昨日お見舞いに伺った妻の従姉が危篤で、一時間以内に病院に来てくれ
と彼女の自宅に連絡があったのは一昨日の午前中だったそうです。
夫がタクシーを飛ばし、一人息子が東北から駆けつけ、私の妻も急ぎ会い
に行きました。
昨夜私達夫婦が見舞った時は、80余歳の夫は腕をベットに入れ時折声を
かけ背に手を当てていました。1時間近くそんな状況で、息子さんが来て交代
に来るまで曲がった腰のまま同じ姿勢でした。その人の顔の穏やかであること
が非常に印象に残っています。
危篤の知らせから三日が過ぎようとしています、昨夜会った時とあまり変わり
のない状況なのでしょう。
本棚から引っ張り出した本に書かれていたことを引用しておきます。
尊厳死と題する章の書き出しです。
≪「妻が危篤状態になった時、ベットのまわりに付き添っていた家族や身内の者
たちが、いっせいにベットの脇の生命維持装置のモニターに釘づけいになりまし
た。 医師から「御臨終です」といわれて、はじめて病人の顔を見たような気が
するんです。 機器ばかり気をとられていて、もっとちゃんと妻の顔を見守ってや
るべきだったと後悔しています」≫
昨夜も書きましたが、私の経験でも高齢者の寿命の最期の最後まで、医療機関
は力を尽くしています。 病人はその機能の助けも得ながら生命を維持し続けます。
その現場には、心から敬意を表する気持ちが湧いてきます。
もう一つの経験として、義母の最期にあたり掛り付けの医師から、大きな病院に
移せばかなり生きながらえることはできる、どうしますかと問われ家族で相談して
自宅で最期を迎えることを決めました。
義父もまた入院先の病院から自宅に戻し、身内はじめ近所の人たちにも顔を合
せて逝くことができました。
さて、私達夫婦はどうするか、先のあることでしょう。しかし、考え方の整理は早す
ぎることはないでしょう。天災のように避けがたい急なことでなければ、自分で選べ
ることですから、自分らしく、自分達夫婦らしい最期をと考えるのも不思議な楽しさ
ではないでしょうか。