2019.1.29(火)
4日目
ホテル出発8:00
午前はシクロ(三輪自転車)体験とハノイ市内観光です。
ハノイの街をシクロ(三輪自転車)で散策。30分くらい
ツアー参加者21人がシクロ一台に一人づつ乗り、列を連ねて街なかを一回りします。
車やバイク、自転車の人たちには邪魔な存在かもしれませんが、観光事業として大目に見てもらっているのでしょうか。
シクロから見た例の赤紫の花(2日目にホアンキエム湖畔にたくさんあったものと同じ)
リー・タイトー公園(シクロの運転手さんのガイドはないのでネットで調べました)
私の写真ではよく分からないので、ネットから拝借すると↓こんな感じです。
昨日午後観光した古都ホアルーの初代、二代皇帝のあとの三代皇帝皇があまりにひどく、そのあとに皇位に就いたのがこのリー・タイトーさんとのこと。
リー(李)コンウアンという名ですが李太祖(リー・タイトー)と呼ばれていたようです。
都をホアルーから今の地に移しタンロン(昇龍)と名づけ(現在のハノイのこと)、李王朝(1010-1225)の礎を築いた人だそう。
30分ほどで元の場所に戻ってきました(チップは最後に1ドル渡してくださいとガイドさんに言われていましたが、途中で2ドル請求されました。けれど私はNO!と言って1ドルしか払いませんでした。こんな人もいるので要注意ですね)
みんながそろうのを待ってバスに乗り、市内観光に向かいました。9:20~
ホーチミン廟 → ホーチミンの家 → 一柱寺の順に回りました。
ホーチミン廟に向かっていると、ちょうど交代の衛兵さんが前を通りすぎました。ほんとの交代場面はカメラを向けてはいけないそうで注意されている人がいました。
大統領府; 1945年から1969年に亡くなるまでホーチミンはここで政務を執っていたそう。今は迎賓館となっていて中には入れません。
大統領府になる前はフランスがベトナムを植民地支配していたころの「フランス領インドシナ総督府」だったそうです。
ホーチミン廟; 内部は撮影禁止です。エンバーミング(防腐処理)されたホーチミンさんのご遺体が安置されていました。
順路に沿って進むと最後は廟の横に出てきました。大きな盆栽がたくさん飾ってあります。
ベトナムの盆栽は日本のものよりかなり大きめですが、あちこちで目にしたのが意外でした。日本の盆栽が、姿は変われど世界に広がっているのはうれしいですね。
ホーチミンの執務棟(大統領府とは別)
横に回ると
食堂・会談室が外から見えました。
ホーチミンの住んでいた高床式住居; 池の奥に見えるのがそれで、中には入れませんが、外から2Fに上がれるようになっていてベッドルーム、デスクなどがみえるようになっています。
ホーチミンは一生涯独身を貫き、“ホーおじさん”と呼ばれ国民から親しまれ1969年に亡くなるまでこの小さな家で質素な生活を送っていたそうです。
一柱寺; 子宝に恵まれなかった李王朝の大宋が1049年に、蓮の上に子どもを抱く観音菩薩の夢を見てこの寺を建立したそう。寺は蓮の花の形を模して造られたそうです。柱を蓮の茎と見るとそうかも・・。 池には夏になると蓮の花が咲き乱れるそう。
当時は木造だったが、60年ほど前に建物本体以外コンクリート造りになったそう。
正面に観音菩薩像(後ろからですが。丸まって落ちないという線香を写しました)
このあとハノイホテルでの昼食。 きょうは飲茶(中華)です。12:00ころ
写真はこれ以外なにも無し(笑)
午後はタンロン遺跡観光です。
タンロンは7~9世紀のベトナム王朝の王城が置かれた重要な場所(濃い青のところ)
2002年に発見され2010年に世界遺産に登録されたハノイ唯一の世界遺産だそうです。
フランスの植民地時代にはフランス軍の司令部が置かれ、ベトナム戦争時にはベトナム人民軍の司令部として使われたそう。
入り口に向かって歩いているところで↓カメラが電池切れとなりましたーーーーー。
唯一使えていた3番手のカメラ(写り具合も3番手だった)だというのに昨夜充電を忘れてしまったのです。
見学したものとしては(メモ不足なので順不同)
・端門 上の写真に見える門のようです。
入り口が5つありますが、真ん中の大きい入り口は皇帝の出入りする門
だそう。
・展示室 ・大きな釣鐘 ・赤い大きな太鼓 ・太鼓の前の亀(ガイド
さんはサファイアの亀と言っていました。2tもあるそう)
・龍の階段 階段を上がったところに皇帝の住む宮殿があったらしいのです が、現在建っているものはフランス植民地時代に建てられた軍の司令部とのこと。
・地下壕のようなところに降りた部屋にはベトナム戦争時のベトナム人民軍 の司令部だったころの会議室や通信機器、地図、作戦ノートのようなものなどが展示されていました。長い地下通路もあるらしいのですが、先には行けないようになっていました。
・北門 河口に停泊したフランス艦艇からの砲弾の当たった痕(穴)のある門。
・フラッグタワー
・後楼という皇帝の側室や女官たちの住まいもあったようですがそこには
行かなかったような。 説明もよく聞けず、記憶も曖昧。
そこでタンロン遺跡のことをネットで見てみると、TABI JOZU というタイトルを持つ方やベトナムナビさん、Momoさんという方々が詳しく紹介してくださっていましたのでそちらをごらん頂くとよいでしょう。
夕方には水上人形劇の鑑賞もあったので、青木さんからお借りしたカメラで撮ろうとしたのですが、まずいことに、後ろのほうの席、おまけに前に座ったお二人の頭で写真がうまく撮れません。
そのうち眠くなってしまって終わりの拍手で目が覚めたので満足な写真が一枚もありません。
※タンロン遺跡、水上人形劇、バスから見たハノイ大聖堂など、saikoroatさんのブログ あるきメデス の中の カテゴリー 東南アジア 2013年1月 のカンボジア・ベトナムの旅にとても詳しく、しかもきれいな写真でありましたのでそちらもごらん頂くとよいでしょう。ちなみにハロン湾もすごくきれいに写っていました!
https://blog.goo.ne.jp/saikoroat?sess=221ac6b61fc3a5d4035cd3be030149c7
夕方の散策の写真(きれいなアオザイを着た若いお嬢様方の写真)なども撮ったのですが、青木さんのPCからうまく写真が送れないということで、4日目の午後の部はなしということで、これで終りにいたします。
本日の夕食は ベトナム風フレンチ。 (どこでだったか? 写真もなく忘れました・・)
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