junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

不良ババ旅3日目 上田城跡公園

2021-10-07 08:58:50 | 国内旅

 2021.8.3(火)

 

 上田の旅3日目 最終日。

14:40発の新幹線に乗るため、午前中だけ、近くの上田城跡公園を見学することにしました。

 

上田駅からまっすぐ北に伸びる道路の先に旧北国街道があるらしい。この道しるべがなかったら知らずに過ごすところでした。

北国街道はグレーのラインで示されていました。

 

真田十勇士のかわいらしい像もあり、私の見たのは下の二つだけ。

その設置場所も上の地図にあります

これは  三好伊三(いさ)入道。

道路の反対側には 穴山小助。

真田十勇士は、明治時代末に、立川(たつかわ)文庫が創作したヒーローなのだそうですね。(モデルになった人物がいたのかな?

 

 駅のコインロッカーにトランクを預け、

上田城跡公園までは歩いてほんの10分ほどのところなのですが、あまりの暑さに負けタクシーに乗ることに。

 

 上田城は、天正11年(1583)真田昌幸によって開かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置するそう。

   

 

 なぜ、真田正幸だけがあれほど有名?

 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦では、真田昌幸、信繁(幸村)父子は挙兵した石田光成方(西軍)に附くことにし、会津征伐途中の家康軍から取って返し上田城に入ったが、家康に合流途中の徳川秀忠軍に攻め落とされ、敗戦の将となり高野山麓の九度山に配流となった。

 

 ☆徳川方(東軍)に附いた昌幸の長男・信幸(信之)には上田領6万5千石が与えられる。(住居は現・上田高校のあたり元和8年(1622)には松代に移封される

 慶長6年(1601)徳川軍により、上田城は取り壊される。(次に、上田城が復興されるのは、寛永3年(1626)真田氏のあと上田城主となった千石忠正による

 

 慶長16年(1611)幸村の父・昌幸は配流先の九度山にて没する。

 

 慶長19年(1614)真田幸村は西軍に懇望され、長男・大助とともに大坂冬の陣に参戦。知略をもって徳川方を撃破。

 元和元年(1615)大坂夏の陣では家康の本陣を突き崩すなどの大活躍を見せたが力尽き討死。

 

 この幸村の奮戦ぶりが、豊臣びいきの大坂で語り草となり、ひのもといちのつわもの(日本一の兵)と称され、さまざまな伝説が生まれてヒーローとして語り継がれているということのようです。

 真田の「小が大に勝つための戦術」は現代ビジネス戦略にも役立つそうですよ。 

 

参考までに、上田城主はこのように変わっています。

 

 

上田城跡公園案内図

 

 左:南櫓  中央:櫓門(やぐらもん)  右:北櫓

中央の櫓門は正式には東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)というようです。虎口とは城の出入口のこと。

南櫓と北櫓は昭和24年(1949)に、櫓門は平成6年(1994)に復元され、東虎口櫓門の姿がよみがえったとのことです。

 

右側の石垣に真田石という大きな石が使われています。

 

櫓門をくぐると、正面に眞田神社の鳥居。

 

鳥居の左手に、鹿の角のついた巨大な朱塗り兜がありました。

 

 この先へはもう少しあとに進むとして、

 

 櫓門、南櫓、北櫓の中が資料館になっているので拝観することに。(入館料:300円

 

入り口は南櫓の方から。

 

 ”鉄砲狭間(ざま)” 膝をついて鉄砲が打てるように下の方にある小さな窓。

 

これは武者窓。

 

発掘された小さなしゃちほこのかけらに金箔が使われていたことから、想像で復元した金のしゃちほこ。

 

実際に屋根に乗っていたもの。

 

 

 このほかにも、火縄銃や城の絵図、年表などたくさんのものが展示されています。

 

 北櫓の方では、上田城の歴史が映像でみられます。

 

 40~50分ほどで外に出、赤備え大兜のところから先に進みます。

 

絵馬の奉納もこのように工夫されています。おしゃれです。

 

反対側では風鈴が鳴っています。夏らしくいいアイディア。

よく見ればよかったのですが、この風鈴も奉納されたものかも。

 

眞田神社拝殿

 

 青木さんは「この先はいいわ」ということで、私一人で回ることに。赤備え大兜のベンチで待って頂きました。

 

 真田神社の左手(南側)を先に進むと、

真田幸村(信繫)公像があります。(2020.8月に設置されたばかり

 

本丸西櫓

南櫓、北櫓は明治維新後よそに移築されたが、この西櫓のみが建築当初の建築部材を残し、外観もほぼそのままの姿を残しているそう。

 

真田井戸

 

井戸のうしろに神社の本殿が見えます。

 

拝殿前まで戻り、おみくじ売り場の間を抜けて反対側に出ました。

 

すると、こちら側からも本殿が見えるではありませんか。

本殿はこちらの方がよく見えました。

 

本丸跡の芝生広場。よく手入れされています。

 

 本丸跡の周りの土塁に上がってぐるり一回りします。

土塁の外側はお濠。(濠を掘った土は土塁として積み上げられたそう

 

 歩いている途中、お濠の向こうに、お寺のような神社のような建物が見えました。

招魂社だそう。

 一回りして、芝生の本丸跡にもどりました。

本丸跡に建つこの碑は、上田軍従軍記念碑と刻まれています。

 

 北櫓の後ろ側に出、青木さんに合流、駅に戻ることにしました。

 でもやっぱり暑すぎて歩く気にならず。タクシーを呼んでしまいました。

 

二の丸橋前に上田市観光会館、その前の木彫りの猿飛佐助。

朝見たかわいらしい十勇士シリーズとは別

 

 駅では涼しいところに入ってゆっくりランチ。

 

 時間になったので、トランクを取り出し、14:40新幹線の人となりました。

金沢から来るので混んでいるといけないと指定席を取りましたが、後ろの方に数組の人が見え、前の方はご覧の通り。

 

 青木さんは上野で下車、私は東京駅まで。16:12着。17:30ころ無事帰宅。

 

 暑い中の旅でしたが、私の行ったことのないところでしたので、見るもの聞くものみな珍しく、暑かったのも含めていい思い出になりました。

 

 家に帰ってからこんな資料をみて、上田の町をもっとゆっくりじっくり見たかったな~と思ってしまいました。

一から八までの地図、見えにくくて残念。

 

 上田駅前の幸村公騎馬像も見落とました。

次に訪れるのは桜や紅葉のころがいいかもしれません。又のお楽しみ!! 

 

 


不良ババ旅2日目 上田 無言館

2021-10-05 13:53:23 | 国内旅

 2021.8.2(月)

 上田の旅 2日目

 「せっかく上田に行くなら、戦没画学生の絵を展示している美術館「無言館」に行った方がいい」と青木さんが勧めてくださったので今日はそのメインのところへ。

 

 青木さんは20年ほど前にも友人と、そのあとにもご主人と来たことがあるそうですが、暑いというのに私に付き合って下さったのです。

 

 電車はきのうと同じ、上田電鉄・別所線に乗ります。

上田発10:13分。

別所温泉の途中の駅・下之郷駅下車。

神社を思わせるホーム上の駅舎兼待合室?

 

 無言館はここからシャトルバスで10分ほどのところ。

バス料金:200円

 

 他に乗客はなく、運転手さんもいろいろな話をして下さり、昼食のできそうなところまで考えて下さいました。

 

無言館停留所下車。

 

 後ろに広がる芝生の公園の中を少し戻る感じに進みます。

 

この木は何かな? 遊んでいた子供連れの方に聞くと、桑とのこと。

こんな大きな桑の木、見たことありません。

 

 上田は製糸業で栄えた町と聞いていましたが、さすが、いいものが残っています。木陰は嬉しい涼しさですしね。

 昔は絹織物の糸を作るために蚕を飼って、エサに桑の葉が必要でしたが、今はその糸の需要がなくなって、桑畑を見ることもなくなり、織物産業もすっかりすたれてしまいましたね。

 

 無言館は 

1997年(H9)、窪島誠一郎という方が、残照館(旧信濃デッサン館)の分館として開館したものだそう。

 

バスの停留所からゆっくり歩いて12~3分です。(ゆるい登り坂)

日の当たるところはほんとに暑かったですが、木陰はうそのように涼しく森のありがたさを実感。

  

 

 館内は撮影禁止です。

 第二次世界大戦の終盤には、画学生であれ、すでに卒業した人であれ、だれかれなく戦争に駆り出され、20代、30代の青年に限らずそれはそれはたくさんの命が失われました。

 

 展示してあるものは、

戦争に行く前に描いた大小の絵だけでなく、戦地から送った手紙や絵、家族の言葉などもあったりして、読むたびに涙がこみあげます。

 1時間ほどで外に出ました。

 

無言館の手前にあった、これは ↓ 何?と言って通り過ぎた建物も共通の展示館(無言館・第2展示館でした。(こちらは2008年(H20)開館

入場券も無言館と共通で、是非寄って下さいと言われ、帰りに入りました。

こちらには絵だけでなく彫刻や塑像などもあります。(同じく館内撮影禁止なので中の様子は紹介できません

 

外にあったこれは?赤いのはいたずら?なんて思いましたがそうではないようです。

近くでよくみると、画学生の使った(たぶん)と思われる絵筆が埋め込まれているのです。

   

ということで、上の赤いペンキ?もいたずらではなくデザインのようです。

   

  隣に、「開かないポスト」というものが・・・

 平和への願い、夢、誓い、あなたの今の言葉を投函してください。開かないまま保存されます。とあります。

      

 

 

 朝通った大木の桑の木のある公園を抜けてバス通りに戻り、一つ先のバス停・前山寺(ぜんさんじ)に向かうことに。

 

 ところが、少々の上り道。青木さんは山道・坂道が大の苦手。

やめようか・・・と言っているところに、ちょうどシャトルバスがきました。

たったの一停留所だけですが、バスに乗ることに。今朝と同じ運転手さん、事情を説明。ほんの1分足らず。200円払って降りました。

 

 前山時(ぜんさんじ

見るからに心地よい参道

 

ちょうどランチタイムだったので、山門をくぐってすぐ横にある、残照館(旧デッサン館)併設のレストランに入りました。

 

渡る風の爽やかなこと! テラス席、よかったですよ。

  パンのセットと後から届くアイスカフェラテを注文。

    

 

残照館(旧デッサン館)には入らず、前山寺(ぜんさんじ)に行くことにしました。

 

 バスを降りたところから入り直します。

参道右手の大きなケヤキ。雷にでも打たれたのかな~幹の中が空洞になっています。

今までも大きな木を見てきましたが、樹齢は350年だそうで驚き!

 

この先にもう1本。こちらは樹齢700年だそう、なお驚き!!

 

帰りに読んだ解説板に参道の並木の松も樹齢350年とありましたが松には気づきませんでした。

 

山門前に到着。屋根は味のあるかやぶきです。

 

左の方を見ると、古い石垣の上に新しい石垣が積まれ、その上にまぶしい白塀が乗っています。

 

本堂はかやぶき。 屋根の姿・形、声にならない美しさ!

 

 前山寺(ぜんさんじ)は

弘仁3年(812)弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創し、鎌倉時代に(1192~1333)伽藍が建立され前山寺としたそう。

貞享年中(1684~87)に、真言宗・智山派に改宗

 

 正面の三重塔は山門をくぐった時から見えていますが、

 その前に、

前山寺は "くるみおはぎ " が有名で、予約しないと食べられないそう。私たちはいま昼食を済ませたばかりで残念ながら食べられないけれど、緋毛氈の敷いてある廊下のあるそのお部屋を外から見学。

コロナ禍の今はお客様も少ないらしく予約なしでも大丈夫のようです。

 

  ここでもキキョウの花が咲き始めています。

   

 

本堂前のカヤの木。(樹齢の表示はありませんが相当の年数のよう・・)

 

近くにある盆栽のようなこの木も古そう・・・ 葉はウツギのようですが。

 

鐘楼も目に入りました。決まった時間以外は撞いてはいけないと。

 

 

 いよいよ・・・

すでに目には入っていた三重塔へ。

 

 手前に数段の階段があり、その右手に見かけない花の大きな木があります。

木全体の写真がないのが残念ですが、花はこんな感じ。

花と花後の袋状のさやも見えます 

 

 境内の休憩所兼売店で野草を売っている方にお聞きすると、

モクゲンジ(木げん子(げんは木偏に患) といってムクロジ(無患子の仲間だそうです。

実は数珠や首飾りに。炒めて食用にもなるそう。(別名:栴檀葉の菩提樹

 

三重塔  :  室町時代の建立だそうですが、これ又美しい!

 

右の方にも回ってみました。

  

 後ろに見えるのは明王堂のよう(ちゃんと見なかった・・)。

昨日見た別所温泉の安楽寺の三重塔も素晴らしかったですが、こちらの三重塔もすばらしいです。

 

 ゆっくり拝観できて幸せなひととき、あの時、ちょうどバスがきてくれたおかげであきらめないで前山寺(ぜんさんじ)に来られてよかったなぁと思いました。

 

 15:31のバスに乗り、下之郷駅に向かいます。朝昼夕と同じ運転手さん。

 

 下之郷駅の少し手前にあった派手やかな神社に寄ってみたいと、私だけバスを降りました。

時間がないので駆け足で通り過ぎるだけでも・・。

 

生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ

 生島足島神社のご神体は「大地」。 創建は不詳。

生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)は、朝廷とつながりの深い神々だそうです。 

 

神橋と拝殿

 

 ゆっくり拝見する時間はなかったのですが、後で調べたところによると、本殿内には内殿があるそう。

 内殿は、旧本殿として屋外にあったもので、覆屋として建てられた現在の本殿の中に旧本殿を納め内殿としたとのことでした。

 

神楽殿

左後ろにちょっとだけ見えるのが諏訪神社かも・・・

生島足島神社が上之宮で諏訪神社は下之宮。正対して鎮座すると説明がありました。

 

歌舞伎舞台(明治元年(1868)建設 目隠しの隙間からやっと撮れた)

江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を残しているそう。

 

反対側にもりっぱな鳥居。

 

 何しろ時間がないので駆け足で通り過ぎ、下之郷駅に向かいます。

 

近くにあった八幡社↓は末社とのこと。

 

その先で見かけたこの建物は?

解説板を読みに行く時間はなく通りすがりに写真だけ。

先ほど見た歌舞伎舞台に雰囲気が似ているなあと思って写したものです。

 

 このあとが、大変。

 

 すぐ近くにあるはずの下之郷駅に向かって走っているつもりが、駅らしいものが見えません。 

青木さんが駅で待っているのと、予定の電車の時間も迫っています。

 

 あわてて、信号待ちをしていた車の方に駅の場所を聞きに行き、後4~5分しかないと話すと、乗って乗ってと、駅まで送って下さいました。(車では1分もかからなかった。私が進もうとしていた方向とは違う方向でした)

 

 やっとのことで、電車に間に合いました。切符は青木さんが買って待っていて下さいました。

これを逃すと、あと1時間半も待たないといけないのです。

 感謝、感謝! 

 慌ててしまって車で送ってくださったご夫婦のお名前も連絡先も聞かずにお別れしてしまったのが心残り。

 

乗った電車には保育園生か幼稚園生の作ったかわいい折り紙がたくさん下がっていて癒されました。

 

 2日間で4回通った上田駅の近くを流れる千曲川の鉄橋は、2年前(2019.10月)の台風で崩落してしまった赤い鉄橋です。

 今年(2021)3月にやっと復旧されたばかりでした。

再開できてよかったですね、何度もお世話になりました! 

電車の中から橋の写真は撮れなかったので、リーフレットから。

いまだにプリンターが買えていないので、写真に撮ったものを利用)

 

 生島足島神社がとても由緒ある神社ということもあとになってわかりました。

下之郷駅がなぜあんなに派手やかな色使いなのかも納得。駆け足でしたけれど、最後に生島足島神社に寄ることができて本当によかった。

 

 今日は、

☆ ちょうどいいタイミングでバスが来て前山寺(ぜんさんじ)に行けたこと、

☆ 生島足島神社に寄れたこと、

☆ 間に合わなかったかもしれない電車に車で送ってくださった方がいて間に合ったこと、など

ラッキーが三つも重なった最良の日でした。

 

 ホテルに戻って温泉に入り、おいしいお食事をいただくこともでき、何よりも親切な人たちに出会えたことがすばらしかった・・・など、思い出しながら床に就いたのでした。

 

 


不良ババ旅1日目 上田 別所温泉

2021-10-03 21:41:27 | 国内旅

 2021.10.3(日)

 

 9/30日で緊急事態宣言が解除されました。

と同時に、都内や観光地にどっと人が押し寄せているようですね。

 

    大丈夫かな~と心配になります。

一斉に用意ドンと出かけるのではなく、混み具合や場所などを考えながら外出したらどうなのかな~?なんて。

 

 えらそうなことは言えないのですが、

私はというと、

まさか出かける予定日(8/1)から緊急事態宣言入りするなどとは思ってもいなかったのですが、取りやめることもできたのに、予定どおり8/1~3日の旅を実行してしまったのです。

コロナが始まってからずっと外出をがまんしている人が多いというのになんと、不良ババなことか!

 

 帰ってから一応ブログは書きましたが、さすがに公開ははばかられ今に至りました。

やっと緊急事態宣言が解除になりましたので公開することにしました。

   ~   ~   ~   ~   ~   ~   ~   ~   ~

 

 2021.8.1(日) 

 

 オリンピックが始まってからコロナ陽性者もどんどん増え、東京だけでなくとうとう千葉県もこの日から緊急事態宣言の発令となってしまいました。

全国で陽性者が広がっているのを見ると、オリンピックだけが原因とも言えないような気がしますが大変なことになっています。

 

 本当にタイミングが悪いのですが、ず~~~っと以前からとねるずの青木さんが、友人と上田からバスで1時間ほどの嬬恋・鹿沢に行く計画をしていたそうですが、その友人という方が腰を悪くして動けなくなってしまい、私に声がかかりました。

私が行くなら、是非、戦没画学生の絵を展示した美術館「無言館」に行くといい・・と誘ってくださったのでした。

 無言館に行くためには山の方の宿では都合悪いことがわかり、上田の駅の近くのホテルに取り直して下さったのです。

 

 まさか、千葉も緊急事態に突入するとは思わずにOKしたのですが、ワクチンも2回済ませたし、せっかくなのでと実行してしまいました。 

もちろんどこに行くにもマスクは離せませんでした。

 

 

 上田の旅1日目

 東京駅9:32発  はくたか557号。 

発車時間まじかにホームに上がりましたが、このコロナ禍、さすがに人は少ないです。

はくたか557号は4月末の富山行きと同じ新幹線でした。

 

上田までは1時間半ほど。富山と比べるとあっという間でした。

 

上田駅の改札内に展示してあった赤備えの鎧兜。真田軍の旗印は六文銭でしたね、小説にもよく出てきました。

このあとも、あちこちに展示してある鎧兜を目にしました。

 

 上田は真田氏三代(初代・真田幸隆、二代・真田昌幸、三代・真田信之)にわたる戦国武将活躍の地だったのですね。

真田一族の舞台となった地は、いまはよく整備された素晴らしいりっぱな観光地になっています。

 

 上田駅でトランクを預けて駅の近くで昼食を済ませ、午後は別所温泉に足を延ばしました。

 

別所温泉へは上田電鉄・別所線で行きます。

 

 この鉄道のキャラクターが最近はやりの漫画風のかわいい二人。

 左:北条まどか ちゃん  右:八木沢まい ちゃんですって。

このキャラクターのおかげで、若者がたくさん訪れるようになったかもしれません。

時々、カメラを首に掛けた若者を見かけました。

 

別の八木沢まいちゃんと一緒に青木さんに並んで頂きました。

 

終点の別所温泉駅では、八木沢まいちゃんと同じ袴スタイルの若い女性の駅長さんが切符を集めていました。

帰りに、窓口で売られていたこのおせんべいを購入(一つ130円)。売って下さるのも袴姿の駅長さんです。(右は食べた後のカラの袋  

   

 

別所温泉駅・駅舎

 

駅前の蓮の花が出迎えてくれました。

 

別所温泉は信州の鎌倉と言われていたのですね~。

このあと、寺院などに伺ってその理由がわかりました。

 

有名な温泉地なので、いつもならとてもにぎわっているはずでしょうが、コロナ禍の今は閑散としています。

  

一番左の道から進み、北向き観音堂、安楽寺あたりを巡ろうということに。

 

こちらは織物関係のお店?だったような。

 

上田は製糸業で栄えた町だそう。

私が仕事でお邪魔している91歳の方もよくご存じでした。

 

信州の鎌倉と言われるのもわかるようなお宿。

 

蓮の花がちょうど見ごろでうっとり。

 

三層の屋根のこの施設は大湯という日帰り温泉施設のようです。(木曽義仲ゆかりの温泉とのことですが、表の石柱には葵の湯とあります。どういうことかな?

廃業したらしいホテルもありました ↓

 

このホテルの前を左(北)に進み、北向き観音堂に向かいます。

 

小さなお店の前にも蓮の花があって嬉しいです。

 

道端でボタンヅルの花を見つけました。

小さいけどかわいい。

 

北向き観音堂には裏から入る形になりました。

 

まず目に入ったのがこの夫婦杉。

     真ん中の建物が北向き観音堂 ↑

 

 天長2年(825・平安時代)比叡山延暦寺座主・慈覚大師により開創とのこと。

先の解説版には、この年、背後の山が崩れ、人畜に被害が出たとあるので、そのあとに建てられたのでしょうか?

 

 お堂はもちろん北向き、祀られている千手千眼観世音菩薩ももちろん北向き。

中の菩薩像は大きなものではなく拍子抜けするほど小さかったような。

 

観音堂内には、いつ頃のものかはわかりませんが、古そうな板額が奉納されています。

 

こちらは入り口を入ってすぐの右手にあるもので、よく寺院などにある撫で仏(具合の悪いところを撫でて平癒を祈願する仏さま;おびんずるさま)のようで、あちこちかなりさすったあとが見えました。

私も頭をさすってくればよかったかな~。

 

観音堂から見て右手の方に行かれる人は少ないようでしたが、私は行ってみました。特に説明などもないので、なんの建物なのかはわかりませんでしたが、金網で守られたお堂の中に仁王像が安置されていました。

あとで調べたところによると、このお堂はもとは絵馬を納めるための絵馬堂でしたが、今は仁王像堂になっているとのこと。

 

本堂から見て左前方にあるのが鐘楼と樹齢1200年のかつらの木。

映画の撮影で有名になり、「愛染かつら」という愛称がつけられたそう。

 

その向かいは不動堂。

 

その奥のこれは? 涅槃薬師瑠璃殿だそう。

これのず~~っと大きいのが清水の舞台? 造りが似ているような気がしました。

 

 瑠璃殿の前には正岡子規の句碑があります。

滞在中にたくさんの句をつくられたのが縁のようです。

 

 私は上田も別所温泉もこの北向き観音堂も初めて、ゆっくり見てまわりました。

 

私たちは裏から入りましが、表に抜けると、おしゃれな商店の並ぶ参道になっていました。新型コロナウイルスの影響で、観光客ほとんどないのではないかと思われるほどひっそりとしていました。

 

そんな中でも朝顔をきれいに咲かせて観光客をもてなしてくれます。

 

 

 このあと、信州最古の禅寺と言われる安楽寺を目指します。

 

 北向き観音堂の参道の終わるあたり左手に、山門がありました。東向きです。

安楽寺はこちら方面と案内があったのでくぐって進みました。

 

真夏の花・サルスベリ(百日紅)が迎えてくれます。

 

北向観音から歩いて10分ほどで安楽寺に到着

 

 安楽寺

天長年間(824~~834)の開山、当初は臨済宗だったそう。

鎌倉時代、北条氏の外護によって栄えたけれど、北条氏滅亡(1333)後、寺運も傾いてしまったとのこと。天正16年(1588)に曹洞宗に改められたようです。

本尊は釈迦如来。

 

 3~40段ほどの階段を上がると境内の大きな木が目に入ります。

コウヤマキ(高野槇)だそう。

  

 本堂までの間に16羅漢堂や鐘楼、経蔵、座禅堂などがあります。

 

 落ち着いたいい感じの本堂。まだ新しそうです。

庫裡も同時建設かな?デザインがステキです。

 

本堂前の花は秋のけはい。

 

国宝・八角三重塔は少し山を登った所にあります。

(八角三重塔拝観料:大人300円

先に見える階段↑を上がった右手に、安楽寺を開山した樵谷惟仙(しょうこくいせん)禅師と二世幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)禅師の座像を納めた祠があります。像は嘉暦4年(1329)に造られたそう。(木造。いずれも国指定重要文化財

影がしっかり写ってしまって・・・

 

 八角三重塔はここからもう少し登ったところです。

 

三重塔は用材の年輪年代測定の結果、鎌倉時代末期(1277~1333)の建立とわかったそう。

こちらは国宝です。

四重に見えるけれど、一番下は裳階(もこし)といわれ、庇(ひさし)の役割をするもの。

午後3:00ころ。逆光で写真はどれも イマイチ。

でも、実際に目にできたのでよしとします。

 

下りで目に入ったこのユリはオオウバユリ。

地味だけれど、味のあるそばかす模様が禅宗寺院にぴったり!

   

      

 

 ここで別所温泉方面の観光はおしまい。

ホテルは上田駅前なので別所温泉駅に出、上田駅に戻ります。

 おしゃべりしながら、花を愛でながら・・・

 

サンパラソルと名札がついていました。

色違い。

 

帰りの電車の中から見えた、どこかの駅のホームにあった絵。

カメラを取り出すのが間に合わず、二人のうち一人しか写っていませんでした。八木沢まいちゃんかな?

 

 上田駅からホテルまではゆっくり歩いて5分ほど。

途中で見かけたマンホールのふたは六文銭とつつじ?の花。

    

 

ホテル祥園は温泉付きです。

玄関横にある看板に灯が入るととても素敵になりました。明るい時は気づきませんでしたが、向かいにある温泉に入った帰り、暗くなってからその良さに気がつきました。切り絵ですね。

 

 夕食は7:30からとお願いしてありました。

食レポは慣れていないせいかカメラを持たずに行ってしまい写真はありません。 

私たちにとって上げ膳据え膳の旅の食事ほど嬉しいものはありません。

 

 暑さで疲れ早めの就寝、よく眠れました。