小松にはかなり以前に到着していたはずで、いまさら「到着しました」は間
の抜けた話ですので省略します。
次の目的地は 那谷寺
次の目的地までの距離 11.0km
次の目的地までの歩数 14,736歩で達成です。
「おくのほそ道」本文には前回の
塚も動けわが泣く声は秋の風
に続いて
ある草庵にいざなはれて
秋涼し手ごとにむけや瓜茄子
途中吟
あかあかと日はつれなくも秋の風
の二句のあとに
小松といふ所にて
しをらしき名や小松吹く萩薄
とあります。
ここ(小松)で多太神社に参り、源平合戦で討ち死にした斎藤実盛(さねも
り)の兜を見ます。 以下、長谷川さんの文章より。
≪実盛は初め源氏方の武将でしたが、のちに平家方につきました。そこで
木曽義仲を迎え撃つために北陸路へ出陣したとき、やはりかつての主方に
刃を向けるわけで疾(やま)しさがないわけではない。そのとき実盛は七十歳
を超える老武将でした。おめおめと生きすぎたからこんな情けないことにな
ると内心悔やんでいる。そこでこの一戦を死に場所と決め、老武者とあなど
られないよう白髪を黒々と染めて討って出て討ち死にします。≫
そして、本文の句
むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
について、
≪一笑の墓前にささげた「塚も動け」の慟哭の余勢がここまで及んで「むざん
やな」と実盛を悼んでいるようにきこえます。ここで芭蕉がみているのは、か
たや若すぎた死、かたや生きすぎたと悔やむ死です。どちらも無残な死です。≫