赤ん坊は寝ることが「仕事」だとか言われていますが、年寄りもそうなり
つつあります。よく寝る子は育つ、よく寝る老人は?
こんな書き出しはなにか言い訳じみたことを言う場合で、昨夜、書き込
みを抜いたブロガーの言い訳です。夕食をとったら眠くなりひと寝入りした
らブログをの積りがつもりだけに終りました。
今日の本題は、これです。
横浜(ばかりではありませんが)の有隣堂書店の広報紙「有鄰」の2000年
2月号「本とインターネット」という座談会での松本侑子さんの発言です。
写真の<「赤毛のアン」の引用出典を電子図書館で検索>とあるところです。
ここの部分を引用してみます。
≪『赤毛のアン』の翻訳がこの春に集英社から文庫化されてます。『赤毛のアン』
は児童文学というイメージが強く、実際、今までのは子供むけに要約して訳され
たものでしたが、私は全文訳をやったんですよ。すると、原文に「汝、何とかしたま
え」みたいな古い文章や詩的なせりふがたくさんある。でも、アンは十一歳だから、
そんな古風な英語をしゃべるのはおかしいと思った。それはシェイクスピア劇のハ
ムレットやマクベス、バイロンやテニスンなどからの引用だったんです。≫
その引用文の検索に威力を発揮したのがインターネットであることはこの座談会
の「題」から言っても当然です。その一例として、
≪「薔薇」「名前」「香る」という単語三つで検索すると、『赤毛のアン』 の中の一節は、
時制は違っているけれど、『ロミオとジュリエット』のジュリエットのせりふだったとか≫
と述べておられます。
その部分は集英社版の文庫の「訳者あとがき」のなかで、
≪文中に、古い言葉づかいの、詩のような芝居の台詞のような劇的な文章やしゃれ
た言いまわしがたくさん出てくることに気がついた。たとえば≫として
「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香る」という一節が紹介されています。
これを読んで、このコメントの意味が分かりかけてきました。
名前に何があるの (赤い風車)2014-05-20 07:08:13
私のブログでも、「名前になにがあるの」をなんどか引用、、っていうか、ほとんどちゃ
かしているのですけど、、そして、そのうちの半分くらいには、花子とアンにも使われた、
「「何がなるの」って書いてある本があるけど、バラがヘクソカズラなんて名前だったら、
決してあんなにかぐわしくはない」って(翻訳は私の勝手な訳ですから)セリフを使ったり、、
(略)
多分、芦塚(赤い風車)さんは、この文庫で62頁の
≪「人は名前よりも、行いが肝心ですよ」 マリラは、ためになる教訓を垂れるべきだと、ここ
ぞとばかりに言った。
「そうかしら」アンは思いに耽った顔をした。 「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く
香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。 薔薇が薊(あざみ)とか座
禅草(スカンク・キャベツ)とかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ。」≫
に関して述べておられるのでしょう。
座禅草(スカンク・キャベツ)より「ヘクソカズラ」の方が分かります。