【kaeru-23 さんが 2014年03月08日 に書かれた記事をお届けします。】
ということで、gooからのお知らせと昨年の「つぶやき」です。
以下に掲載します。
【 後期高齢者の命の尊さ。
「kaeruのつぶやき」のブックマークにもなっていますが、ブログ友という
より先輩の「雲=gooブログはじめました!」さんが、今日誕生日満87歳に
なりました。
>続きを読む 】今年も雲さんに「米寿、おめでとうございます」、をお届けしました。私の10年先輩で、1927年生まれ、どんな年だったのか、年表をめくって目についたのが7月24日の芥川龍之介の自殺です。当時新聞に発表された「手記」に自殺の動機について、「或る友人に送る手記」としてこう書かれています。「 君は新聞の三面記事などに生活難とか病苦とか、或いは精神的苦痛とか、いろいろ自殺の動機を発見するであろう。しかし、僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。(略)(自殺者は)何のために自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少なくとも僕の場合はただばんやりした不安である。何かただぼんやりした不安である。~」(1927年7月27日 東京日日新聞)同じ「手記」のなかに「 僕の考えたのは僕の自殺する場所である。僕の家族達は僕の死後には僕の遺産にたよらなければならぬ。(略)僕は僕が自殺したために僕の家の売れない事を苦にした。従って別荘の一つもあるブルジョア達にうらやましさを感じた。君はこういう僕の言葉に或るおかしさを感じるであろう。僕もまた今は僕自身の言葉に或るおかしさを感じている。」 とあります。芥川の自殺をうけて書かれた文芸評論 『「敗北」の文学』 を宮本顕治が著したのは翌々年の1929(昭4)年8月です。芥川の手記にある「ばんやりとした不安」こそ、宮本顕治が 『「敗北」の文学』 で立ち入って解明したものであり、現代でも精神の科学性を何処に求めるべきかを示していると思われます。それにしても雲さんの88歳を機に久しぶりに手にした 『「敗北」の文学』 、読みの浅さを感じさせられます。