まずは昨日の続きです。
≪しかし東北の外様の雄藩仙台伊達領に来ると、そう簡単に足を踏み入れ
ることはできなかった。口留番所が設置され、ここで入国手続きをしなければ
ならなかったのである。その国境の番所が越河(こすごう)にあった。
番所の役人に「何者であるか、どこへ行くのか」を問われ、不審者でないと
わかると入判(手判、入切手、入手形、通手形などと書かれていることもある)
が渡される。これが入国許可を受けた証明書で、出国するときこれを見せない
と密入国者とみなされ、すんなり出国することはできなくなるのだ。仙台藩では
こうした番所が、国内すべての街道の国境近くに二十四ヵ所も設けられていた。
(略)
~仙台城下の旅籠屋では、入判を持っていない旅人は正規の街道を通らな
いで来た怪しい者とみなし、一切泊めなかったようである。~≫
さて、当時の仙台藩での旅人の置かれている一般的は状況の概略を頭に入
れていただいて、次の本について話を移します。
これはアマゾンから写した本で帯がありません。帯に書かれていることが本の
内容を示しています、これです。
芭蕉はなぜ隠密になってしまったのか?
「奥の細道」というミステリーが始まる。
芭蕉隠密説はそう珍しい話ではありません。しかし、芭蕉研究専門家で「芭蕉
は幕府隠密だった」と考える、たぶんまちがいなく日本で最初の専門家でしょう。
これは素人の私が言っていることでなく著者自身・光田和伸氏がこの本の述べ
ていることです。しかし、
≪ この本は、芭蕉が幕府隠密だったことを論証して得意になるために書かれた
のではない。芭蕉がどうして幕府隠密になってしまったのか、その過程について
考えてゆく本である。いや、幕府隠密になってしまった日から、やっと私たちの
知っている芭蕉への道が始まったのだと考えている。もし、三十代の末に隠密に
なるということが起きなければ、芭蕉は文学史に名前を残すような存在にはなら
なかっただろう。 ~ 芭蕉という文学者がその後になしとげたことに比べれば、彼
が「幕府隠密」だったことなどということは、たいしたことではないとも思えてくる。≫
私はこの本を一読して芭蕉の幕府隠密説に傾きかけています、歴史的知見が乏
しいので提示される「事実」を検証することができません。なるほどそう考える方が
合理的だと思えることがある、という程度ですから、かなり浅い理解ですが。
それよりも私の心に届いて来るのは、
≪生きる。そして、自分の人生を実現する。そのことをめぐる運命と不思議について
考える一つのきっかけとして、この本が読者の胸に届けばさいわいである。≫
という著者の言葉です。
一度きりの人生とはよく言われる言葉です。芭蕉も曽良も17世紀の江戸時代とい
う日本を生きた「時代の子」です。私たちも20世紀から21世紀をという時代の制約
を受けつつ生きている「時代の子」です。
同時に17世紀と現代との違いを生きる個人として理解できる「子」でもあります、
それは自分の運命を切り開く可能性に満ちた時代を生きていることです。
ならばこの時代を舞台として知り、「運命と不思議」を含め自分をどう実現するか
考えていきたいものです。