葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

会えずの別れ。

2014-05-27 12:07:14 | 非詩的なつぶやき

 「会わずの別れ」は芭蕉が会うことを期していた俳人一笑に亡くなられ会うことも叶わなかったという話でした。今朝、上田の中学の同級生からの電話は、「はっちゃんが亡くなった」という連絡です。

 「はっちゃん」は「甲子」の「甲」を「はつ」と読ませるのです。以前賀状の端に「甲」を「はつ」と読むのは「甲乙丙丁」の最初にあるからですか?と尋ねたことがあったのですが、その年あたりから同級会にも出てこなくなり、賀状も来なくなっていました。

 同級生の話で、「誰にも会わない」ということで、癌を病んだということ以外状況がわからず、自宅にいるということは分かっていたものの今朝の訃報を聞くことになってしまいました。

 もう三十年くらい前、東京・新宿で一緒に活動していたご婦人がやはり癌に倒れ入院しているということなので、知らせてくれた人に入院先を聞いたら、彼女も親族以外とは一切会わない、との話でした。そういえば、同じ仕事場での仲間も会えずの墓参りになったのですが、彼女も自分のことは死んでから知らせて欲しいと親族に頼んでいたとのことでした。

 神話のイザナキとイザナミの物語は黄泉の国へ死んだ妻のイザナミを訪ねて行ったイザナキに「~わたしを決して見てはいけません」と言います。しかし、見てしまいます。そこには蛆虫がたかった姿がありました。驚き逃げ帰るイザナキへ「よくも私に恥をかかせたな!」と怒るイザナミの声が響きます。

 人の生活を個人単位でみた時、その芯にあるものは自尊心であろうと思います。それを傷つけたくない、傷つけられたくないという思いが「会わない」「会いたくない」「知らせるな」「見るな」という表現になっているのです。それが傷つけられたとき「恥をかかされた」ということになります。

 人間がひとり一人かけがえのない絶対的存在であるということが全ての事・物の前提です。そしてその一人のなかに宿る自尊心はその人の精神的活動が集約され、その人の個性の芯になっているものと思います。

 さて、この「自尊心」をcomが産み出す製品が持つことができるのでしょうか?

コメント (4)
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