2023.4.10(月)
米沢で昼食、喜多方ではトイレ休憩、そこから会津に向かいました。
喜多方を出て30分ほどで見られたこの山は磐梯山のようです。
この山を見てから30分ほどで会津鶴ヶ城に着きました。
(鶴ヶ城の本当の名は若松城だそう。鶴ヶ城は別名。地元の人は鶴ヶ城と呼ぶそう。私も鶴ヶ城の方が分かりやすくていいと思います。ついでに、霞が城公園とか霞城公園より、二本松城跡、山形城跡の方が分かりやすくていいなとずっと思っていました)
パーキングからボランテアガイドさんが案内をして下さいます。
お濠などを見ながら進みます。
この石垣の積み方、二本松城で教えて頂いた布積みかな。
地図左下のパーキングから歩き出し、今いるのは「現在地」とあるところ。
下の城内図はツアーガイドさんから頂いたものですが、実際にはこちらの方が分かりやすかったので、上の図と同じになるよう逆さにし、南北を逆にしました。(下が北、上が南 いずれにしても文字は見えにくいです)
ガイドさんからはいろいろなお話がありますが、写真を撮っているとメモを取り損ね、聞いただけではなかなか覚えきれないという現実があります。
鶴ヶ城城主は以下のような変遷がありました。(パンフレットから)
①葦名家1384(至徳元年)葦名直盛 東黒川館を建てる。
②伊達家1589(天正17年)伊達政宗
③蒲生家1590(天正18年)蒲生氏郷 7層の天守閣を完成させる(1593(文禄2))
④上杉家1598(慶長3年)上杉景勝
⑤蒲生家1601(慶長6年)氏郷の子・秀行
⑥加藤家1627(寛永4年)加藤嘉明
⑦保科家1643(寛永20年)保科嘉明の子・明成は会津40万石を幕府に召し上げられる。
のち、三代将軍家光の弟・保科正之が最上から23万石で入封。
⑧松平家1862(文久2年)1868(慶応4年)戊辰戦争が起こる。1ヶ月籠城の末、鶴ヶ城開城。 1874 鶴ヶ城取り壊し。
1965年(昭和40年)現在の天守閣は5層となって復元されました。
サクラを見るのもうれしいですが、お城が見えるとなおワクワクします。
太鼓門を通って城内に入りました。(山形城跡(霞城公園)で見たような門らしい門はなかったような・・・)
下の大石の説明もありましたが、大きさや重さなどの説明があったのかメモも取らなかったためよくわかりませんが、俗に「遊女石」と言われる、というところだけ聞こえました。
(上田城にあったみたいに解説版が欲しいな、写真に撮ってきたらあとで見直すこともできるので)
そのあと天守閣の石垣の下に移動して、石垣の説明がありました。
石垣は1593年に積まれたそうで、積み方は野面積み(のづらづみ)とのこと。
(野面積み:昨年の富山城址で説明されていたので覚えていましたが、成形しない石をそのまま積んでいく方法)
向かい側にある武者走り。
石垣に階段があるのはとても珍しいとのこと(日本でただ一つといわれたような?)
ハート形の石があるということで、最近ここが撮影ポイントにもなっているということです。
ボランティアガイドさんはここまで。
青木さんは何度か訪れているのでここでわかれて見学。
私はもう何十年も前(天守閣のないとき)に訪れただけ、平松さんはどうだったかな、ここでも二人でぐるり回ってみることにしました。
大きな赤べこの展示(濡れたら困るのでしょうから毎日出し入れしているのでしょうね?)
向かい側に
「蒲生氏郷が開きし450年前の自由市」とありましたが、ここは通らずお花の見える方に進みました。
先に見えるは「茶亭 麟閣」(蒲生氏郷のためにつくられ、戊辰戦争後は茶人森川善兵衛宅で保管されていたものを1990(平成2年)元の場所に移築復元された)
「麟閣」ではお茶をいただくことができますが私たちはパス。
その先にまわります。
荒城の月碑のところから土手にあがりました。
荒城の月は土井晩翠の作詩、作曲は滝廉太郎でしたね。
お濠の向こう(二の丸側)に見えるサクラ。
土手に上がって振り返って見たお城。(ここでは逆光でまだ赤瓦に気付かず)
また二の丸側を眺めます。
土手の上から茶亭・麟閣の庭が見下ろせました。縁台にかかった緋毛氈がステキ。
赤い橋が見えました。本丸から二の丸に渡る橋で「廊下橋」というそう。
遠くに見える山は・・
磐梯山でしょうね。
月見櫓は土台だけありました。(城下南方の物見をするところ、武器が納められていた)
月見櫓から見たお濠のサクラ。(お濠の向こうに城下らしき民家が見えます)
お城はどこから見てもステキです。 高いところから見たら瓦が赤くて不思議な感じがしました。
(1964(S40年))再建当時は黒い瓦だった。2011(H23年) 寒さに強い幕末当時の日本で唯一の赤瓦に葺き替え)
間もなく行き止まり(千飯櫓 (ほしいやぐら))でしたので黒門(くろがねもん)から外に出ました。
黒門(くろがねもん)を出たところで天守閣を見上げました。
その先の広場には海外からのたくさんの観光客。
右端にちょこっとだけ写っているのが鶴ヶ城茶屋とありましたが、兼観光案内所だったような気がします。
ここでさくらソフトクリームを購入。これがまた大当たり。ほのかにサクラの味がしてとてもおいしかったのです。
観光案内所にあったポスター、かっこよかったので写してきました。
このあと、集合地の目印にもなっていた鶴ヶ城会館というおみやげ屋さんに寄りました。
中にあった会津白虎隊の人形。(前から)
(後ろから)鶴ヶ城が見えるのがいいですね。
旅行会社から「御城印」のプレゼント。鶴ヶ城八家変遷の家紋がここにありました。
16:30 鶴ヶ城出発
磐梯山を見ながら会津とはお別れです。
発見!男性の頭にハート!! 反対側の窓越しなのでゴメンナサイ・・
郡山駅には17:45ころ到着。
18:30発のやまびこ154号に乗車。
家に着くのが遅くなるので駅で食料を買い込み車内で簡単夕食を済ませました。
上野駅19:42着。 青木さん、平松さんとはここでお別れ。
東京駅には19:48に着き、改札口を出たところで解散となりました。
私は始発電車で悠々帰宅。 自宅には21:00すぎ着きました。
三春の滝桜だけは終わっていましたが、他はサクラ、花桃満開・春爛漫の福島、山形の旅でした。