kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

88年前に、あったこと。

2015-03-08 19:58:05 | 中間詩的つぶやき

【kaeru-23 さんが 2014年03月08日 に書かれた記事をお届けします。】

ということで、gooからのお知らせと昨年の「つぶやき」です。

以下に掲載します。

【 後期高齢者の命の尊さ。

 「kaeruのつぶやき」のブックマークにもなっていますが、ブログ友という

より先輩の「雲=gooブログはじめました!」さんが、今日誕生日満87歳に

なりました。

 
今年も雲さんに「米寿、おめでとうございます」、をお届けしました。
 
私の10年先輩で、1927年生まれ、どんな年だったのか、年表をめくって目につい
たのが7月24日の芥川龍之介の自殺です。
当時新聞に発表された「手記」に自殺の動機について、「或る友人に送る手記」とし
てこう書かれています。
 
「 君は新聞の三面記事などに生活難とか病苦とか、或いは精神的苦痛とか、いろ
いろ自殺の動機を発見するであろう。しかし、僕の経験によれば、それは動機の全
部ではない。(略)(自殺者は)何のために自殺するかを知らないであろう。それは我
々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少なくとも僕の場合はただばんや
りした不安である。何かただぼんやりした不安である。~」 
                               (1927年7月27日 東京日日新聞)
 
同じ「手記」のなかに
「 僕の考えたのは僕の自殺する場所である。僕の家族達は僕の死後には僕の遺産
にたよらなければならぬ。(略)僕は僕が自殺したために僕の家の売れない事を苦に
した。従って別荘の一つもあるブルジョア達にうらやましさを感じた。君はこういう僕の
言葉に或るおかしさを感じるであろう。僕もまた今は僕自身の言葉に或るおかしさを
感じている。」 とあります。
 
 芥川の自殺をうけて書かれた文芸評論 『「敗北」の文学』 を宮本顕治が著したのは
翌々年の1929(昭4)年8月です。
 
 芥川の手記にある「ばんやりとした不安」こそ、宮本顕治が 『「敗北」の文学』 で立ち
入って解明したものであり、現代でも精神の科学性を何処に求めるべきかを示してい
ると思われます。
 それにしても雲さんの88歳を機に久しぶりに手にした 『「敗北」の文学』 、読みの浅さ
を感じさせられます。