ことの起こりは先月の日曜日の一日、前日泊まった孫と半日付き合うこと、
それも孫が風邪気味なので家の中でとのことになって、何をやろうかと。
「将棋できるか」、「できるよ」、「やろう」となったが駒も盤も見当たりません。
仕方がないので逗子まで買いに出ました。100円ショップで盤と駒で200円
+税、往復のバス代の方が高くつく買い物でした。
もともと勝負事には弱く、将棋も駒の動かし方を知っている程度ですが、小
学校3年生には勝てるでしょう、とまずやってみましたらやはり勝ちました。
では角抜きでとやりこれも勝ち、爺の面目を保ったと思っていましたら、
「爺ちゃん、角が二枚あるよ」、「えっ」
脇にしておいた角に私の手がいつの間にかのびていたのでした。
これは約束違反、反則負けです。
と云うような事があってこれからの孫との付き合いを考えて、「将棋アプリ」
をアイホにいれて遊び出したのですが、これが面白いのです。
この二つともkaeru(後手)の勝った時ですが、左の場合は駒の動きが分かり
やすいですが、右は各駒がどうかかわり合い取るか取られるかが分からなくな
ります。 その点comは「天才」です、 瞬時に筋を読みとっての攻防でとても
kaeruの力量では太刀打ちできません。
互角ではなく角抜きで対戦して5回に1回くらい負けてるという水準での勝負です。
以前も将棋に関心があったようで、「将棋入門」という種の本が二冊ありました。
いずれも子供向けのものです。1987年発行の本に「将棋とコンピューター」という一
文があり、こんなことが書かれています。
≪今のところ、コンピューターの棋力は、~、これから先まだかなり強くなることは予想
されます。だけど、いくらなんでもプロ棋士より強くなるようなことはないでしょう。≫
しかし、現在ではプロ棋士がかなわぬcom棋士が現れています。
comの可能性は将棋の世界でも予想を超えて発展しているといっていいのでしょう。
そういう状況はますます速度を速めるでしょう、そのなかで人間の想像力と創造力の
価値がいっそう高まるに違いありません。その意味では 「赤毛のアン」や「花子」に描か
れる 「想像の翼」 の意味は物語の域から生活の場に現実性をもってきています。