国立西洋美術館「ルーヴル美術館展-17世紀ヨーロッパ絵画」を観てきた。
ついでに総合監修者であるルーヴル絵画部ブレーズ・デュコス学芸員による講演会も聴講した。講演会内容は公式サイト「展覧会のみどころ」の詳細解説というところだった。
1.「黄金の世紀とその知られざる陰の部分」を映し出す
2.「大航海と西洋文明と異文化の対決、科学革命の世紀」を絵画で示す
3.「聖人の世紀」の宗教的側面と、それが「古代文明の遺産を継承している」という事実を示す
展覧会構成も普通にありがちな地域別・時系列的な展開ではなく、テーマに沿った作品展開で意図を炙り出して行く手法なので、展示作品も有名作品に限らなくジャンルを超えているところが面白い。
で、やはり…と思ったのはデュコスさんがバロックでもオランダ・フランドル絵画を専門としていることで、今回の展覧会にはイタリア絵画が少ない理由が了解された。従って、17世紀ヨーロッパを読み解くという視点も、当然「1650年頃…、世界の中心とは、微少なるオランダ、あるいはアムステルダムである。」などというフェルナン・ブローデルの引用が図録冒頭を飾ることになるのだろう。
しかし、17世紀バロックならば、まずはカラヴァッジョを持って来ても良かったんじゃないのか?アンニバレ・カラッチ工房作品だって展示されていたのだし。それに、表記が「ローマ派」となっている作品はある意味で「カラヴァッジョ派」と言い換えても良い作品ばかりだった。もしかしてカラヴァッジョ作品不在を気付かせないようにする隠蔽作戦ではないのか??(^^;;;
まぁ、もちろん17世紀と言っても今回の企画は「美術史」的なものよりも、絵画から当時の社会を読み解こうとするものであるから、私としてもあまり文句は言わないようにしたい(笑)
Ⅰ.「黄金の世紀」とその陰の領域
17世紀ヨーロッパは絶対王政の下、文化的にも黄金期を迎える。その華やかな宮廷文化と裏腹のドイツ30年戦争や対オスマントルコ戦、奴隷制による植民地支配などの陰の領域もあった...。
オープニングはニコラ・プッサン《川から救われるモーゼ》だった。作品テーマ自体は旧約聖書で有名なシーンであり、バロック的身振りが印象的なプッサンらしい古典的作品である。
ニコラ・プッサン《川から救われるモーゼ》(1638年)
ここで取り上げられたのは華やかな宮廷文化の象徴である宮廷画家としてのようだ。17世紀フランス画家の代表選手と言ったら、やはりプッサンなのだろうなぁと納得はするが、パリでの宮廷画家の身分をさっさと捨ててローマに戻ったくらいだし、その画家活動の大部分はローマにおいてである。私的にはプッサンもクロード・ロランもイタリア・バロックの画家だと思っているくらいだし(^^ゞ
で、プッサン作品に続いたのは「私はフランスの女王なのですから!」と全身で表現しているかのようなフランス・プルビュス(子)《マリー・ド・メディシスの肖像》だった。
フランス・プルビュス(子)《マリー・ド・メディシスの肖像》(1610年)
フランス王家の百合の紋章が織り込まれた華麗な意匠に身を包み、いかにもタカビー視線である。背景が宗教画によく登場する玉座風になっており、王権神授説となにか関連などあるのだろうか??
ルーベンス《マリー・ド・メディシスの生涯》はルーヴルでその大仰さにバロックだなぁと思ったものだが、このプリュブス作品は硬く古風なルネサンス風に感じてしまった。
で、呼び物のフェルメール《レースを編む女》も、17世紀当時のオランダの豊かさを象徴する作品として展示されていた。
ユハネス・フェルメール《レースを編む女》(1669-1670年)
視線はレースを編む指先に吸い寄せられる。しかし、ここでもやはり画家の描きたかったのは描かれていない窓から差し込む陽光なのだと思う。指先に、額に、そして背景の白壁に映る光…。レース編みに熱中している若い女を取り囲む室内の空気そのものが小さな画面に濃縮して描かれていのだよね。ルーヴルではもっと近づいて観られたから、光の粒や、赤と白の糸の流れのリアルさに驚嘆したのだが、今回は絵との距離が少し遠くて残念だった。
さて、今回の展示では17世紀ヨーロッパの「光」部分を描いた作品よりも、所謂「陰の領域」作品の方に興味深い作品が多かった。その中でも圧倒的な力を持っていたのはル・ナン兄弟《農民の家族》だと思う。
ル・ナン兄弟《農民の家族》
華やかな宮廷文化や豊かな市民層とは対照的に、絵の中には貧しい農民の家族が、静かに、荘厳に、そこに存在している。もしかして、ル・ナン兄弟は宗教画を描いたのだと思う。貧しい暮らしの中にも神の光は照らす。母親の持つワインの赤はキリストの血を象徴しているのではないか? ここには、君主や貴族の暮らしを支える農村の貧しさ、17世紀の現実が描かれている。
絵画的には色調を抑えた明暗表現、ドラマ性を感じさせる画面構成に、もちろんカラヴァッジョの影響を見ずにはおれない。ついでに、ルーヴル所蔵のもう1枚のル・ナン兄弟作品を紹介してしまおう。
ル・ナン兄弟《農民の食事》(1642年)
文句を言わないかわりに蛇足ではあるが少しばかり引用する(^^;;;
「十七世紀以降の絵画は、イタリアに<正起した>芸術が据えた基盤によって、イタリアの外で発展した。実際カラヴァッジオとヴェネツィア派は、現代にいたるすべてのヨーロッパ絵画の拠り所である。….カラヴァッジオは、<光>による新しい<絵画的マチエールの中に獲得された造形性>の伝統を定めた本質的な磁石である。この伝統は、ル・ナンからシャルダンを経てクールベにいたる、フランスのもっとも優れた画家たちを生み出した」(ロベルト・ロンギ「イタリア絵画史」より)
さて、もうひとつ眼を惹かれた作品がある。17世紀ローマ派《テーブルを囲む陽気な仲間》は庶民を描いた風俗画だ。観た途端、これはカラヴァッジェスキ作品だと思った。
17世紀ローマ派《テーブルを囲む陽気な仲間》
雰囲気的にホントホルストやバビューレン的なものを感じる。図録ではフランドルの画家だろうとのこと。思うに、もしかしてカラヴァッジョを個人的に知っていた画家かもしれない。フィアスコ(酒瓶)を勧める横顔の男がカラヴァッジョによく似ているのだ。それに、テーブルの端からはみ出したナイフやたまねぎの皮…、衣服のほつれなどの質感描写などに注目! 特に左端後姿の男の白いブラウスの筆致には眼が吸い寄せられた。カラヴァッジョの白を際立たせる灰色には独特のものがあるのだが、この灰色のトーンの上に重ねた白の筆致などかなり似ていてドキッとしてしまった。それから、中央でお酒を飲む男の青い服も気になる。何故だろう?
ということで、題1章はフランス王妃や豊かな市民のお嬢様から、貧しい農民や市井の庶民たちまで、17世紀ヨーロッパ「黄金の世紀」を描いた作品構成であった。でも、果たして展示作品だけで「知られざる陰の領域」は観客に伝わっただろうか?
ついでに総合監修者であるルーヴル絵画部ブレーズ・デュコス学芸員による講演会も聴講した。講演会内容は公式サイト「展覧会のみどころ」の詳細解説というところだった。
1.「黄金の世紀とその知られざる陰の部分」を映し出す
2.「大航海と西洋文明と異文化の対決、科学革命の世紀」を絵画で示す
3.「聖人の世紀」の宗教的側面と、それが「古代文明の遺産を継承している」という事実を示す
展覧会構成も普通にありがちな地域別・時系列的な展開ではなく、テーマに沿った作品展開で意図を炙り出して行く手法なので、展示作品も有名作品に限らなくジャンルを超えているところが面白い。
で、やはり…と思ったのはデュコスさんがバロックでもオランダ・フランドル絵画を専門としていることで、今回の展覧会にはイタリア絵画が少ない理由が了解された。従って、17世紀ヨーロッパを読み解くという視点も、当然「1650年頃…、世界の中心とは、微少なるオランダ、あるいはアムステルダムである。」などというフェルナン・ブローデルの引用が図録冒頭を飾ることになるのだろう。
しかし、17世紀バロックならば、まずはカラヴァッジョを持って来ても良かったんじゃないのか?アンニバレ・カラッチ工房作品だって展示されていたのだし。それに、表記が「ローマ派」となっている作品はある意味で「カラヴァッジョ派」と言い換えても良い作品ばかりだった。もしかしてカラヴァッジョ作品不在を気付かせないようにする隠蔽作戦ではないのか??(^^;;;
まぁ、もちろん17世紀と言っても今回の企画は「美術史」的なものよりも、絵画から当時の社会を読み解こうとするものであるから、私としてもあまり文句は言わないようにしたい(笑)
Ⅰ.「黄金の世紀」とその陰の領域
17世紀ヨーロッパは絶対王政の下、文化的にも黄金期を迎える。その華やかな宮廷文化と裏腹のドイツ30年戦争や対オスマントルコ戦、奴隷制による植民地支配などの陰の領域もあった...。
オープニングはニコラ・プッサン《川から救われるモーゼ》だった。作品テーマ自体は旧約聖書で有名なシーンであり、バロック的身振りが印象的なプッサンらしい古典的作品である。
ニコラ・プッサン《川から救われるモーゼ》(1638年)
ここで取り上げられたのは華やかな宮廷文化の象徴である宮廷画家としてのようだ。17世紀フランス画家の代表選手と言ったら、やはりプッサンなのだろうなぁと納得はするが、パリでの宮廷画家の身分をさっさと捨ててローマに戻ったくらいだし、その画家活動の大部分はローマにおいてである。私的にはプッサンもクロード・ロランもイタリア・バロックの画家だと思っているくらいだし(^^ゞ
で、プッサン作品に続いたのは「私はフランスの女王なのですから!」と全身で表現しているかのようなフランス・プルビュス(子)《マリー・ド・メディシスの肖像》だった。
フランス・プルビュス(子)《マリー・ド・メディシスの肖像》(1610年)
フランス王家の百合の紋章が織り込まれた華麗な意匠に身を包み、いかにもタカビー視線である。背景が宗教画によく登場する玉座風になっており、王権神授説となにか関連などあるのだろうか??
ルーベンス《マリー・ド・メディシスの生涯》はルーヴルでその大仰さにバロックだなぁと思ったものだが、このプリュブス作品は硬く古風なルネサンス風に感じてしまった。
で、呼び物のフェルメール《レースを編む女》も、17世紀当時のオランダの豊かさを象徴する作品として展示されていた。
ユハネス・フェルメール《レースを編む女》(1669-1670年)
視線はレースを編む指先に吸い寄せられる。しかし、ここでもやはり画家の描きたかったのは描かれていない窓から差し込む陽光なのだと思う。指先に、額に、そして背景の白壁に映る光…。レース編みに熱中している若い女を取り囲む室内の空気そのものが小さな画面に濃縮して描かれていのだよね。ルーヴルではもっと近づいて観られたから、光の粒や、赤と白の糸の流れのリアルさに驚嘆したのだが、今回は絵との距離が少し遠くて残念だった。
さて、今回の展示では17世紀ヨーロッパの「光」部分を描いた作品よりも、所謂「陰の領域」作品の方に興味深い作品が多かった。その中でも圧倒的な力を持っていたのはル・ナン兄弟《農民の家族》だと思う。
ル・ナン兄弟《農民の家族》
華やかな宮廷文化や豊かな市民層とは対照的に、絵の中には貧しい農民の家族が、静かに、荘厳に、そこに存在している。もしかして、ル・ナン兄弟は宗教画を描いたのだと思う。貧しい暮らしの中にも神の光は照らす。母親の持つワインの赤はキリストの血を象徴しているのではないか? ここには、君主や貴族の暮らしを支える農村の貧しさ、17世紀の現実が描かれている。
絵画的には色調を抑えた明暗表現、ドラマ性を感じさせる画面構成に、もちろんカラヴァッジョの影響を見ずにはおれない。ついでに、ルーヴル所蔵のもう1枚のル・ナン兄弟作品を紹介してしまおう。
ル・ナン兄弟《農民の食事》(1642年)
文句を言わないかわりに蛇足ではあるが少しばかり引用する(^^;;;
「十七世紀以降の絵画は、イタリアに<正起した>芸術が据えた基盤によって、イタリアの外で発展した。実際カラヴァッジオとヴェネツィア派は、現代にいたるすべてのヨーロッパ絵画の拠り所である。….カラヴァッジオは、<光>による新しい<絵画的マチエールの中に獲得された造形性>の伝統を定めた本質的な磁石である。この伝統は、ル・ナンからシャルダンを経てクールベにいたる、フランスのもっとも優れた画家たちを生み出した」(ロベルト・ロンギ「イタリア絵画史」より)
さて、もうひとつ眼を惹かれた作品がある。17世紀ローマ派《テーブルを囲む陽気な仲間》は庶民を描いた風俗画だ。観た途端、これはカラヴァッジェスキ作品だと思った。
17世紀ローマ派《テーブルを囲む陽気な仲間》
雰囲気的にホントホルストやバビューレン的なものを感じる。図録ではフランドルの画家だろうとのこと。思うに、もしかしてカラヴァッジョを個人的に知っていた画家かもしれない。フィアスコ(酒瓶)を勧める横顔の男がカラヴァッジョによく似ているのだ。それに、テーブルの端からはみ出したナイフやたまねぎの皮…、衣服のほつれなどの質感描写などに注目! 特に左端後姿の男の白いブラウスの筆致には眼が吸い寄せられた。カラヴァッジョの白を際立たせる灰色には独特のものがあるのだが、この灰色のトーンの上に重ねた白の筆致などかなり似ていてドキッとしてしまった。それから、中央でお酒を飲む男の青い服も気になる。何故だろう?
ということで、題1章はフランス王妃や豊かな市民のお嬢様から、貧しい農民や市井の庶民たちまで、17世紀ヨーロッパ「黄金の世紀」を描いた作品構成であった。でも、果たして展示作品だけで「知られざる陰の領域」は観客に伝わっただろうか?