kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

今年も子規の俳句です。

2015-03-18 20:17:21 | kaeruの五七五

 昨年のお彼岸の日に一年先も俳句をつぶやこうと思い、メモ替わりに予約投稿をしておきました。本当は16日中に投稿できるようにしておくべきでしたが、忘れていました。

 去年の彼岸の入りと一昨年の分です。

毎年さ彼岸の入りに……。 2014-03-18

彼岸の入り。 2013-03-17 

 これで分かるように、一年経っても相変わらずのことしかつぶやていません、進歩のないこと明らかです。

 さて、今年も自分では勉強していませんから、本のお世話になります。

  『現代俳句大事典』(三省堂)による正岡子規の

   「母の詞(ことば)自(おのずか)ら句になりて」

    毎年よ彼岸の入りに寒いのは  

について、「他の人の言葉をとってそのまま句にしてしまうというやり方は、当意即妙で、子規が敏感に他人の言葉に対して反応する性質だったことを示していよう。」 と書かれています。

 同じ事典の芥川龍之介の  薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな  

の解説で

「これも詞書に “伯母の言葉を” とある。 当意即妙な句である。 子規も同じように<毎年よ彼岸の入りに寒いのは>と作っていいる。こうした機智も二人に共通している智性であり即興性が抜群。」

とあります。

 もう少し勉強する振りをさせてもらい、これも同じ事典から。

 「俳句の修辞」という項目に、

“ 口語と文語について、修辞という見地から触れておく。俳句の五・七・五はいうまでもなく文語から生まれたものであり、七五調や五七調が生きている。 しかし、現代の俳句は口語の要素も入りこんでおり、芭蕉の時代のような文語そのままではない。また、原則として文語で俳句を作っている作家でも、修辞として口語を用いる場合がある。

毎年よ彼岸の入りに寒いのは>(正岡子規)、<約束の寒の土筆を煮て下さい>(川端茅舎)、<街の雨鶯餅がもう出たか>(富安風生)。

こうした作品では、口語による親しみやすさが加わっている。”

 

 さて、来年の彼岸の入りの日には何をつぶやくのだろう、少しは勉強の跡が見えればいいのですが。