2021.10.3(日)
9/30日で緊急事態宣言が解除されました。
と同時に、都内や観光地にどっと人が押し寄せているようですね。
大丈夫かな~と心配になります。
一斉に用意ドンと出かけるのではなく、混み具合や場所などを考えながら外出したらどうなのかな~?なんて。
えらそうなことは言えないのですが、
私はというと、
まさか出かける予定日(8/1)から緊急事態宣言入りするなどとは思ってもいなかったのですが、取りやめることもできたのに、予定どおり8/1~3日の旅を実行してしまったのです。
コロナが始まってからずっと外出をがまんしている人が多いというのになんと、不良ババなことか!
帰ってから一応ブログは書きましたが、さすがに公開ははばかられ今に至りました。
やっと緊急事態宣言が解除になりましたので公開することにしました。
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2021.8.1(日)
オリンピックが始まってからコロナ陽性者もどんどん増え、東京だけでなくとうとう千葉県もこの日から緊急事態宣言の発令となってしまいました。
全国で陽性者が広がっているのを見ると、オリンピックだけが原因とも言えないような気がしますが大変なことになっています。
本当にタイミングが悪いのですが、ず~~~っと以前からとねるずの青木さんが、友人と上田からバスで1時間ほどの嬬恋・鹿沢に行く計画をしていたそうですが、その友人という方が腰を悪くして動けなくなってしまい、私に声がかかりました。
私が行くなら、是非、戦没画学生の絵を展示した美術館「無言館」に行くといい・・と誘ってくださったのでした。
無言館に行くためには山の方の宿では都合悪いことがわかり、上田の駅の近くのホテルに取り直して下さったのです。
まさか、千葉も緊急事態に突入するとは思わずにOKしたのですが、ワクチンも2回済ませたし、せっかくなのでと実行してしまいました。
もちろんどこに行くにもマスクは離せませんでした。
上田の旅1日目
東京駅9:32発 はくたか557号。
発車時間まじかにホームに上がりましたが、このコロナ禍、さすがに人は少ないです。
はくたか557号は4月末の富山行きと同じ新幹線でした。
上田までは1時間半ほど。富山と比べるとあっという間でした。
上田駅の改札内に展示してあった赤備えの鎧兜。真田軍の旗印は六文銭でしたね、小説にもよく出てきました。
このあとも、あちこちに展示してある鎧兜を目にしました。
上田は真田氏三代(初代・真田幸隆、二代・真田昌幸、三代・真田信之)にわたる戦国武将活躍の地だったのですね。
真田一族の舞台となった地は、いまはよく整備された素晴らしいりっぱな観光地になっています。
上田駅でトランクを預けて駅の近くで昼食を済ませ、午後は別所温泉に足を延ばしました。
別所温泉へは上田電鉄・別所線で行きます。
この鉄道のキャラクターが最近はやりの漫画風のかわいい二人。
左:北条まどか ちゃん 右:八木沢まい ちゃんですって。
このキャラクターのおかげで、若者がたくさん訪れるようになったかもしれません。
時々、カメラを首に掛けた若者を見かけました。
別の八木沢まいちゃんと一緒に青木さんに並んで頂きました。
終点の別所温泉駅では、八木沢まいちゃんと同じ袴スタイルの若い女性の駅長さんが切符を集めていました。
帰りに、窓口で売られていたこのおせんべいを購入(一つ130円)。売って下さるのも袴姿の駅長さんです。(右は食べた後のカラの袋)
別所温泉駅・駅舎
駅前の蓮の花が出迎えてくれました。
別所温泉は信州の鎌倉と言われていたのですね~。
このあと、寺院などに伺ってその理由がわかりました。
有名な温泉地なので、いつもならとてもにぎわっているはずでしょうが、コロナ禍の今は閑散としています。
一番左の道から進み、北向き観音堂、安楽寺あたりを巡ろうということに。
こちらは織物関係のお店?だったような。
上田は製糸業で栄えた町だそう。
私が仕事でお邪魔している91歳の方もよくご存じでした。
信州の鎌倉と言われるのもわかるようなお宿。
蓮の花がちょうど見ごろでうっとり。
三層の屋根のこの施設は大湯という日帰り温泉施設のようです。(木曽義仲ゆかりの温泉とのことですが、表の石柱には葵の湯とあります。どういうことかな?)
廃業したらしいホテルもありました ↓
このホテルの前を左(北)に進み、北向き観音堂に向かいます。
小さなお店の前にも蓮の花があって嬉しいです。
道端でボタンヅルの花を見つけました。
小さいけどかわいい。
北向き観音堂には裏から入る形になりました。
まず目に入ったのがこの夫婦杉。
真ん中の建物が北向き観音堂 ↑
天長2年(825・平安時代)比叡山延暦寺座主・慈覚大師により開創とのこと。
先の解説版には、この年、背後の山が崩れ、人畜に被害が出たとあるので、そのあとに建てられたのでしょうか?
お堂はもちろん北向き、祀られている千手千眼観世音菩薩ももちろん北向き。
中の菩薩像は大きなものではなく拍子抜けするほど小さかったような。
観音堂内には、いつ頃のものかはわかりませんが、古そうな板額が奉納されています。
こちらは入り口を入ってすぐの右手にあるもので、よく寺院などにある撫で仏(具合の悪いところを撫でて平癒を祈願する仏さま;おびんずるさま)のようで、あちこちかなりさすったあとが見えました。
私も頭をさすってくればよかったかな~。
観音堂から見て右手の方に行かれる人は少ないようでしたが、私は行ってみました。特に説明などもないので、なんの建物なのかはわかりませんでしたが、金網で守られたお堂の中に仁王像が安置されていました。
あとで調べたところによると、このお堂はもとは絵馬を納めるための絵馬堂でしたが、今は仁王像堂になっているとのこと。
本堂から見て左前方にあるのが鐘楼と樹齢1200年のかつらの木。
映画の撮影で有名になり、「愛染かつら」という愛称がつけられたそう。
その向かいは不動堂。
その奥のこれは? 涅槃薬師瑠璃殿だそう。
これのず~~っと大きいのが清水の舞台? 造りが似ているような気がしました。
瑠璃殿の前には正岡子規の句碑があります。
滞在中にたくさんの句をつくられたのが縁のようです。
私は上田も別所温泉もこの北向き観音堂も初めて、ゆっくり見てまわりました。
私たちは裏から入りましが、表に抜けると、おしゃれな商店の並ぶ参道になっていました。新型コロナウイルスの影響で、観光客ほとんどないのではないかと思われるほどひっそりとしていました。
そんな中でも朝顔をきれいに咲かせて観光客をもてなしてくれます。
このあと、信州最古の禅寺と言われる安楽寺を目指します。
北向き観音堂の参道の終わるあたり左手に、山門がありました。東向きです。
安楽寺はこちら方面と案内があったのでくぐって進みました。
真夏の花・サルスベリ(百日紅)が迎えてくれます。
北向観音から歩いて10分ほどで安楽寺に到着。
安楽寺
天長年間(824~~834)の開山、当初は臨済宗だったそう。
鎌倉時代、北条氏の外護によって栄えたけれど、北条氏滅亡(1333)後、寺運も傾いてしまったとのこと。天正16年(1588)に曹洞宗に改められたようです。
本尊は釈迦如来。
3~40段ほどの階段を上がると境内の大きな木が目に入ります。
コウヤマキ(高野槇)だそう。
本堂までの間に16羅漢堂や鐘楼、経蔵、座禅堂などがあります。
落ち着いたいい感じの本堂。まだ新しそうです。
庫裡も同時建設かな?デザインがステキです。
本堂前の花は秋のけはい。
国宝・八角三重塔は少し山を登った所にあります。
(八角三重塔拝観料:大人300円)
先に見える階段↑を上がった右手に、安楽寺を開山した樵谷惟仙(しょうこくいせん)禅師と二世幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)禅師の座像を納めた祠があります。像は嘉暦4年(1329)に造られたそう。(木造。いずれも国指定重要文化財)
影がしっかり写ってしまって・・・
八角三重塔はここからもう少し登ったところです。
三重塔は用材の年輪年代測定の結果、鎌倉時代末期(1277~1333)の建立とわかったそう。
こちらは国宝です。
四重に見えるけれど、一番下は裳階(もこし)といわれ、庇(ひさし)の役割をするもの。
午後3:00ころ。逆光で写真はどれも イマイチ。
でも、実際に目にできたのでよしとします。
下りで目に入ったこのユリはオオウバユリ。
地味だけれど、味のあるそばかす模様が禅宗寺院にぴったり!
ここで別所温泉方面の観光はおしまい。
ホテルは上田駅前なので別所温泉駅に出、上田駅に戻ります。
おしゃべりしながら、花を愛でながら・・・
サンパラソルと名札がついていました。
色違い。
帰りの電車の中から見えた、どこかの駅のホームにあった絵。
カメラを取り出すのが間に合わず、二人のうち一人しか写っていませんでした。八木沢まいちゃんかな?
上田駅からホテルまではゆっくり歩いて5分ほど。
途中で見かけたマンホールのふたは六文銭とつつじ?の花。
ホテル祥園は温泉付きです。
玄関横にある看板に灯が入るととても素敵になりました。明るい時は気づきませんでしたが、向かいにある温泉に入った帰り、暗くなってからその良さに気がつきました。切り絵ですね。
夕食は7:30からとお願いしてありました。
食レポは慣れていないせいかカメラを持たずに行ってしまい写真はありません。
私たちにとって上げ膳据え膳の旅の食事ほど嬉しいものはありません。
暑さで疲れ早めの就寝、よく眠れました。