お彼岸の1日を写真でつぶやこうとしましたら、アイパッドもスマホも絶不調です。
不能ではないが写真1枚取り入れるのに30分以上かかり、入れて見れば縦物が横物に。
阿呆か、とつぶやきつつ、今夜は止めます。
お彼岸の1日を写真でつぶやこうとしましたら、アイパッドもスマホも絶不調です。
不能ではないが写真1枚取り入れるのに30分以上かかり、入れて見れば縦物が横物に。
阿呆か、とつぶやきつつ、今夜は止めます。
メロディー橋のビデオが7分以上あってとても紹介できませんので、何枚か写真にして載せます、音が無いのが無念残念ですが。
橋の上に立って、向井さん早速メロディーに挑戦、でも
思うようにメロディーが奏でられません。そこで音楽のプロがお手本を。
皆さんも挑戦。
向井さん改めて奏でて、うまくいった! 会心の笑顔。
メロディーが調子よければ、踊り出す人。
つられて踊る影の主は、
雨で仕事になりません、国会に行くことにしました。昨日外出先から国会にと思ったいましたら、我が家の雨漏りの連絡が入り戻ったのでした。
私の国会に向かう時はいつもここからです、JR新橋駅烏森口。
60年安保闘争の時期、どれ程のビラを渡すためここに立ったことでしょう。
烏森口から国会に向かう途中何ヶ所かで見られたアッピールです。
今夜は金曜日行動で原発反対の行動日でもあります。
ここは国会に近い所でしょう、青い電車のような物は警察の車、それが何台も置かれて壁の役割をしいます。その手前は歩道を埋めている人影です。
(写真が縦ですがアイパッドで作業しアイパッドでは横になっているのです)
「9条壊すな!」「 戦争させない 」と読めます。この辺が国会正面でしょうか。道を埋め尽くしていました。スピーカーが国会正面は満杯なので、憲政記念館の方へと叫んでいました。
やっとねけ出すことができて先ずはトイレを、
その辺にはありません、地下鉄に入ろうかと思っていたら声をかけられました。
暗くて見えにくいのですが、kaeru弟です、立ち話で来月上田に行くことに。
弟の姿を紹介したのでkaeru夫人のことも、この中にいるのか分かりませんが、14日夜国会前に来ていたのです。kaeruが諏訪湖畔のホテルで地酒「夜明け前」に葡萄一粒を入れて「葡萄酒」などとつぶやいていた時刻でしょう。(写真は15日の「しんぶん赤旗」)
準レギラーの向井さんとゲストの山崎英二さんの話を通じて、温故知新ということを村永さんが語っていました。
話の内容は「てんがらもん183回」ゲスト山崎英二さん で視聴して下さい。
温故知新(おんこちしん)、古きをたずねて新しきを知る、と訓みます。丁度13日から三日間木曽を中心の旅を終えたばかりでした。村永さんのブログ仲間に上床さん向井さんが加わった7人の旅でしたが旅のテーマを終わって考えれば温故知新でした。
向井さんの話の最初、婦人会の旅にガイドとして同行した天草の宴会でのこと。ご婦人方の出し物があまりにも楽しかったのでホテルの仲居さん達がお礼に天草ハイヤを披露しました。検索してみますと天草牛深ハイヤ節は江戸時代からの「元祖ハイヤ節」だそうです。番組でも鹿児島のハイヤ節と比較して語り合っています、同じハイヤ節でも地域地域の伝統を背負っています。そこには地域の歴史を知り現在を理解するまさに温故知新の言葉が生きてきます。
自称「鹿児島のアイドル」向井明美さんの話を最初の部分だけで他に移るのは残念ですが、話の楽しさは番組視聴で実感して下さい。その向井さんの紹介の山崎さんは来る10月4日の催し物の案内が中心で、宝暦治水の260周年を期しての催し物です。昨今の水害の現状から見ても災害国日本としては、ここにも温故知新の言葉を活かさねばならないことを感じます。
岐阜の木曽川・長良川・揖斐川の治水工事を幕命で請け負った薩摩藩の苦難の話は「てんがらもんラジオ」でも以前向井さんから伺った記憶がありますが、これからもここで随時取り上げてもらいたい話です。山崎さんも治水工事の現場地域では「鹿児島に足を向けて寝るな、朝は薩摩に向かって一礼しよう」と言われていると話されました。ここには温故知新が日常の生活の中に活かされています。
木曽路で島崎藤村記念館も訪れました、宿では「夜明け前」という名のお酒を飲み交わしました。激動の時代を生み出す薩摩、その時代に向かう木曽路、今年の木曽路から来年は薩摩の鹿児島へと旅の足を伸ばそうとの計画です。この昨今毎日が「夜明け前」のごとく見えます、残る闇に目をとらわれるのか、光を見出しそこへ向け一歩一歩を踏み出すのか。時代を切り開いた薩摩の人々から学べる鹿児島の旅もやはり温故知新がテーマのようです。
三日目の朝一番は諏訪湖湖畔の「ガラスの里」でした。ガラスショップにはお客さんも少なく団体客を見送った店員さん三人ほどが相手をしてくれました。鹿児島からの人だと聞いてそのひとりが色々たずねています。
そのうち向井さんの鹿児島弁早口言葉(13日ブログ紹介)がはじまり、笑いが起こります。主任格の人が村永さんに話しかけ、どういう人の集まりか?とたずねています、村永さんが名刺を渡しながら鹿児島のfm放送とブログの話をしました。でもよく分からない、という感じでした。
私も列車のなかで「私たちはどういう集まりなのだろう?」 と思いながらの旅立ちでした。昨年も感じたことですが、不安とはまったく違う気持ちです。一言で言うと「出会いの妙味」と言えるのかと旅で出会ったこの言葉から感じているところです。
木曽の奈良井宿は不思議な空間でした。そのことは別に触れたいと思います、確か「花筏」という店でした。こんなに暗く写るとは思わなかったので書き出しておきます。
「人に出会い 物に出会い 花に出会い 人生は出会い 良い出会いを大切に」
特別なことを言ってるわけではありませんが、この仲間との旅のなかで読むと心に染み込んできます、納得がいきます。
そんな出会いの妙味を感じたのがこの場面でした。
今回の旅で何回も何枚も撮られたうちの一枚に過ぎないのですが、意味があるのです意味を感じるのです。この場所は昨日通り過ぎてしまっている所なので、私のブログで14日に贄川関所として写真があります、関所から上がってきた所にある橋です。
その意味とはこの唄に関係しています。
木曽といえばこの唄木曽節ですが、この橋の欄干に鉄琴様の物が何本も吊るされていてそれを叩くとこの唄のメロディーになるのです。昨日贄川関所を離れてすこし走ると向井さんがスマホを見ながら「見たかったー、叩きたかった」と言い出しました。向井さんとは写真の右端の一番若い人「てんがらもん」ではお馴染みの顔ですね。プロのバスガイドさんです。
その向井さんの声を車中に残しながら車は次の目的地へ向かっています、残念でしたねという場面でした。
それを私はすっかり忘れていたのです。ですから昨日車が木曽路を南下しているときは中津川駅に向かうことにしたのか?と思いつつ乗っていたのです。車がここに着いた時、 ワイコマさんが前日の向井さんの願いに応えてくれたことに気付きました。それは多分前日の「残念でしたね」という段階ですでに予定されたのではないでしょうか。
バスガイドの向井さんにとってガイドする時参加者に喜んでもらえそうな場所、喜びスポットとも言える場所を体験したかったのでしょう。そしてワイコマさんはその気持ちを瞬時に理解したに違いありません。
向井さんが目に付けた喜びスポットは効力抜群でした、鉄琴を叩きながら喜ぶ顔、そのうちに唄い踊りだしました。アイパッドのビデオ機能で録画できましたが容量が大きすぎてアップできず残念です。
「良い出会いを大切に」とはこんな風に気付き、こんな風に行動し、こんな風に喜び合うことだと、「chidoriのブログ仲間 旅と勉強会」の教室は跨線橋の上でした。
塩尻駅で鹿児島組と大阪組を見送り、ワイコマさんの見送りを受けたあと、時間があるので隣のホームの葡萄棚を見たくなりました。
実は先ほど皆さんを見送る前に葡萄棚ホームに降りたのですが、時間が足りないと判断し引き上げてきていたのでした。それは棚があるのはホームの一番外れで7人で行き来するには遠いと思われたのです。
そこで改札口まで戻りこの看板のある3番4番ホームに、
そしてホームの先へ、この樽の写真はkaeruの写したもので、Wikipediaなどからの転用ではありません。
棚はこんな風に、葡萄の香りがしてきました。
ここの個所の案内板は葡萄の品種名がそえられています。「メルロー」とその反対側は「ナイヤガラ」です。その近くで世話をしている人に声をかけましたら半房ほどくれまた、それがこれです。
このスマホの数字は改札口から葡萄棚までの往復時間、歩数です。
こんな数字を記してみたのは、葡萄棚を見る所要時間を知りたくなったからです。
せっかく鹿児島や大阪から来てくれた人たちに葡萄棚のある駅ホームの面白さを実感してもらいたかったからです。
その前に「日本でここだけ ホームのブドウ園」から受けた印象はホームのかなりが葡萄棚で覆われているという感じです。それは鹿児島の観光業のプロのガイドさんもそう感じていたといいます。
それに葡萄棚のあるのはホームの端です、先程のことでは私は1,2番ホームの端近くにいたのでもしホームの端に跨線橋があれば葡萄棚にごく近かったわけです。「日本でここだけ ホームのブドウ園」に期待してこんなことをつぶやきつつ帰宅途中です。
9月14日朝7時前のホテルの前の道から物語が始まりました。
毎朝ですかと聞けば、毎朝ということではないようです。通りの反対側でも二人同じように立っています。昨日の妻籠宿で出会ったので撮ったこの写真を思い出しました。
旅の二日目、kaeruの目覚めは早くもやって来たのか、本格的目覚めに向けてやって来たのが、
嬉しいことにここには、
という宝物があります。
このあと、贄川(にえかわ)関所にまわりました。
丸に一の家紋は案内板に書かれている山村家のものです。
そして、向かったのが、
これは予告編でも紹介しています。ここにこれがあるならば、「是より北」があるはずで、ありました。が私が撮ったはずのものが見つかりません。残念ですがWikipediaの写真を載せておきます。
場所は馬籠宿でした。
この日もはじまったばかりですが、明日も旅がつづきます。朝に間に合うよう寝ます。確かに酔って旅仲間の前で寝込んで睡眠時間を多少確保しましたが本格的に寝ます。ではまた明日。
鹿児島弁早口言葉
わいがおいに わいちゅで
おいもわいに わいちゅうとよ
わいがおいに わいちゅわんければ
おいもわいに わいちゆわんとよ
15日宿を出る予定は8時「ガラスの里」へと向かいますが、ここで一転、
ブログ旅を終わりから始めてみます、三日目の9月15日14時、ここ
塩尻駅で解散ですが、たぶん駅前解散にはならないでしょう。
それは、この二枚の写真です。
二枚ともワイコマさんのブログからで5月の葡萄棚、今は房もたわわでしょうか。
楽しみな場所です。
三国志の「桃園の誓い」ならぬ「葡萄棚での誓い」で来年の「向井明美と行く鹿児島の旅」の成功を誓ってお互いに手を取り合いなみだ涙とか。その涙のなかに先ほど飲んだワインが混じっていたりして。
どこで飲んだ? 駅前のスナックではないのです。ここです、
と言ってもご覧の通り予定にはどの葡萄園でどのワイン工場か?当日のお楽しみです。
そこでその前に寄った(ここでは寄る予定になっている)「ガラスの里」。
この素敵な「里」の全体はこちらで、 http://www.garasunosato.com
「三日目のブログ旅」を終わり明日から本物旅に移ります。
終わりにワイコマさんのブログからこの日、2015年2月15日 をクリックしてみて下さい。その締めの言葉に、共感します。
衣装やこの景色、私の普段見る景色が、その昔はこのように・・記録に残されていたことに衝撃・・そして車の走らない鉄道も無い時代にこのような素晴らしい記録、すげ笠をかぶって着物を着ている地域の人、暮らしぶり 建物の様子 橋や川の様子沢山の勉強が出来ました。いずれ機会をみて長崎大学の図書館を訪ねてみたい。
信州信濃の新蕎麦よりは わたしゃあんたの傍がよい
この都々逸をこの旅風によみけかえれば、
信州信濃の新蕎麦食べて わたしゃ仲間の傍がよい
さてそんな旅の後半に移ります。
塩尻宿についてWikipediaには次の写真と説明があります。
平出一里塚
街道を挟んで北側(右)と南側(左)の一里塚が保存されている。
また、塩尻の地名に関連してこんな説明も、
塩の道と呼ばれる三州(伊那,飯田)街道の分岐点でもあり、三河国からは南塩が、また糸魚川からは松本経由で北塩が運ばれた。
塩尻の名を持つ峠の現在は、
中央分水嶺の峠の一つで、岡谷側に降った雨は天竜川(太平洋)へ流れ、塩尻側に降った雨は、犀川(信濃川(千曲川)へ合流、日本海)へ流れる。
塩の流通からみても日本列島の構造からみてもここが日本の屋根の棟なのです。そしてワイコマさんのブログ名屋根裏人の由来と、あの行きとどいた気配りはここからの視線にありました。
そのワイコマさんに導かれ、下諏訪宿へ。
やはりWikipediaによる写真です。
木曾街道六拾九次 下諏訪宿(歌川広重画)
本陣 岩波家
この門前を最近写した写真があります、とはいえテレビ画面ですが。
この日(8月24日)夜8時過ぎにchidoriさんから「見て!見て!テレビ!」と言うような調子の電話がかかってきました。何事かと聞けば鶴瓶の「家族に乾杯!」が中山道編をやっていると言うのです。そりゃ急いで見なければと階段を駆け下りたわけです。
その時の写真をあと2枚。
このご婦人は下諏訪本陣岩波家の27代目のお嫁さんで80歳を過ぎているそうで、字幕に「主人は亡くなっていないんです」とあります。
他の画面に「関札といいます 当時使われたもの」とあります。
下諏訪宿から諏訪大社へ。ここも頼りはWikipediaです。
まずは写真を、
これは上社 本宮
ここは下社 秋宮
さて両方を周るのか、ひとつだけか、これは現地でワイコマさんの説明も含めて現地でのお楽しみに。
宿に入る前に寄るのはオルゴール館、ここもテレビ画面があります、鶴瓶さんがいます。
「諏訪地方は時計のセイコーをはじめ……」という説明は現地でワイコマさんが詳しくされるでしょう。遺跡から諏訪大社も含め日本の古代から、現代科学による産業のトップクラスの企業まで存在しているこの地方の魅力の一端に触れる一日です。
今回の旅は勉強会とも銘打っています、その辺は夜の懇談で深まるでしょう。
それでは明日も。