祭り」の歌が頭に流れるという、雛祭りを待ち望んでいるような自分がありました。
「明かりをつけましょぼんぼりに、…今日は嬉しい雛祭り」
です。
いよいよの今日、何をしようかと朝から考えて、ぼーっと1日を過ごし、ここ数日気が付いたことを思い浮かべたりしていました。
やはり、やはり祖父は後年ぼけていたのだと思い当たることがあって、あれこれと、当時は気が付かなかった、人の思惑、というと、何だか悪だくみや悪い感情に向いてしまいそうですが、人の思いというものを思ったりしました。
祖父がぼけているというのは従兄から聞いたのですが、祖父とは普段からほとんど話さなかった私には、全く思いも寄らない事でした。
その上、当時は私の知らない事があり、そのせいで人の言動もきちんとは把握できなかったのだと思うのです。
今になって祖父がぼけていたのだと思い至ったのは、こんな訳からでした。時の流れに沿って書いた方がよいでしょうね、その方が全体像がはっきりします。
さて、祖母がなくなって何か月かした頃、それは1ヶ月後の頃から始まったかもしれません。
「お祖母ちゃんが亡くなってからどのくらい経つかね?」
仏壇の前にいた私に祖父が初めて聞いた時です。
「まだ1ヶ月よ!」
私でなくても、祖母の死を尋ねる祖父に、『自分の奥さんの死日も把握できないのか』と、誰もが呆れることだろうと、当時の私は内心思って答えました。
おじいちゃんたら…どうなっているのかしらと父に言ったものです。
父も内心呆れたように、
「父さん、母さんの死んだ日を忘れるなんて…」
と、すぐに祖父の部屋へと意見をしに入って行ったようでした。
今なら私にも分かるのですが、年を取っての身近な人の死はかなり堪えるものです。ましてや祖父にとっては自分の連れ合い、ダメージは相当大きかったのだと思います。
その後3カ月過ぎた頃、やはり祖父から同じ質問を受けて、その頃になると2度目の問いでもあるし、私も祖父が寂しくなって話しかけてくるのだろうと、祖父に親切に答えたものです。
それでも、そう祖父と話すという事はあまり多くなるということはありませんでした。
ただ、その頃になると、父からもお祖父ちゃんはお祖母ちゃんがなくなって寂しいのだから、今まではそう出入りしなかっただろうけれど、暇な時にはお祖父ちゃんの部屋に行って話など聞いてあげるように、と言われたりしていました。気の向いた時でよいからと。
祖父の部屋は仏間になっていたので、祖母にお参り方々、それとなく出入りすることもありました。私から声をかけることはほとんどなかったと思います。それだけ今までが今までの会話の無さだったのです。気づまりで、本を持って行って部屋で読んでみることもありました。その内、祖父に何故部屋によく来るのかと聞かれ、父から言われたからだと答えたものです。
そうすると、祖父は父にいらぬお世話だと言ったようでした。私の内心が見透かされていたようです。家族というのは面白いものだなと今になって思います。
親の心子知らず、子の心親知らず、または、孫の心祖父知りって、そんな物かもしれません。
親子より、祖父母と孫の方が気心は通じるのかもしれません。