2021.8.2(月)
上田の旅 2日目
「せっかく上田に行くなら、戦没画学生の絵を展示している美術館「無言館」に行った方がいい」と青木さんが勧めてくださったので今日はそのメインのところへ。
青木さんは20年ほど前にも友人と、そのあとにもご主人と来たことがあるそうですが、暑いというのに私に付き合って下さったのです。
電車はきのうと同じ、上田電鉄・別所線に乗ります。
上田発10:13分。
別所温泉の途中の駅・下之郷駅下車。
神社を思わせるホーム上の駅舎兼待合室?
無言館はここからシャトルバスで10分ほどのところ。
(バス料金:200円)
他に乗客はなく、運転手さんもいろいろな話をして下さり、昼食のできそうなところまで考えて下さいました。
無言館停留所下車。
後ろに広がる芝生の公園の中を少し戻る感じに進みます。
この木は何かな? 遊んでいた子供連れの方に聞くと、桑とのこと。
こんな大きな桑の木、見たことありません。
上田は製糸業で栄えた町と聞いていましたが、さすが、いいものが残っています。木陰は嬉しい涼しさですしね。
昔は絹織物の糸を作るために蚕を飼って、エサに桑の葉が必要でしたが、今はその糸の需要がなくなって、桑畑を見ることもなくなり、織物産業もすっかりすたれてしまいましたね。
無言館は
1997年(H9)、窪島誠一郎という方が、残照館(旧信濃デッサン館)の分館として開館したものだそう。
バスの停留所からゆっくり歩いて12~3分です。(ゆるい登り坂)
日の当たるところはほんとに暑かったですが、木陰はうそのように涼しく森のありがたさを実感。
館内は撮影禁止です。
第二次世界大戦の終盤には、画学生であれ、すでに卒業した人であれ、だれかれなく戦争に駆り出され、20代、30代の青年に限らずそれはそれはたくさんの命が失われました。
展示してあるものは、
戦争に行く前に描いた大小の絵だけでなく、戦地から送った手紙や絵、家族の言葉などもあったりして、読むたびに涙がこみあげます。
1時間ほどで外に出ました。
無言館の手前にあった、これは ↓ 何?と言って通り過ぎた建物も共通の展示館(無言館・第2展示館)でした。(こちらは2008年(H20)開館)
入場券も無言館と共通で、是非寄って下さいと言われ、帰りに入りました。
こちらには絵だけでなく彫刻や塑像などもあります。(同じく館内撮影禁止なので中の様子は紹介できません)
外にあったこれは?赤いのはいたずら?なんて思いましたがそうではないようです。
近くでよくみると、画学生の使った(たぶん)と思われる絵筆が埋め込まれているのです。
ということで、上の赤いペンキ?もいたずらではなくデザインのようです。
隣に、「開かないポスト」というものが・・・
平和への願い、夢、誓い、あなたの今の言葉を投函してください。開かないまま保存されます。とあります。
朝通った大木の桑の木のある公園を抜けてバス通りに戻り、一つ先のバス停・前山寺(ぜんさんじ)に向かうことに。
ところが、少々の上り道。青木さんは山道・坂道が大の苦手。
やめようか・・・と言っているところに、ちょうどシャトルバスがきました。
たったの一停留所だけですが、バスに乗ることに。今朝と同じ運転手さん、事情を説明。ほんの1分足らず。200円払って降りました。
前山時(ぜんさんじ)
見るからに心地よい参道
ちょうどランチタイムだったので、山門をくぐってすぐ横にある、残照館(旧デッサン館)併設のレストランに入りました。
渡る風の爽やかなこと! テラス席、よかったですよ。
パンのセットと後から届くアイスカフェラテを注文。
残照館(旧デッサン館)には入らず、前山寺(ぜんさんじ)に行くことにしました。
バスを降りたところから入り直します。
参道右手の大きなケヤキ。雷にでも打たれたのかな~幹の中が空洞になっています。
今までも大きな木を見てきましたが、樹齢は350年だそうで驚き!
この先にもう1本。こちらは樹齢700年だそう、なお驚き!!
帰りに読んだ解説板に参道の並木の松も樹齢350年とありましたが松には気づきませんでした。
山門前に到着。屋根は味のあるかやぶきです。
左の方を見ると、古い石垣の上に新しい石垣が積まれ、その上にまぶしい白塀が乗っています。
本堂はかやぶき。 屋根の姿・形、声にならない美しさ!
前山寺(ぜんさんじ)は
弘仁3年(812)弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創し、鎌倉時代に(1192~1333)伽藍が建立され前山寺としたそう。
貞享年中(1684~87)に、真言宗・智山派に改宗。
正面の三重塔は山門をくぐった時から見えていますが、
その前に、
前山寺は "くるみおはぎ " が有名で、予約しないと食べられないそう。私たちはいま昼食を済ませたばかりで残念ながら食べられないけれど、緋毛氈の敷いてある廊下のあるそのお部屋を外から見学。
コロナ禍の今はお客様も少ないらしく予約なしでも大丈夫のようです。
ここでもキキョウの花が咲き始めています。
本堂前のカヤの木。(樹齢の表示はありませんが相当の年数のよう・・)
近くにある盆栽のようなこの木も古そう・・・ 葉はウツギのようですが。
鐘楼も目に入りました。決まった時間以外は撞いてはいけないと。
いよいよ・・・
すでに目には入っていた三重塔へ。
手前に数段の階段があり、その右手に見かけない花の大きな木があります。
木全体の写真がないのが残念ですが、花はこんな感じ。
花と花後の袋状のさやも見えます
境内の休憩所兼売店で野草を売っている方にお聞きすると、
モクゲンジ(木げん子(げんは木偏に患)) といってムクロジ(無患子)の仲間だそうです。
実は数珠や首飾りに。炒めて食用にもなるそう。(別名:栴檀葉の菩提樹)
三重塔 : 室町時代の建立だそうですが、これ又美しい!
右の方にも回ってみました。
後ろに見えるのは明王堂のよう(ちゃんと見なかった・・)。
昨日見た別所温泉の安楽寺の三重塔も素晴らしかったですが、こちらの三重塔もすばらしいです。
ゆっくり拝観できて幸せなひととき、あの時、ちょうどバスがきてくれたおかげであきらめないで前山寺(ぜんさんじ)に来られてよかったなぁと思いました。
15:31のバスに乗り、下之郷駅に向かいます。朝昼夕と同じ運転手さん。
下之郷駅の少し手前にあった派手やかな神社に寄ってみたいと、私だけバスを降りました。
時間がないので駆け足で通り過ぎるだけでも・・。
生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)
生島足島神社のご神体は「大地」。 創建は不詳。
生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)は、朝廷とつながりの深い神々だそうです。
神橋と拝殿
ゆっくり拝見する時間はなかったのですが、後で調べたところによると、本殿内には内殿があるそう。
内殿は、旧本殿として屋外にあったもので、覆屋として建てられた現在の本殿の中に旧本殿を納め内殿としたとのことでした。
神楽殿
左後ろにちょっとだけ見えるのが諏訪神社かも・・・
生島足島神社が上之宮で諏訪神社は下之宮。正対して鎮座すると説明がありました。
歌舞伎舞台(明治元年(1868)建設 目隠しの隙間からやっと撮れた)
江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を残しているそう。
反対側にもりっぱな鳥居。
何しろ時間がないので駆け足で通り過ぎ、下之郷駅に向かいます。
近くにあった八幡社↓は末社とのこと。
その先で見かけたこの建物は?
解説板を読みに行く時間はなく通りすがりに写真だけ。
先ほど見た歌舞伎舞台に雰囲気が似ているなあと思って写したものです。
このあとが、大変。
すぐ近くにあるはずの下之郷駅に向かって走っているつもりが、駅らしいものが見えません。
青木さんが駅で待っているのと、予定の電車の時間も迫っています。
あわてて、信号待ちをしていた車の方に駅の場所を聞きに行き、後4~5分しかないと話すと、乗って乗ってと、駅まで送って下さいました。(車では1分もかからなかった。私が進もうとしていた方向とは違う方向でした)
やっとのことで、電車に間に合いました。切符は青木さんが買って待っていて下さいました。
これを逃すと、あと1時間半も待たないといけないのです。
感謝、感謝!
慌ててしまって車で送ってくださったご夫婦のお名前も連絡先も聞かずにお別れしてしまったのが心残り。
乗った電車には保育園生か幼稚園生の作ったかわいい折り紙がたくさん下がっていて癒されました。
2日間で4回通った上田駅の近くを流れる千曲川の鉄橋は、2年前(2019.10月)の台風で崩落してしまった赤い鉄橋です。
今年(2021)3月にやっと復旧されたばかりでした。
再開できてよかったですね、何度もお世話になりました!
電車の中から橋の写真は撮れなかったので、リーフレットから。
(いまだにプリンターが買えていないので、写真に撮ったものを利用)
生島足島神社がとても由緒ある神社ということもあとになってわかりました。
下之郷駅がなぜあんなに派手やかな色使いなのかも納得。駆け足でしたけれど、最後に生島足島神社に寄ることができて本当によかった。
今日は、
☆ ちょうどいいタイミングでバスが来て前山寺(ぜんさんじ)に行けたこと、
☆ 生島足島神社に寄れたこと、
☆ 間に合わなかったかもしれない電車に車で送ってくださった方がいて間に合ったこと、など
ラッキーが三つも重なった最良の日でした。
ホテルに戻って温泉に入り、おいしいお食事をいただくこともでき、何よりも親切な人たちに出会えたことがすばらしかった・・・など、思い出しながら床に就いたのでした。