2023.4.9(日)
三春の滝ザクラを見た後は昼食を済ませて、二本松城跡(福島県立霞ヶ城公園)に向かいました。
二本松城跡(霞ヶ城公園) 14:35~16:10
ボランティアガイドさんが案内をして下さいました。
私たちは地図右下の①から⑦まででおりてきました。(⑪が本丸跡なのですがそこまでは行かずに)
よく晴れてきました。
この大きな石は「旧二本松藩戒石銘碑」といい、刻まれた4句16文字の銘文は藩士の戒めとしたそう。なんて書いてあったのかな~(地図①)
こちらの城壁の積み方は布積みというそうです。
(布積み:方形に成形した比較的大きな石を目が横に通るように積み上げる方法。整層積みともいうそう。)
目に入る松がどれもりっぱで驚きです。
城址内にはもっとすごいものがあるのですが、これらの松にも感動です。
こちらの和菓子屋さんは弘化2年(1845)創業と聞こえたような。(よく見たら書いてありました)
案内されながら見えるものを写真に撮ります。
櫓のようですが、石垣と白い壁がステキですね。
「二本松少年隊の像」と「少年たちの衣装を縫う母の像」(地図②)
慶應4年(1868)戊辰戦争の時には12~17歳の少年62名が出陣、果敢に戦ったと。
箕輪門(主柱材の樫の巨木に領内箕輪村の御神木山王寺山の御神木を用いたことからつけられた名の櫓門)(地図③)
箕輪門をくぐるとすぐ左手にりっぱな松があります。樹齢350年と聞いてなお驚きです。
階段を上がって行くと先ほどの赤松の後ろを通ります。
階段を上がり切ると広場があります。
そこにあったのが山田脩翁像。
この広場が初代二本松藩主・丹羽松重公の居城跡地だったのかな?(地図A)
相生の滝
フジ棚の近くに智恵子抄の詩碑がありましたが写真撮り忘れました。フジの花はさすがにまだです。
霞池に散るサクラの花びら
土手に咲く花はキクザキイチゲと教えて頂きました。
本で見て知ってはいても実際にはめったに見られない珍しいもの。
これはフキノトウでした。
⑥洗心亭 城内に唯一残る江戸期の建造物。木造茅葺き・寄棟平屋造りの茶亭。
(一時城外に移築されたため戊辰戦火を逃れ、明治40年(1907)に再移築された)
⑥の洗心亭から⑤の傘松に進む途中で見かけた花たち。
カタクリ
ガイドさんが教えて下さらなかったら目に入らなかった木の幹に自生したスミレ。後ろがるり池(地図④)
サルスベリには花はまだ・・
⑤霞ヶ城の傘マツ(八千代の松ともいう) 樹齢350年のアカマツの巨木。
⑦に行く途中にあった二合田陽水の説明(相生の滝のところにも書いてありましたが)
安達太良山麓から18kmもの距離を城内・城下まで水を引いた水路。昔の人はほんとにすごいと思います。
先にも同じようなプレートがありましたが、書いてあることが少し異なるのでまた・・。
龍泉寺はここから200m先とあります。(時間もないので行きはしませんでしたが、それらしき屋根は見えます)
その近くに展望台が建っていました。
しばらくこの近辺を散策。
パーキングのまわりも桜、菜の花が咲いていてうれしい光景です。
こちらの黄色はヤマブキです。
ガイドさんに促されてここから集合地に戻ります。(もちろん健脚な方は上の方まで行くことができます)
このとき、展望台の近くの土井晩翠の歌碑に気がついたのですが写真を撮り忘れました。
旧会達製糸会社の社歌を作詞したことで訪問した桜の時に詠んだものだそう。
「花ふぶき 霞ヶ城の しろあとに仰ぐあだたら 峯のしら雪」
帰り道で見かけた花々
レンゲソウ
ヤマブキ
シロバナタンポポ
シャガ
上を見たら、空の青と木々の若みどりがきれいで。
小さな公園の一本のシダレザクラも今が見ごろ。
すばらしく晴れわたりました。
ここからは今晩の宿のある宮城蔵王町の遠刈田温泉に向かいます。
17:30ころ宿につきました。夕食は18:30からのビュッフェスタイル(写真は撮らず仕舞い)
食後、ホテル内にこんな場所を見つけ写真をとりました。
エレベーターのドアに描いてあった絵はかわいいこけし。
少し休んでから温泉に。 11:00頃には布団に入りました。