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不良ババ旅3日目 上田城跡公園

2021-10-07 08:58:50 | 国内旅

 2021.8.3(火)

 

 上田の旅3日目 最終日。

14:40発の新幹線に乗るため、午前中だけ、近くの上田城跡公園を見学することにしました。

 

上田駅からまっすぐ北に伸びる道路の先に旧北国街道があるらしい。この道しるべがなかったら知らずに過ごすところでした。

北国街道はグレーのラインで示されていました。

 

真田十勇士のかわいらしい像もあり、私の見たのは下の二つだけ。

その設置場所も上の地図にあります

これは  三好伊三(いさ)入道。

道路の反対側には 穴山小助。

真田十勇士は、明治時代末に、立川(たつかわ)文庫が創作したヒーローなのだそうですね。(モデルになった人物がいたのかな?

 

 駅のコインロッカーにトランクを預け、

上田城跡公園までは歩いてほんの10分ほどのところなのですが、あまりの暑さに負けタクシーに乗ることに。

 

 上田城は、天正11年(1583)真田昌幸によって開かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置するそう。

   

 

 なぜ、真田正幸だけがあれほど有名?

 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦では、真田昌幸、信繁(幸村)父子は挙兵した石田光成方(西軍)に附くことにし、会津征伐途中の家康軍から取って返し上田城に入ったが、家康に合流途中の徳川秀忠軍に攻め落とされ、敗戦の将となり高野山麓の九度山に配流となった。

 

 ☆徳川方(東軍)に附いた昌幸の長男・信幸(信之)には上田領6万5千石が与えられる。(住居は現・上田高校のあたり元和8年(1622)には松代に移封される

 慶長6年(1601)徳川軍により、上田城は取り壊される。(次に、上田城が復興されるのは、寛永3年(1626)真田氏のあと上田城主となった千石忠正による

 

 慶長16年(1611)幸村の父・昌幸は配流先の九度山にて没する。

 

 慶長19年(1614)真田幸村は西軍に懇望され、長男・大助とともに大坂冬の陣に参戦。知略をもって徳川方を撃破。

 元和元年(1615)大坂夏の陣では家康の本陣を突き崩すなどの大活躍を見せたが力尽き討死。

 

 この幸村の奮戦ぶりが、豊臣びいきの大坂で語り草となり、ひのもといちのつわもの(日本一の兵)と称され、さまざまな伝説が生まれてヒーローとして語り継がれているということのようです。

 真田の「小が大に勝つための戦術」は現代ビジネス戦略にも役立つそうですよ。 

 

参考までに、上田城主はこのように変わっています。

 

 

上田城跡公園案内図

 

 左:南櫓  中央:櫓門(やぐらもん)  右:北櫓

中央の櫓門は正式には東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)というようです。虎口とは城の出入口のこと。

南櫓と北櫓は昭和24年(1949)に、櫓門は平成6年(1994)に復元され、東虎口櫓門の姿がよみがえったとのことです。

 

右側の石垣に真田石という大きな石が使われています。

 

櫓門をくぐると、正面に眞田神社の鳥居。

 

鳥居の左手に、鹿の角のついた巨大な朱塗り兜がありました。

 

 この先へはもう少しあとに進むとして、

 

 櫓門、南櫓、北櫓の中が資料館になっているので拝観することに。(入館料:300円

 

入り口は南櫓の方から。

 

 ”鉄砲狭間(ざま)” 膝をついて鉄砲が打てるように下の方にある小さな窓。

 

これは武者窓。

 

発掘された小さなしゃちほこのかけらに金箔が使われていたことから、想像で復元した金のしゃちほこ。

 

実際に屋根に乗っていたもの。

 

 

 このほかにも、火縄銃や城の絵図、年表などたくさんのものが展示されています。

 

 北櫓の方では、上田城の歴史が映像でみられます。

 

 40~50分ほどで外に出、赤備え大兜のところから先に進みます。

 

絵馬の奉納もこのように工夫されています。おしゃれです。

 

反対側では風鈴が鳴っています。夏らしくいいアイディア。

よく見ればよかったのですが、この風鈴も奉納されたものかも。

 

眞田神社拝殿

 

 青木さんは「この先はいいわ」ということで、私一人で回ることに。赤備え大兜のベンチで待って頂きました。

 

 真田神社の左手(南側)を先に進むと、

真田幸村(信繫)公像があります。(2020.8月に設置されたばかり

 

本丸西櫓

南櫓、北櫓は明治維新後よそに移築されたが、この西櫓のみが建築当初の建築部材を残し、外観もほぼそのままの姿を残しているそう。

 

真田井戸

 

井戸のうしろに神社の本殿が見えます。

 

拝殿前まで戻り、おみくじ売り場の間を抜けて反対側に出ました。

 

すると、こちら側からも本殿が見えるではありませんか。

本殿はこちらの方がよく見えました。

 

本丸跡の芝生広場。よく手入れされています。

 

 本丸跡の周りの土塁に上がってぐるり一回りします。

土塁の外側はお濠。(濠を掘った土は土塁として積み上げられたそう

 

 歩いている途中、お濠の向こうに、お寺のような神社のような建物が見えました。

招魂社だそう。

 一回りして、芝生の本丸跡にもどりました。

本丸跡に建つこの碑は、上田軍従軍記念碑と刻まれています。

 

 北櫓の後ろ側に出、青木さんに合流、駅に戻ることにしました。

 でもやっぱり暑すぎて歩く気にならず。タクシーを呼んでしまいました。

 

二の丸橋前に上田市観光会館、その前の木彫りの猿飛佐助。

朝見たかわいらしい十勇士シリーズとは別

 

 駅では涼しいところに入ってゆっくりランチ。

 

 時間になったので、トランクを取り出し、14:40新幹線の人となりました。

金沢から来るので混んでいるといけないと指定席を取りましたが、後ろの方に数組の人が見え、前の方はご覧の通り。

 

 青木さんは上野で下車、私は東京駅まで。16:12着。17:30ころ無事帰宅。

 

 暑い中の旅でしたが、私の行ったことのないところでしたので、見るもの聞くものみな珍しく、暑かったのも含めていい思い出になりました。

 

 家に帰ってからこんな資料をみて、上田の町をもっとゆっくりじっくり見たかったな~と思ってしまいました。

一から八までの地図、見えにくくて残念。

 

 上田駅前の幸村公騎馬像も見落とました。

次に訪れるのは桜や紅葉のころがいいかもしれません。又のお楽しみ!!