産経新聞の一昨日「神奈川」版です。戦後70年の葉山について興味あることが書かれていました。
70年前日本占領にあたりマッカーサー元帥は厚木から横浜へ進駐しますが、何故横浜が選ばれたかに関して葉山が関係していたとのことです。
当初占領軍側にも横浜進駐は想定されていなかったそうです。元帥は本土上陸後東京に直行する意向だったが、側近からは「治安や衛生面などが比較的良好な ”鎌倉 ― 逗子 ― 葉山“ 地区に臨時の司令部を置くよう進言」。
「しかし、葉山には天皇の御用邸がある。
横浜は、元帥の“東京入城”と、葉山進駐を回避したい、という日本政府の思惑により、白羽の矢が立ったといえるのだ」と。
日本側から横浜進駐の推奨を受けたが、米軍側はなお「鎌倉、逗子、葉山方面の洋式便所付き家屋の調査を指示、元帥が御用邸に宿泊することを警戒する日本側を動揺させる」とし、当時の神奈川県幹部の「(御用邸の)代わりをさがして先方を納得させるのがわれわれの任務だった」との言葉を紹介しています。
葉山町戦後秘史ともいえることです。